大牟田市内にある市営A住宅は、1966〜1968年に建設された住宅です。この市営A住宅では、住民が住戸を増築したり、住戸の周囲に庭や畑を作って植物や野菜を育てたりする等、住まいや、その周囲の環境への住民による主体的な住みこなしが行われてきました。住みこなしとは、内発的な営みを行う生活空間に仕立てるための住民の建築への関与のことを指します(参考文献3)。こうした住みこなしを通じて、人は住み慣れた住まいや地域の環境との関わりの中にアイデンティティを形成すると言われています(参考文献4、5)。私たちは、このような住みこなしが実現した市営A住宅に、人がWell-being に暮らすための在りようを見出すことができるのではないかと考え、市営A住宅に着目しました。
このような状況下で、この市営A住宅の住民が、新たに建てられる市営B住宅に住替えをする必要が生じていました(2023年8月現在は引っ越し完了)。住まいと、その周囲の環境を住みこなしてきた場所から、外構の大部分をアスファルトで固めたコンクリート造の建物に引っ越すことは、住民に様々な負担が生じることが予想されました。住民の中には、50年以上の年月を同住宅で過ごしている高齢者もおり、住まいと、その生活設備、周囲の環境に変化により、生活の様々な場面で混乱が生じることも予想されました。
例えば、市営A住宅の住民の中には、住み慣れた場所から離れることによる生活の変化と、それに伴う心身の状況の変化に不安を抱いている様子が見受けられる方がいました。実際、「生活の楽しみだった畑や季節ごとの花を植えることが(引っ越し後の住まいでは)出来なくなることで,やることがなくなり,元気をなくすのではないか」等の声が聞かれました。他にも、家族や近隣住民との思い出がある場所から離れることに喪失感を感じている様子の住民も多く見受けられました。例えば、亡家族との思い出がある家や,生きる張り合いの一つだという住まいの周りに作った庭や畑がある暮らしから離れることへの寂しさを言葉にする様子が見られました。このように、住み慣れた場所である市営A住宅から離れることに伴う住民のリロケーションダメージ(参考文献6)が想定されました。
リロケーションダメージとは、それまで暮らしてきた物的・人的環境から離れ、新たな環境での生活によって、引き起こされる身体的・精神的・社会的な痛手のことです。このリロケーションダメージは、人が住まいや地域の関わりの中で形成してきたアイデンティティに揺らぎをもたらすことが示唆されています。市営A住宅で想定されたリロケーションダメージは、人が住まいや地域との関わりの中で形成してきたアイデンティティを毀損し、Well-beingが阻害され得ると考え、これを予防し、ダメージを軽減するための仕組みを見出すための取組みを実施することとしました。具体的には、アイデンティティを継続・更新するための取組みを「人との関わり」「人と住まいの関わり」「人と地域の関わり」の観点で実施しました。
本取組みは、住民49世帯(2022年当時)が暮らしている生活の場で、住民の暮らしに直接的、継続的に関わる取組みです。そこで、住民や、そこでの取組みに直接的・継続的に関わることができる体制で実施するために、地域で事業を運営する法人や事業所等と連携しました。具体的には、市営A住宅では住民の暮らしに対話的に関わる伴走支援活動(以下、対話的な関わり)が、大牟田市、大牟田市営住宅管理センター、大牟田未来共創センター等を中心に実施されていたため、この活動との協働で取組みを実施しました。
地域の福祉事業所等との連携で、住民が住まいや地域の環境との関わりの中で形成してきたアイデンティティを振り返り、住民一人ひとりの潜在的な可能性や想いを捉え、その潜在的な可能性(力)を引き出し、想いを大事にする取組みを実施しました。この取組みでは、一人ひとりを大事にし、安心できる場で対話することで、人の意欲が高まり、自然と動き出すという対話の力(参考文献7、8、9)に着目した、対話的な関わりを持つことを目指しました。例えば、本取組みでは住み替え準備上の困りごとだけではなく、住民が人や住まい、地域の環境の関わりの中で大事にしていること等に注目する関わりを持つことを重視しました。また、住民とのコミュニケーションでは、支援者と被支援者ではなく、お互いに一人の人として相対する関わり(参考文献7、8)があることが重要だと考えました。
具体的には、住民一人ひとりと、一人につき十数回以上に亘る対話的な関わりを重ねました。例えば、自ら増築し、亡家族との思い出が詰まる家で暮らす住民とは、増築の経緯や、そこで過ごした家族との思い出等、市営A住宅での経験や記憶について対話しました。また、その住民の生活の一部である畑仕事に一緒に取り組んだり、大切にしている思い出の品や写真等を一緒に整理したりする等、それぞれに対する想いを捉える過程を大切にしました。このような対話的な関わりを重ねることで、人と人、人と住まい、人と地域の環境の関わりの中で形成してきた、住民自身も気付いていなかった想いを、本人、周囲とで捉えることができました。そして、こうした住民の想いを移転後の暮らしを組み立てる手がかりとしました。
住み慣れた住まいの中で自分らしく暮らす生活習慣や行動様式等を身につけてきた住民や、自身の身体状況や生活習慣に馴染むように住まいに手を加えて自分らしく住みこなしてきた住民が、住み替え後の住まいでも、住み替え前の住まいの文脈で暮らしを継続し、自分らしく住みこなすための手がかりを得るきっかけとなる取組みを実施しました。
住み替え後の住まいの室内空間の一部を、住み替え前の住戸の空室に再現し、その空間をモデルルーム的場(以下,モデルルーム)として活用した取組み(参考文献10)を実施しました。モデルルームを、住み替え前の住宅の中に設置したのは、住み替え前の暮らしの一部として住み替え後の住まいを住民が体験することで、新しい住まいが求める行動様式に自分を合わせる精神的な負担を和らげ、住まいを自分らしく手なづける機会を設けるためです。市営A住宅は建設されてから半世紀以上経つため、住み替え後の住まいでは様々な生活設備の様式が変わることが予定されていました。その一例が、お手洗いの様式(汲み取り式トイレから水洗トイレへの変化)、玄関先の呼び出しの様式(チャイムからテレビドアホンへの変化)、その他にも、玄関鍵の様式,風呂の湯沸かし方法の様式等の変化です。そのため、これらの変化に伴い、多くの住民は生活の様々な場面で新たな行動様式を身につける必要があることが想定されました。実際、市営A住宅の建替えに伴う住み替えが実施される前に、住み替えが行われた市営C住宅では、住まいの生活設備の変化により住み替え後の生活への対応が難しく、精神的負担を感じる住民が見受けられたことが、市営C住宅の住民を対象とした対話的な関わりを実施した関係者から報告されています。
こうした中で、モデルルームでは、住み替え後の住まいでの生活イメージを持ちながら、そこでの生活設備に慣れるための体験をする取組みや、新しい住まいを住みこなすための取組みを実施しました。新しい生活設備に慣れるための取組みでは、インターフォンの使い方や風呂の沸かし方等を、住民とスタッフとで確認しました。また、住み替え後の生活を組み立てる手がかりを見出すための取組みでは、バリアフリーの観点から、新しい住まいの広さや材質等(例えば,浴室の床やバスタブの滑り具合等)を確認、体験することで住民の身体状況に応じた福祉用具の利用を検討しました。本取組みを通じて,モデルルームで部屋の広さを体感したり,設備の使い方を確認したりすることで、新たな住まいに持っていく家財道具の見極めや、その配置、家族との部屋割り等、引っ越し準備の過程で向き合いきれていなかった現実的な悩みが浮き彫りになっている様子が住民に見受けられました。また、モデルルームを住民の暮らしに身近な場に設けたため、具体的な家具の配置や、荷物の選別に向けた相談等のために住民がモデルルームに訪れる状況が生まれていました。
これらの取組みと並行して、リロケーションダメージが起きる可能性が高いと思われる住民を対象として、 2-3名のグループでの対話を中心とした会をモデルルームで催しました。その結果、普段、住民と対話的な関わりを行うスタッフとの間での個別の会話や、住民同士の日常会話からは出てこなかったと思われる言葉が語られる様子が見受けられました。例えば、庭や畑仕事を通じた繋がりがある住民からは「引っ越ししてしまったら畑ができなくなるし、皆とも(引っ越し後の住まいの)階が違うので会えなくなると思っている」と、感情をあらわにしながら言葉が語られました。さらに、この言葉を受けて「私は,迷惑と思われてもいいから,(引っ越し後の住まいの)廊下を散歩するし、あなたの家にもピンポン鳴らしに行くからね」等の言葉が、涙ながらに語られる様子が見られました。
こうした状況は、住み替え前の住民の住まい等に集まって対話するのではなく、モデルルームで対話をしたことが要因となって生まれたのではないかと考えられます。長年、暮らしてきた住み替え前の住まいに設置した、住み替え後の住まいの空間や設備が再現されたモデルルームで対話したことで、住み替え前の日常生活の気配と、住み替え後の新しい生活を迎える現実感を同時に感じる状況が生まれている様子が見られました。その結果、住民が住み慣れた場から離れることで失う可能性のある物事や、住み替え前の暮らしで潜在的に大事にしてきた物事への想いが呼び起こされ、このような状況が生まれたのではないかと考えられます。
市営A住宅では,家族構成の変化に応じて室内空間を増やすために増築している住民、自身の身長に合わせて台所を使いやすくするために、棚を壁に取り付けて利用している住民など、住まいに手を加えて自分らしく住みこなしている様子が様々な形で見受けられました。一方で、住み替え後の住まいは、壁の素材の変化(住み替え前は木造ですが、住み替え後はコンクリート造であるため、釘や画鋲等を壁に打つことが難しい状況でした)等により、住み替え前の暮らしで実現していた住みこなしを維持・継続するための手がかりを住民等が掴みにくい状況でした。
そこで、取組みの一つとして、住み替え後の住まいを自分らしく住みこなすための仕掛けを、住民自身で作ることを試行しました。具体的には、今後の住まいの台所の吊り戸棚の位置が高く、住民等の手が届きにくいため、各自の身長にあった踏み台を作り、吊り戸棚を使いこなすための工夫を実施しました。こうした、住みこなしの工夫を試行する過程では、住民の中から、住み替え後の住まいの住みこなしに関する希望の声が聞かれました。
市営A住宅は、住民等の住み替えが完了した後、数年で更地になることが予定されています。そのため、慣れ親しんだ地域の風景自体を、住み替えからまもなく、目にすることが難しくなります。この風景が地域から失われることは、住民がその風景に対して持つ想いを、思い起こす機会自体を失う可能性があります。そこで、市営A住宅の風景の記録、地域の環境との関わりの中にある潜在的に大事にしている想いを、住み替え後の住まいで維持・継続するための取組み(地域の風景との出会い直し)を実施しました。今回は、地域の風景との出会い直しに関する取組みをご紹介します。
これまでの暮らしや家族のこと等について住民との対話を重ねる過程では、市営A住宅での思い出や情景についても多く語られました。この地域に小さい頃から住んでいる住民、市営A住宅が出来て以来、この住宅に住んでいる住民、親子2世代に亘って住んでいる住民等もおり、人と地域の環境の間には,この住宅で過ごす中で形成された様々な関わりがあることが見受けられました。
住民の中には、地域の環境に亡家族との思い出を重ねて語る方が多くいました。例えば、亡父が生前、住まいの庭に植えた椿について、「綺麗な花が咲く」と喜んでいた亡父の姿を重ねてお話をされる方や、亡夫と共に、市営A住宅の空き住戸周辺の草むしりをした思い出をお話される方等がいました。また、住まいの周辺に自身が作った畑や庭との関わりについて、ある住民は庭を持つことが自身の長年の夢であり、それを、この住宅で実現し、様々な草花を育てることを楽しんでいると、お話されました。他にも、庭や畑仕事を通じて、近隣住民との関わりが生まれている状況がある様子も認められました。例えば、近隣住民との社交を亡妻に頼っていたある住民は、畑仕事をしている時に、散歩で通りがかる人と話したり、畑仕事で作った野菜のお裾分けをしたりすることをきっかけにして、近隣住民との関わりが生まれていました。
こうした様子を踏まえながら、住まいの周囲で行われている庭や畑での植栽に対しては、「植物を育てること自体が好き」、「畑作業を通じて,近隣の人と自然と会話が生まれる機会が大切」等、様々に語られた想いを継続・更新しながら大切にできる機会を試行し、住民達がこれまで育ててきた植物を挿木や、鉢植えに植え替える等して、引っ越し後も育てることができる機会を創出しました。
本取組みを通じて、引っ越し後の暮らしへの住民の意欲が喚起される様子が見受けられ、人と住まい・地域の環境との関わりには,身体的・精神的・社会的な関わりがあり、その関わりがアイデンティティの一部を形成していると捉え得る状況が見出されました。対話を通じて人が住まいや地域の環境との関わりの中で潜在的に大切にしている想いを捉える過程と、住まいを自分らしく住みこなす等、人が住まいや地域の環境に主体的な関わりを持つことができる過程(参考文献11)が、アイデンティティの一部を形成し、人がWell-beingと感じる状況を生み出していると見受けられました。これらの過程自体を、住まいや地域環境のデザインに組み込み、その誘発を目指した仕組みを含むことが、Well-beingな住まい・地域づくりに資する可能性があるのではないかと考えています。
今後も、地域づくりにおける、人がWell-beingに暮らし続けることができる仕組みの創出と、その知見を水平展開するためのデザイン方法論の構築を目指す研究活動を推進してゆきます。
本研究は、大牟田市・有明工業高等専門学校・大牟田未来共創センター・地域創生Coデザイン研究所等との協働で実施しました。