極端気象予測の精度向上で、環境に適応する、しなやかな社会をつくる
私たちが当たり前のように利用している天気予報は生活に不可欠なものですが、災害につながる可能性がある気象現象の予測には、依然課題があります。小阪尚子氏は、NTT宇宙環境エネルギー研究所のレジリエント環境適応研究プロジェクトにおける「地球環境未来予測技術グループ」で、災害を未然に防いで環境にしなやかに適応する社会をつくるための、予測技術の精度向上を研究しています。具体的には、台風などの極端気象現象に関する観測手法と観測データによる現象の解明やモデル化、また、極端気象現象に対する適応手法の研究を進めているところです。台風直下の海に挑む研究の目的や使命感について聞きました。
※所属は取材当時のものです。
小阪 尚子(こさか なおこ) 博士(工学)
NTT宇宙環境エネルギー研究所 地球環境未来予測技術グループ 主任研究員
東京工業大学情報工学科を卒業後、同大学院精密機械システム専攻修士課程を修了。NTT入社後、同大学院知能システム科学専攻博士課程を修了。専門は、信号処理、リモートセンシング、危機管理システム。2020年より現研究所にて、極端気象に関する観測・予測・適応技術の研究開発に携わる。
1. 極端気象予測技術で実現する、プロアクティブな環境適応
地球環境未来予測技術グループではどのような研究をしているのでしょうか?
極端気象の予測性能向上を実現するための海域観測手法や極端気象に対する適応手法に関係した研究を進めています。
地球上である限り、いかなる場所でも、台風などの極端な気象現象がもたらす急激な環境変化は起こり得ます。事前に予測することで、環境に適応するしなやかな社会の実現に向けて、高度な極端気象予測技術の研究を行っています。
極端気象予測技術によって生み出されるプロアクティブな環境適応とは、どのようなものなのでしょうか?
極端気象は社会基盤に大きな影響を及ぼしますが、その影響を的確に予測し、災害を未然に防ぐことをめざしています。
たとえば、秋が近づくと台風が発生します。多くの人がテレビやスマートフォンの天気予報で台風の進路を確認しますよね。でも、現在の進路予測の精度では、台風が最も接近する5日前の段階で300kmほどの誤差が生じることがあります。300kmは、東京から名古屋までの直線距離に相当します。
また、被害推定にもかなりの誤差があります。車が吹き飛ぶ程度の風雨なのか、外に出て避難できる程度なのかが、現在の精度では5日前の段階では分からないことも多い状態です。地方自治体は、こういった状況のなかで台風対策をしているのです。台風が直撃すると思っていたら実はかすめるだけということも起きますし、不運な場合にはその逆も起こり得ます。こうなると対策費用にもロスが出ますし、万全な対策にもつながりません。
たとえば、気象予測の精度が向上し、300kmほどの誤差が限りなく0に近づいたとします。すると地方自治体は、より効果的で経済的な対策を講じることができます。また、台風の進路から離れたところでは、通常の経済活動が可能となります。これが極端気象予測技術の高度化によって生まれる、私たちのめざしているプロアクティブな環境適応です。
2. 精度向上の鍵は海にある
プロアクティブな環境適応を実現するために、現在の極端気象予測技術に足りないものとは何でしょうか?
精度と早さですね。それらに必要なものが、海の情報なのです。具体的には、極端気象を予測するための海洋観測網の整備と実測データの収集です。
大気の状態の予測というのは、大気や海洋、地表などのさまざまな観測データを「数値予報モデル」というコンピュータープログラムに取り込んで解析することによって行います。予測の精度は、取り込む観測データの充実や観測データを予測モデルに効果的に取り込む方法の確立、更に観測データによる極端気象現象のメカニズム解明とその知見でモデルを改良したりすることで向上します。
なぜ極端気象の予測には海域の情報が必要なのでしょうか?
台風や、線状に伸びて停滞する積乱雲によって大雨を降らせる「線状降水帯」は、海上で発生するからです。
現在、台風に関しては航空機観測が進められています。航空機で台風の目の直上へ行き、観測機を落下させるのです。これにより、地上から高さ10〜16kmの大気の「対流圏」までの観測データである「鉛直プロファイル」は取得できています。しかし、それ以下の海面までの大気の最下層である「大気境界層」における観測データは不足しています。台風の勢力は海面気圧で決まるといっても過言ではないのですが、海面付近の観測は観測機が台風の暴風雨に巻き込まれることもあるため、取得が困難なのです。
現在は海上の観測データ取得のために、どのような試みをされているのでしょうか?
極端気象の予測精度を上げるために、海上観測データ取得の研究開発を進めています。NTT宇宙環境エネルギー研究所は、成層圏を含めた宇宙空間の通信インフラを活用した超広域大気海洋観測プラットフォームの構築を掲げています。その事例のひとつとして考えられているのが、極端気象観測のセンサ網です。海域の観測データ取得もそれに含まれます。
具体的には、自律航行可能な観測機器(AOV: Autonomous Ocean Vehicle)を使ったり、基礎検討としては船上から観測用空中ドローン(UAV: Unmanned Aerial Vehicle)を海の上に飛ばすなどの方法で観測を進めています。台風で荒れる海での観測は非常に困難ですが、このデータによって多くの極端気象が予測可能になるわけですから、挑む価値はあります。また国内唯一の台風の研究センタでも台風の直接観測に関する課題意識を共有しており、2017年には台風の目を航空機で観察することが行われています。
3. 社会の役に立つことを、研究で実現する
現在の研究職に就かれた背景について教えてください。
私は学生時代から現在に至るまで、ずっとセンシング、信号処理・解析の技術開発に携わってきました。大学の頃は現在の音声認識技術で連続音声認識の研究、大学院の頃は、脳の医用画像の解析を行っていました。
大学院卒業時に、大学に残るべきか民間の研究所で研究を続けるべきか迷った末、NTTヒューマンインタフェース研究所に入り、3次元映像モデルの研究を行いました。2次元の画像と実際の測量データから3次元的な映像情報をつくりだす研究でした。
その後、株式会社NTTデータに異動し、光の三原色であるRGB(Red:レッド、Green:グリーン、Blue:ブルー)をはるかに超える数百もの色を検知することのできる「ハイパースペクトルセンサ」を用いた、リモートセンシング技術の研究を行っていました。具体的には、人工衛星に搭載する前の技術検討の段階として、航空機に搭載したハイパースペクトルセンサによってセンシングした情報で地物の状態を把握するという技術でした。たとえば、収穫予測に生かすために農地を観測して葉物野菜の生育ステージを推定したり、CO2固定量推定に生かすために森林を観測して樹種判別したりなどを行っていました。
この頃の研究は、現在携わっている研究に少し似ています。人工衛星からの予測だけではなく、実際に足を運ぶ、つまり実測データを取りに行き、精度を上げるといった取組みをしていました。山奥に焼き畑の現場を見に行ったりした経験は、現在の台風の海上データを取りに行くのと似ている気もしますね。
どうして研究の世界に進まれたのでしょうか? また、研究の魅力・達成感とは何でしょうか?
私の場合、どんな仕事かというより、ビジョンや使命、目的を持つことが、やりがいになると感じています。
NTT宇宙環境エネルギー研究所のような民間の研究機関で「研究をする」ということは、「研究を通じて社会の役に立つことを実現する」使命を負うことだと考えています。また、学術によって社会の役に立てることこそが研究の魅力だと思っているので、社会の役に立つ研究成果を出せたときに達成感を覚えます。
今後の、研究者としての目標について教えてください。
目下の目標としては、極端気象予測の精度を上げることで、より人々の安全が確保される社会づくりに貢献していくことですね。地球の変化をより正確に捉える予測技術は、短期的な自然被害に対処できる予測を出すことはもちろん、気候変動などの中長期的な地球の変化を捉えることを可能にします。
国連の気候変動に関する政府間パネル「IPCC」による「第6次評価報告書」では、現在、大気、海洋、雪氷圏および生物圏に急速な変化が起きていることを指摘しています。人間活動の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がないです。
これから先の世代により良い地球を残すためには、全人類が力を合わせていかなければなりません。その指針となるものが、中長期的な地球の変化の予測なのです。
研究に興味がある方へのメッセージをお願いします。
私がNTTの研究所と出会ったのは大学生の頃でした。当時私が学んでいた音声認識技術の第一人者である先生が、NTTの研究員の方だったのです。
先生の研究室はNTTの研究所内にあったため、私は学生でありながらも企業の研究室に出入りする機会をもらえ、所内の研究者の方はもちろん、海外から来られた研究者の方とも議論できる機会に恵まれました。多様性とカルチャーショックにあふれた素晴らしいその環境は、現在の宇宙環境エネルギー研究所の環境と似ているところがあると思います。
宇宙環境エネルギー研究所は2020年にできたばかりで、新しいチャレンジを推奨する土壌があります。宇宙や環境、エネルギーに関心があったら必ずやりたいことができる研究所だと思います。なぜならここは、宇宙や環境、エネルギーのエキスパートが数多く集まる、多様性に満ちた場所だからです。失敗を恐れず、チャレンジすることを楽しめる人にとっては、きっとやりがいを感じられる研究所だと思います。
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