更新日:2022/05/13
「デジタルツインコンピューティング」(DTC: Digital Twin Computing)とは、物や人などを仮想空間上にデジタルに再現した「デジタルツイン」を生成し、その組み合わせによって実現される仮想的なデジタル社会を用いて、新たな価値を創出する演算パラダイムです。DTC構想の大きな特徴の一つとして、人のデジタルツイン(以下、人DT)を生成するにあたって、身体的・生理学的特徴といった人の「外面」だけでなく、個性や感性、思考、技能などを含む「内面」までをデジタルに再現することをめざしている点が従来のデジタルツインと大きく異なります。DTC構想では、こうしたデジタルツイン同士の「交換」「融合」「複製」といった高度な演算を可能とすることにより、新しい社会を創出することをめざしています。
そのような内面をも含む、これまでにないような人(私自身)のデジタルツインが実現できたときに、私にとって私自身のデジタルツインはどのような存在になるのでしょうか?そして、その私自身のデジタルツインはどのような形でデジタル社会において活躍していくのでしょうか?
ここでは、特に、自分にとって人のデジタルツインはどのような存在か、ということに着目して、①私のデジタルツインに対して私であることを認めるにはどのような条件が必要と考えられるのか、また、②私のデジタルツインに対して私の行為の一部を任せてよいと思うためにはどのような条件が必要と考えられるのか、について、現在進めている考察を2回にわたって紹介していきます。
まず前提となる、DTC構想における人DTの概要を俯瞰します。
人DTは個々の個人の個性や感性、思考、技能などを含む、従来、人間の「内面」と呼ばれてきた側面まで含めたデジタル化を実現するものです。
「内面」のデジタル化に取り組む理由は、人それぞれの個性を表現することで、個々人の特徴を踏まえた多様性に基づく相互作用を引き出すことが可能になると考えているからです。内面のデジタル化がもたらす新たなユースケースとして、人の様々な自身の可能性・未来像を提示し、意思決定の際の参考とすることや、人のデジタルツイン同士のインタラクションによる瞬時の合意形成やアイディア創発への活用などが挙げられます。このようなユースケースにおいては、人DTによって、共同行動やコミュニケーションといった人々の社会的な活動がデジタル空間上で再現されることにもなります(図1)。
ここで、本考察の目的・背景を紹介します。人DTは、うまく活用できれば、私たちの人生と社会をよりよいものとするために大きな寄与をなしうると考えられます。しかし同時に、それが実現したときには、倫理的にも、法的にも、社会的にも、大きな問題を引き起こしうるということもまた、容易に予想できます。そこで本研究では、人文・社会分野を含めた幅広いパートナーと協働し、技術的課題と同時に、人DTが社会で活躍できるための条件をELSI(倫理的・法的・社会的課題/ Ethical, Legal and Social Issues)の観点から検討し、技術的な課題に加え、社会的課題も掘り起こす研究に取り組んでいます(図2)。また、その成果を逐次情報発信し、それに対する社会の幅広いステークホルダーからのフィードバックを得ることで研究を深化させていきます。本記事ではその一例として、京都大学 出口康夫 教授・大西琢朗 特定准教授と共同で進めている、人のデジタルツインの社会における位置づけに関する哲学的観点での考察の内容をご紹介いたします。ここでは、人DTが実現したときに生じる具体的な倫理的・法的・社会的課題に先立って、人DTという想定が喚起するより抽象的かつ根源的な問い、すなわち「私とは何か」という問いについて考察しています。
考え方の手順として、人のデジタルツインの位置づけは「1)人のデジタルツインとその生成元である人との間の関係」「2)人のデジタルツインとその活躍の場である社会との関係」によって規定されると考え、それらの関係項として「私の(人の)デジタルツイン」「私」「社会」の3つを設定しています(図3)。
本研究では「1)私のデジタルツインと生成元である人との間の関係」を、「①私が私のデジタルツインを私だと認める」「②私が私のデジタルツインに対して自分の行為の一部を任せてよいと思う」の二つの局面から捉え、①、②の観点について、それぞれ検討を行っています(※②については次回記事にて紹介します)。
①の「私が私のデジタルツインを私だと認める」を考えてみます。まず人は、他人や(人ではない)物を自分や自分の一部として扱うことがあることに着目します。事例を列挙してみます。
例えば、自分の肖像画。
自分の知らないうちに描かれているが、私に精巧に似ている肖像画は、自分について描かれた肖像画だと認めるのではないでしょうか。
一方で、自分の小さい子どもが描いた自分の肖像画はどうでしょう。絵を描きなれていない子どもの描く絵は、はたから見たら自分とは全く見た目の異なる絵であることでしょう。でも、子どもが自分について描いた絵だというと、自分と見た目の異なるその絵に対して「自分」を感じ出すのではないでしょうか。
さらに対象が人間ではなくても、それが自分の一部として感じられる場合もありえます。たとえば、自分の大事にしている人形などを自分の一部と感じ、それが傷つけられることによって自分が傷ついたように感じることもあるでしょう。
このような例示をはじめとしたことから導きだせる仮説として、ふたつの大きな要素を考えています。ひとつは評価対象の「機能的な側面」。“機能が似ていて同じような行為をする”から私と認めるという要素。もうひとつは、評価対象の「関係的な側面」。私の生活等における経験において“ともに存在し関係を築いていた”から私として認めるという要素です。
このような考え方にもとづき、「機能的な存在」としての“私”を「Functional I」、「関係的な側面」としての“私”を「Indexical I」*1として定義しています。
まず「Functional I」について以下のように考えます。
[Functional Iの度合い]
= [比較範囲における“機能”の一致度]
「比較範囲」とは、「対象が持つ機能の私からみて観測可能な範囲」です。私の持つ全体の“機能”と、対象が持つ全体の“機能”の類似度が低い場合も、その対象について考える際の比較範囲が狭く、かつその比較範囲における“機能”の類似度が高ければ、Functional Iとしての度合いは高くなると考えます(図4)。
たとえば「自分がプログラミングした方法に基づき自動で株を買うAI」を考えた場合、このAIは、私の思い通りに株を売買する点以外は、私と“機能”の類似度はありません。しかし、株を買うという行為の範囲では、私とAIとの間の“機能”の類似度は高い。このような観点から、株の売買の範囲における“機能”の一致度が評価されると考えます。
つまり私の比較範囲が狭いことにより、「Functional I」の度合いは高くなると考えられます。ただし、ここで、文字通りの「機能(できることが同じ)」だけではなく、機能の一致の類推がなされる、たとえば見た目(見た目が同じであればいわゆる機能も同じであると類推される)や、属性(属性が同じであれば機能も同じであると類推される)も、ここでは“機能”の中に含めて考える必要があるとしています。
Indexical I(私の「関係的な側面」)についても、ある種の度合いがあるのではないかと考えます。その度合いは、「対象と共に行為をなしている感覚」の強さとして、ひいては「1)(対象と)つながっているという感覚:Connectedness」と、「2)(対象の)行為を自分ごととして捉える感覚:Ownness」とのかけ合わせで表現できるのではないかと考えています(図5)。
対象と行為を為している感覚が強い例としては、仕事上の同僚とか家族があります。そういった例でも、必ずしも一方的に相手を制御したり、隅々まで監視監督しているというわけではなく、相手を信頼し裁量に任せたりしている一方で、放ったらかしということでもなく、いざというときは密に関与できるよう意識・関心を相手に向けているのではないでしょうか。ここでは、そういった状態にあるときの感覚を、対象のことを「自分ごととして捉えている」と表現します。
以上から、Indexical Iの度合いは以下のように表せると考えます。
[Indexical Iの度合い]
= [対象とともに行為を成している感覚]
= [1) Connectedness(対象とつながっているという感覚)の強さ]
× [2) Ownness(自分ごととして捉える感覚)の強さ]
1)Connectedness(対象とつながっているという感覚)は、「今、ここにいる」が積み重なって築かれる軌跡のようなものです。デジタルツインと私との関係においては、例えば、以下のような、二つの要素を想定します。
2)Ownness(自分ごととして捉える感覚)は、私と対象がともに行為をなすにあたり、私の思う私の対象に対する結びつきの強さを表しています。この要素がないと(Connectednessのみ存在しても)、ただ時空間を共有しているだけの私と対象、となります。また、「Ownness」の要素も、以下のように細分化します。
上記の要素の組み合わせからなるものと考えています。
Functional IとIndexical Iの組み合わせから、私が対象に認める「私らしさ」を整理することを考えてみます。
これらのことから、対象を私の一部として認めるか否かについては、一定以上のIndexical Iの要素が存在した上で、Functional Iの要素が必要となる可能性があると考え、検討を進めています(図6)。