台風直下における大気・海洋の同時観測がもたらす、しなやかな社会を支える新たな知見
日本電信電話株式会社(NTT)と沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、2022年の夏に発生したカテゴリ5の猛烈な台風11号(ヒンナムノ―)の直下において、世界ではじめて複数地点での大気と海洋の同時観測に成功しました。ここで得られた観測データは、大気と海洋の相互作用のメカニズムの解明による台風の予測精度の向上、また気候変動によって激甚化する台風災害の対策にもつながる大きな成果です。
今回は、この研究プロジェクトを牽引してきた地球環境未来予測技術グループの小阪尚子氏と遠藤直人氏に、NTTとOISTの共同研究がもたらした成果の重要性と、研究の未来展望についてお話を聞きました。
https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/05/23/230523a.html
※所属は取材当時のものです。
小阪 尚子(こさか なおこ)
NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクト
地球環境未来予測技術グループ 主任研究員
遠藤 直人(えんどう なおと)
NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクト
地球環境未来予測技術グループ 主任研究員
1. 海上の台風からデータを直接収集する画期的な観測手法
今回の成果を生み出したNTTとOISTの共同研究は2021年からスタートしています。その経緯についてお聞かせください。
小阪氏 2020年に新設されたNTT宇宙環境エネルギー研究所では、宇宙環境から地球を見つめ直すことで、地球環境の再生と持続可能な社会の実現に向けたさまざまな研究が行われています。私が所属する地球環境未来予測技術グループにおいても、「環境に適応するしなやかな社会の実現」「プロアクティブな環境適応」をキーワードに研究テーマを模索するなかで行き着いたのが、極端気象予測の精度向上により、人々が安全に暮らすことのできる社会づくりへ貢献することです。
日本は海に囲まれた島国ということもあり、台風の影響を受けやすい環境にあります。これまでは気象衛星の画像解析による台風の予測や、国のプロジェクトにおける航空機を用いた台風の直接観測の実績がありましたが、予測精度の向上は依然として大きな課題でした。海上の大気の立体構造を理解するには、航空機観測が非常に威力を発揮します。一方で、台風直下の大気と海洋の相互作用の関係を観測することが難しい状態でした。
こうしたなか、OIST は2013年に自律航行する無人の観測機であるLiquid Robotics社製のウェーブグライダー(型番SV2、愛称「OISTER」)を使って、カテゴリ4の台風直下で大気と海洋の同時観測に成功しました。そこで関連する論文などを調査し、OISTの御手洗先生(御手洗 哲司教授)に共同研究の打診をしたところ、ご快諾いただくことができました。こうして2021年からNTTとOISTの共同研究がスタートしたわけですが、NTTにとって、ほとんど事例のない台風直下での観測に御手洗先生と取り組めるようになったことは、本当に大きな一歩でした。
この研究プロジェクトのなかで、小阪さんと遠藤さんはそれぞれどのような役割を担っているのでしょうか。
小阪氏 すでにお話ししたとおり、私はこの研究プロジェクトに企画の段階から携わっています。OISTとの共同研究が決まった後は、専門の先生方からのご支援もいただきながら、台風の予測技術や必要とされる観測データについて学びながら、それをフィードバックする形で観測手法や技術を検討するという役割を担っています。
遠藤氏 私はNTT宇宙環境エネルギー研究所に配属された2022年4月から、この研究プロジェクトに参画しています。その後は、主に実際の観測の準備、実行および観測成果の取りまとめなどのマネジメント業務と、テレビ局や新聞社などのメディアを介した研究成果の広報活動を担当してきました。
具体的には、2022年にNTTが新たに導入したウェーブグライダー(型番SV3、愛称「せいうちさん」)の機種に搭載するセンサの選定、購入手続きのほか、観測エリアである沖縄に足を運び、観測直前のメンテナンス状況のチェックや、ウェーブグライダーを海へ送り出す作業なども行いました。
広報活動としては、新たなウェーブグライダーに「せいうちさん」という名前をつけて、2022年7月に命名・進水式を行ったほか、今回の観測成果の広報活動のための成果映像のシナリオ作りなども担当しました。
台風を海上で直接観測することの重要性について、改めてお聞かせください。
小阪氏 海面水温が高いフィリピン沖やもう少し南の海で海水が蒸発して雲になり、それが渦を巻いていくことで熱帯低気圧が発生します。この熱帯低気圧の中心の風速が一定以上になると台風と呼ばれるようになります。この台風の影響を受ける可能性のある人々に正確な情報を提供して、安全を確保するための行動につなげていくためには、より早い段階で精度の高い予測が求められます。
台風の卵のようなものは気象衛星などで監視されていて、発生に関してはそれで把握できるのですが、台風の発達の過程は海上で起こります。メディアを通じて報道される台風予測については、気象庁が発表する予報円などでみなさんもご覧になっていると思います。最近はスーパーコンピューターなど計算機の発達が目覚ましいので、少しずつ条件を変えたいくつかの計算結果から台風の「進路」を割り出す精度は年々高まっています。しかし、台風の「強度」を予測する技術はまだ発展途上で、専門家のみなさんの経験則といったノウハウに基づく手法で補ってきたところがあります。
そこで重要になるのが、台風が発達する海上における直接観測です。特に台風直下の海と大気がどのような状態になっているのか、海と大気の間でどのようなエネルギーのやり取りが起こっているのかといった、台風直下のさまざまな観測データによって、このメカニズムを解明して予測モデルに反映していくことが、台風の強度予測の精度向上につながると考えられます。
気候変動による地球温暖化の影響も、今回の研究プロジェクトに関連するテーマだとお考えですか。
小阪氏 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、台風の勢力は増す傾向にあるという見解を示しています。台風の勢力や発達には海水温が大きく関係していますので、地球温暖化によって海水温が上昇し、さらにそれが北上することで、台風の勢力が衰えないまま日本に上陸して、被害が拡大することは十分考えられます。予測という観点においても、これまでにない気候変動によって過去の経験則では判断できない状況が生まれていますので、台風の直接観測はより重要な観測手法になると思います。
2. 台風の中心近くでの観測に成功した「せいうちさん」
今回の観測で用いられた「ウェーブグライダー」とは、どのような観測機なのでしょうか。
遠藤氏 ウェーブグライダーはサーフボードのような形状のフロートと水中のグライダーがケーブルでつながった構造をしています。この海中のグライダーの部分が、波の力を推進力に変えて航行します。
ウェーブグライダーの特徴は、指定された任意の地点まで自律航行して、さらにある一定の範囲内にとどまることができる点にあり、自律型海洋プラットフォームとも呼ばれています。今回の観測で使用した2台のウェーブグライダー(NTTの「せいうちさん」とOISTの「OISTER」)は、いずれもアメリカのLiquid Robotics社が開発したものです。2022年に導入したせいうちさんには、台風予測に重要な気圧や風速などを計測する大気側のセンサと、波高や海水温などを計測する海洋側のセンサが搭載されています。また、防水性を高めたり、システム全体に冗長性を持たせたりするなどのNTT独自のカスタマイズが施されています。
図にもあるように、フロートに立てられたマストには大気観測用のセンサ、フロート上には海面観測用のセンサ、そしてフロートの底部とグライダーの下部には海中観測用のセンサが設置されています。航行の速度は海流にもよりますが、時速1~2ノット(人間が歩くのと同じくらいの速度)で、1日に20~60kmくらいは移動することができます。
センサに関して、せいうちさんには波高センサが搭載されています。このセンサを採用した理由はどこにありますか。
小阪氏 風が強くなると波が高くなることからもわかるとおり、大気と海洋には密接な力学的関係があります。気圧や風速といった大気側の情報はもちろん重要ですが、波高センサからは大気側のエネルギーがどれだけ海洋へ伝わって波に影響するかといった、相互作用のメカニズムの解明に役立つデータを得ることができます。
遠藤氏 波高に関する別の視点でのデータ活用例としては、ウェーブグライダーが台風に遭遇して波にもまれた際の挙動(傾きやマストの状態)からも価値あるデータが得られます。こうしたデータは、台風直下の過酷な環境に耐えられる観測機の耐台風性強化の視点においても重要なデータだと考えています。
今回の観測では、せいうちさんが台風の中心から約11km、OISTERは中心から約100kmの地点で大気と海洋の同時観測に成功しています。
小阪氏 せいうちさんは、当初から台風の中心近くでの観測を計画していましたので、ほぼそのとおりの位置で観測を実施することができました。一方のOISTERが観測した位置は、気象庁が発表する強風域にあたる場所です。せいうちさんが観測した暴風域とあわせて、風速の異なる2つのエリアで観測できたことは大きな成果です。
遠藤氏 観測においては、台風の構造を広く水平的にとらえていきたいと考えていました。外側降雨帯と呼ばれる構造などをとらえることも重要で、面的な観測のための効果的な位置取りを模索していたところもありますので、今回の貴重な成果を次につなげていきたいと思います※。
※今回の観測の成果については、NTTのYouTube公式チャンネルでもご覧いただけます。
【NTT】Super-wide area atmosphere and ocean observation technology
本題から少し離れますが、「せいうちさん」という命名はインパクトがあって、親しみやすいですね。
遠藤氏 「せいうちさん」という名前を聞くと、北極圏などに生息する動物のセイウチを連想される方が多いかもしれませんが、「せい」「うち」「さん」には、それぞれの意味、由来があります。
まず「せい」は、NTT宇宙環境エネルギー研究所の英語表記である「NTT Space Environment and Energy Laboratories」の略称「SE研」のSEを「せい」と読んだものです。次に「うち」は、私たちが所属する地球環境未来予測技術グループの略称である「宇地G」の宇地から、そして最後の「さん」には、敬称の意味が込められています。
実は最初の命名案は「せいうちくん」だったのですが、前田所長に説明したところ、「ジェンダー平等の視点で考えなさい」という話があり、最終的に「せいうちさん」に決定しました。
3. 観測データを活用したしなやかな社会の実現
今回の成果を受けて、研究の今後の展望についてはどのようにお考えですか。
小阪氏 今回の台風直下における大気と海洋の同時観測によって、かなり貴重なデータを得ることができましたので、現在は専門の先生方にも見ていただきながら、その活用方法を模索しているところです。今後はこれらのデータが台風の予測精度の向上にどれだけ寄与できるかを、しっかり実証していきたいと考えています。
一方、台風を海上で直接観測できる機会はそうあるものではないので、今後は逆推定的なアプローチで、面的に観測を展開していくにあたって、どの位置で、どのタイミングで観測を行うことが大きな成果につながるのかについてのシミュレーションも行っていきたいです。
遠藤氏 観測の安定的な実施という観点からは、今回の台風はとても強力で、せいうちさんのセンサに水が入ってしまったり、破損したりとダメージがあったことから、観測機やセンサの耐性強化は継続的な課題です。また、広域海面観測用の新たな観測ブイなどの開発も行っていますので、これをせいうちさんと併用することで観測の面的エリアを広げていこうと考えています。
さらに、現在は台風をターゲットに観測を行っていますが、将来的には線状降水帯の予測への応用や、センサを増やして生態系の観測などにもつなげていければと考えています。
これらの研究を通じて、将来的にどのような社会の実現をめざしていますか。
遠藤氏 台風の予測精度が向上すれば、人の行動も変わると思います。台風による電車の運休時間が正確にわかれば、仕事やプライベートの予定を早めに調整することができます。もちろん、被災する可能性が高い地域への早期の対策も可能になり、環境の変化に柔軟に適応できる社会をつくっていけるのではないかと思います。
小阪氏 私が過去に取り組んでいた危機管理の観点で見ると、台風などの災害によって重要な社会インフラのひとつである通信が途絶えるということも十分に起こりえます。これはNTTのコア事業でもありますので、こうした事態を想定した予防的な対策といった点でも貢献できればと考えています。
このほか、人間に限らず生態系を構成するさまざまな生命にとって、気象や海象の変化はとても大きな影響力を持っています。こうした現象の正確な予測は、地球の生態系を守る上で重要な意味を持ちます。
NTTではIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想のなかで、デジタルツインによって現実世界で収集した膨大なデータを仮想空間で高度に再現し、そこでのシミュレーション結果を現実世界へフィードバックする構想を掲げています。台風に関してこれを実現するためには、大気と海洋の同時観測のような新たな観測手法と豊富な観測データが不可欠ですので、現在の研究が役立つのでないかと思います。
最後に、小阪さん、遠藤さんそれぞれから、自らの研究に対する想いをお聞かせください。
小阪氏 当サイトで掲載されているインタビューでも以前お話ししたことがあるのですが(『極端気象予測の精度向上で、環境に適応する、しなやかな社会をつくる』)、NTT宇宙環境エネルギー研究所は、すぐに事業貢献というよりも、「宇宙的な視野で地球のためになることを考える」を研究のコンセプトとしています。
こうしたなかで、私たちが研究テーマに定めた台風の予測精度の向上は、世界的にも非常に難しい課題です。初期段階の調査の際も私たちに何ができるのだろうと感じることがありましたが、OISTとの共同研究がスタートしたことで、プロジェクトは大きく前進しました。
そして、現在は民間企業の研究機関ならではの良さを活かして、アカデミアの研究者の方々ともコラボレーションしながら、持続的な社会に有用なデータ提供を行っていけるのではないかという気持ちで取り組んでいます。「失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」という著名な経営者の名言がありますが、確実にできることだけを目標にしていても、社会貢献につながる成果は得られないと思います。
遠藤氏 私の頭のなかには「研究を研究で終わらせない。未来に向けたロードマップを考える」という、上司から伝えられた言葉が常にあります。つまり、研究のための研究ではなく、その出口戦略を考えるということです。今回の大気と海洋の同時観測も、それは手段であって目的ではありません。目的は観測データを活用して、どのような社会を実現していくかを考えていくことです。未来からの視点で自分の研究を見つめることは、やはり大切です。私も日々そういうことを考えながら、研究活動に取り組んでいます。
宇宙の視点から見た地球の研究という現在の仕事は、とてもやりがいのあるものです。NTT宇宙環境エネルギー研究所の仕事に興味を持たれている方は、ぜひこのサイトの情報などを参考に私たちの仕事を知っていただいて、一緒に夢にチャレンジする仲間になっていただければと思います。
日本電信電話株式会社外からの寄稿や発言内容は、
必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。
このオウンドメディアは、NTT宇宙環境エネルギー研究所がサポートしています。
宇宙環境エネルギー研究所では、社会課題の解決に向け多様な人材を募集しています。