農作物と藻類の育種による持続可能な未来の構築


岡本 健(おかもと けん)
NTT株式会社宇宙環境エネルギー研究所 環境負荷ゼロ研究プロジェクト サステナブルシステムグループ グループリーダー
2006年に日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)に入社後、定点カメラ映像における微小領域の変化検出を目的とした動画像解析の研究に従事。2010年からは、電磁環境に起因する通信トラブルの原因究明と対策に取り組む業務を担当。2014年より研究所にて、照明器具の電源スイッチのオン/オフ操作で発生する過渡電流の評価手法に関する研究に携わり、その後は研究推進や人材開発などの管理業務を経て、現在に至る。
私たちの暮らしは、スマートフォンでの通話やメッセージのやりとり、また仕事でのオンライン会議の利用など、さまざまな通信サービスによって支えられています。これらのサービスの提供においては、広域にわたる通信設備やデータセンタなどが不可欠ですが、こうしたインフラは消費電力が大きく、CO2排出量の増加につながることが課題となっています。NTTグループでは、通信事業者としての安定したサービス提供と同時に、事業の運営に伴う環境負荷の低減にも大きな力を注いでいます。こうした取り組みのひとつとして挙げられるのが、環境負荷ゼロ研究プロジェクト サステナブルシステムグループが進めている、光合成生物の育種によってCO2吸収量を向上させるための研究です。将来的に陸域と海域の双方のCO2吸収量向上をめざす技術開発の現状について、同グループのリーダーを務める岡本健氏にお話をうかがいました。
1. 異種交雑を可能にする細胞融合技術
岡本さんがリーダーを務めるサステナブルシステムグループでは、CO2の吸収量の増加に向けて、陸域と海域の双方で光合成生物の育種に取り組んでいます。まず陸域における「農作物の育種」について教えてください。
これまでの農作物の育種では、同じ作物の異なる品種を掛け合わせて、新しい品種をつくる方法が主流とされてきました。お米でいえば、コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまちなどいろいろな品種がありますが、同じイネという作物の違う品種を掛け合わせる改良です。しかし、私たちが現在取り組んでいる研究では、それとは異なるアプローチ、つまり「異なる農作物」の掛け合わせによる育種をめざしています。
どのようにして異なる農作物を掛け合わせて育種を行うのですか?
異なる農作物からそれぞれ卵細胞と精細胞を取り出し、受精卵をつくる「細胞融合」という技術を用います。たとえば、少ない肥料で育つ農作物Xと高いCO2吸収能力を持つ農作物Yから、それぞれ卵細胞と精細胞を取り出して融合します。融合で得た受精卵から植物を育て上げることで、少ない肥料で育ち、かつCO2吸収能力も高い農作物Zをつくるのです(図1)。
これまでの育種技術では、種類が大きく異なる農作物の間での交雑は難しかったのですが、細胞融合技術を用いることで、その実現性が高まってきています。同じ農作物同士の掛け合わせに比べて、劇的に品種を変化させることができるのではないかと期待しているところです。この研究は2024年度からスタートし、現時点である特定の農作物Yの卵細胞と精細胞を取り出すところまで成功しています。
2. 中性子線を活用した藻類の育種
サステナブルシステムグループでは、「藻類の育種」にも取り組まれています。なぜ藻類の育種に着目したのですか?
海洋に生育する光合成生物のなかで大きな割合を占めるのが藻類です。これらの藻類の増殖スピードを高める、あるいは炭素吸収能力を向上させる育種を行うことで、海洋におけるCO2吸収能力を飛躍的に高められる可能性があります。また、藻類はCO2を吸収するだけでなく、得られるバイオマス(生物由来の有機性資源)を新しいエネルギー資源や健康食品などの生産につなげることができるため、藻類は持続可能な社会の実現に非常に有用だと考えました。
藻類の育種の手法はいくつかありますが、そのうちのひとつとして遺伝子情報の事前解析を必要としない放射線によるランダム変異誘発法に取り組んでいます。従来の電磁波や重粒子線を活用した手法は物質への透過性が低く、水中で育つ藻類に対しては十分な効果が得られにくい課題がありました。そこで、電荷を持たず水分を含む物質への透過性がほかの放射線に比べて高い中性子線に着目し、藻類を対象とした新たな育種技術の確立に向けた研究を進めています。
中性子線を活用した藻類の育種とは、どのような技術なのですか?
中性子線を藻類の細胞に照射すると、遺伝子にランダムな変異が生じ、細胞の性質が変化することがあります。私たちは、変異が「どこに、どの程度生じ、どのような影響を与えたか」を解析して判定する変異評価技術の研究を進めており、その成果を効率的な育種へつなげていくことをめざしています(図2)。
これまでに、中性子線を単細胞性の藻類の培養液に照射して、最良の変異導入効率を示す照射条件を特定しました。次に、その照射条件を用いてバイオ燃料の原料となる油脂を生産するユーグレナ(ミドリムシの学名。単細胞生物のなかでも植物と動物の両方の性質を備えている)に中性子線を照射し、油脂生産の向上を目的とした育種を検討しました。
ユーグレナの遺伝子への変異導入が難しいことは先行研究で報告されていましたが、上記の中性子線照射によって、野生株(元株)に比べて最大1.3倍の油脂生成量を示す株をつくることができました(図3)。世界ではじめて、中性子線照射による藻類の育種技術の確立に成功したのです。現在は、性質の変化をもたらした変異が導入された原因遺伝子の解析を行うとともに、この技術のほかの藻類への適用の有効性を検証しています。
3. 基礎研究や実証実験を実用化へつなげる
現在取り組まれている研究の今後の展望についてお聞かせください。
農作物の育種については、細胞を取り出して受精卵を作製し、その生育に取り組んでいますが、安定して育てることにはまだ課題があります。世界的に見ても、卵細胞と精細胞の融合を育種に利用しようという試みははじまったばかりで、技術の改良の余地は非常に大きいと考えています。ただし、研究のコンセプト自体はすでに整理できており、今後は原理を明確にしながら実証実験を進めていく段階に入ります。将来的には実用化を視野に入れていますので、さまざまな農作物を対象に実証実験を行っていく必要があります。
その上で、どのような需要や要求があるのかを具体的に明らかにしていくことが重要です。現在は、実用化を検討する前段階にあたる基礎研究・実証実験のフェーズです。将来的にはCO2吸収能力が高く、環境にも負荷がかからない農作物をつくっていきたいと考えています。
藻類については、活用目的に合わせて有用性を高めた育種・生産を行うことが今後の課題です。CO2などの温室効果ガスを削減し、かつ新たなエネルギー資源の生産を進めていくことはもちろんですが、水産飼料としての利用もめざしています。現在は魚介類の餌として利用するための、有用な物質の含有量が高い藻類の開発に取り組んでいます。魚介類は種類によって必要とする栄養素が異なりますし、同じ魚介類でも成育段階によって求められる栄養バランスが変わります。すでに一部の藻類は魚介類に餌として与えており、その結果を踏まえながら、魚介類の種や成育のフェーズに応じた藻類の改良を進めていく必要があると考えています。
岡本さんはグループリーダーとしての役割も担われていますが、リーダーにはどのような考え方、姿勢が求められるのでしょうか?
グループリーダーには、研究を深めていくだけではなく、研究の成果をどのようにして社会実装につなげていくかという視点も求められます。私はグループリーダーになってからまだ半年ほどですので、現時点ではグループが進むべき方向性についてビジョンを描いている段階です。今後は、実際に養殖場などの現場に足を運び、関係者の話をていねいに聞いていきたいと考えています。関係者もそれぞれの立場で利害が異なるため、研究を俯瞰的に捉えながら、どのようにすれば同じ方向を向いて社会実装につなげていけるのかを考えていきたいと思います。
岡本さんは研究者として、これまでどのようなキャリアを歩まれてきたのですか?
NTTに入社して、まず取り組んだのは動画像解析の研究でした。土砂災害が発生する可能性のある現場に定点カメラを設置し、斜面を転がる小さな石などの微小な物体の動きを解析することで、災害の予兆を検知するシステムです。その後は、電磁波や電磁ノイズを含む電磁環境で通信サービスにエラーが発生する問題について、エラーの原因究明や要因を切りわけるための簡易計測ツールの開発に従事しました。また、照明スイッチのオン/オフ操作時に発生する過渡電流による通信エラーを防ぐための評価手法を研究し、電流を基準値以下に抑えるためのガイドライン策定などにも取り組みました。そのほかにも、人事など研究以外の管理業務など、さまざまな業務を経験してきました。
これまで取り組んできた研究や管理業務は、すべて現在の私の糧となっています。研究テーマや学問分野は必ずしもつながっていませんが、研究開発という視点では物事の進め方や考え方に共通点があります。特に社会実装については、技術としての完成度が高く、アカデミアでは評価される成果であっても、社会や事業において本当に受け入れられるのかどうかという点には注意を払ってきました。そうした視点は、分野が変わっても共通するものだと感じています。
宇宙環境エネルギー研究所での仕事に興味を持っている方にメッセージをお願いします。
宇宙環境エネルギー研究所は、社会課題が発生している現場との接点を大切にしながら、研究開発に取り組んでいます。研究上の懸念点や課題、求められていることなどを踏まえ、現場の声をもとに研究の方向性を探求し続けています。学問分野の枠にとらわれるのではなく、実際の社会にどのように受け入れられるのかを常に意識しているところも特徴です。
また宇宙環境エネルギー研究所には、地球環境を将来にわたって持続させていくという基本的な理念があります。年齢やキャリアに関係なく、論理的な意見が尊重される環境も整っていますので、この地球や社会の未来に貢献したいという志のある方々であれば、価値のある研究を深めていけるのではないかと思います。
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