新たなシミュレーション技術で実現する「包摂的サステナビリティ」

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、社会課題の解決に向け多様な人材を募集しています。

河田 博昭(かわた ひろあき)

NTT宇宙環境エネルギー研究所 環境社会循環予測技術グループ グループリーダー 主幹研究員
2003年に北海道大学大学院 工学研究科修士課程を修了後、日本電信電話株式会社(NTT)に入社。以降、工場や幼児施設における遠隔コラボレーション支援技術やオフィスコミュニケーション支援技術に関する研究開発、災害対策室の意思決定支援技術や地球規模の包摂的循環シミュレーション技術の研究プロデュースに携わる。2023年より現職。

地球環境の「サステナビリティ(持続可能性)」は、私たちの暮らしや社会、企業の活動を未来につなげていく上での重要なテーマです。これまでのGDPに基づく成長指標が見直され、新たな豊かさが求められるこれからの社会の意思決定において、重要な役割を果たすのがシミュレーション技術です。NTT宇宙環境エネルギー研究所の環境社会循環予測技術グループでは、自然環境と人間による経済・社会活動の相互作用をシミュレーションによって予測し、よりよく調和する「包摂的サステナビリティ」を実現するための技術開発に取り組んでいます。今回は同グループのグループリーダーを務める河田博昭氏に、重要な研究テーマのひとつである「連成シミュレーション技術」と、これからの時代における新たな豊かさの指標についてお話を聞きました。

1. 自然環境と人間活動が調和する「包摂的サステナビリティ」

最近、サステナビリティという言葉をさまざまな場面で耳にするようになりました。そのなかで「包摂的サステナビリティ」とは、どのような考え方なのでしょうか?

自然環境が外部から何らかの影響を受けても回復する自律性を備えているように、人間の経済活動や社会活動にも同様の自律性があります。たとえば、災害によって社会が大きなダメージを受けても、人々の努力によって復興することができます。「包摂的サステナビリティ」とは、自然環境や人間の活動を含めた地球上のさまざまな要素の自律性が調和している状態をさします。

大気や河川の汚染といった環境破壊などの問題は、自然、経済、社会のそれぞれが持つ自律性が負の方向で重なり合うことで生じるものだと考えられます。その解決においては、これらのすべての要素が調和し、バランスを保つことができる状態(自律平衡状態)を回復しなければなりません。私たちはこの「包摂的サステナビリティ」を実現するための技術開発に、多様な研究分野を横断した視点で取り組んでいます。

包摂的な自律平衡状態
包摂的な自律平衡状態
(画像出典:NTTグループ『地球・社会・個人間の調和的な関係が築かれる未来社会の実現に向けて~デジタルツインコンピューティングの4つの挑戦~』図5.地球と社会の自律平衡解の導出)

地球のすべてを見渡さなければならない壮大な研究テーマですね。具体的には、どのような技術の研究を行っているのですか?

現在取り組んでいる大きな研究テーマとしては、デジタルツイン(データを活用してデジタル空間上で忠実に再現されたもうひとつの現実)を用いたシミュレーション技術の開発が挙げられます。シミュレーション技術によって、包摂的サステナビリティを支える複雑なプロセスの相互作用や循環を可視化することで、意思決定者のよりよい選択を支援することが私たちの研究の目的です。

包摂的サステナビリティを実現するためには、自然環境、人間の経済活動、社会活動など、長い歴史のある多様な研究分野に視野を広げる必要があります。これらをすべてNTTが単独でカバーすることは現実的ではないため、私たちは外部の研究機関とのパートナーシップや研究成果の応用にも力を入れています。ここで重要な役割を果たすのが、複数の研究分野を横断したシミュレーションを行うための「連成シミュレーション技術」です。

たとえば東京大学との共同研究では、この連成シミュレーション技術を活かして、地球全体の水循環と経済活動の相互作用をデジタルツインで再現し、包摂的サステナビリティを実現するための施策の検討を可能にする技術を開発しました。

2. 水の循環と経済活動の相互作用を可視化する連成シミュレーション

連成シミュレーション技術について、もう少し詳しくお聞かせください。

連成シミュレーション技術は、異なる研究分野においてさまざまな事象を予測・分析するモデルやシミュレーションの手法を連携させる技術です。東京大学との共同研究では、芳村圭教授の率いる研究チームが開発した地球全体の水の循環を再現する「統合陸域シミュレータ(Integrated Land Simulator:ILS)」と、JGCRI(Joint Global Change Research Institute)によって開発された地球全体の経済活動で消費される水やエネルギー、および温室効果ガスの排出量をシミュレーションする「統合評価モデル(Integrated Assessment Model:IAM)」のひとつである「GCAM(Global Change Analysis Model)」を連携させています。

これらのモデルは異なる研究分野で開発されたものであり、統合陸域シミュレータでは外部要因としての経済活動が定型的な前提条件として設定され、同様に経済活動の統合評価モデルにおいても、地球環境の変動要因がシミュレーションの前提条件として設定されています。

連成シミュレーション技術によってこれらのモデルをつなぎ、前提条件を動的なデータに置き換えることで、より精度の高いシミュレーションを行うことができます。実際、水資源の循環に関するシミュレーションのPoC(概念実証)を実施した結果、一定の成果を得ることができました。

統合陸域シミュレータ(ILS)と統合評価モデル(IAM)の連携図
統合陸域シミュレータ(ILS)と統合評価モデル(IAM)の連携図
(画像出典:NTT技術ジャーナル『包摂的サステナビリティの実現に向けた環境社会循環予測技術』図1環境シミュレータと経済活動シミュレータ連携)

なぜ水資源の循環に着目されたのでしょうか?

現在、地球環境の問題において最も注目されているキーワードは二酸化炭素ですが、水も人間社会や経済活動と密接な関係を持つ重要な資源です。特に農業・林業・漁業などの一次産業では、水不足による「水ストレス」が生産性に大きな影響をおよぼしますし、人間のウェルビーイング(身体的、精神的、社会的な健康)を保つ上でも水は不可欠です。さらに、水は国境を越えて広範囲に循環するため、二酸化炭素と同様に地球規模の視点で考えなければならない要素です。

「水ストレス」とは、どのような状態をさすのですか?

水ストレスとは、水の循環バランスが崩れることで環境に負荷がかかっている状態を意味しています。具体的には、ある地域で利用可能な水の量(たとえば、降雨や河川からの流入によって得られる水の量)と、その地域での水の使用量(農業や工業用途などでの使用量)とのバランスなどによって算出されます。

利用可能な水の量と使用量の最適なバランスが保たれた状態では、水ストレスは発生しません。しかし、使用する水の量が利用可能な量を上回ると水ストレスが高まり、この不均衡が環境や社会に負の影響をおよぼす可能性があります。

水ストレスが特に高い地域としては、アフリカのニジェール川流域のような干ばつの被害が深刻な地域が挙げられます。こうした地域では、水資源の適切な管理が行われなければ、水ストレスは確実に高まっていきます。私たちが行った連成シミュレーションでは、人間の活動をコントロールすることで、水ストレスをある程度抑制できることがわかりました。

この成果をさらに掘り下げていくことで、特定の地域における水資源の管理方法を改善し、将来的な水ストレスの軽減につながる価値ある情報を提供できるようになると考えています。

3. 未来を支える「豊かさ」の新たな指標

連成シミュレーション技術から生まれる成果は、「豊かさ」という私たちの価値観にも影響を与える気がします。

近年、経済の発展をGDPの成長率で評価する手法が見直されるようになり、包摂的サステナビリティをベースとした社会の発展をめざす「Beyond GDP」の時代へと移り変わりつつあります。この新たな時代の豊かさを測る指標として、私たちが注目しているのが「Inclusive Wealth Index(IWI: 包括的富指標)」です。

日本では「新国富指標」とも呼ばれるInclusive Wealth Indexは、GDPが経済活動の拡大に焦点を当てているのに対し、経済だけでなく自然資本や人間資本の価値も考慮することで、より包摂的な豊かさを測るための指標です。

自然資本は、水や大気、生物多様性などを社会の資本として捉え、その損失を経済的なコストとして考慮する概念です。一方の人間資本は、健康や教育を含む人々の生活の質を豊かな社会を支える指標とする概念です。

GDPでは考慮されない自然の価値や人々の幸福度を評価することで、持続可能な社会の発展をめざすInclusive Wealth Indexは、包摂的サステナビリティの指標としても非常に重要です。これを活用することにより、私たちが研究に取り組むシミュレーションのモデルが、この指標の方向性に合致しているかを検証することで、未来への貢献度を測ることが可能になります。

河田さんが取り組まれている研究の成果が、自然環境、人間社会、そして技術の新たな関係性を創造していくということですね。

人間が自然環境とのよりよい関係性を築いていく上で、技術は重要な役割を果たすと考えています。新たな技術によって人間や社会そのものの行動変容が促され、自然との調和を実現することが、私たちが追求する包摂的サステナビリティです。

もちろん、技術だけですべてが解決するわけではなく、そもそもの人間の生き方や地球との共生における意識改革も必要です。技術は持続可能な未来への歩みを支援するひとつの手段であり、このバランスを見極めていくことが重要だと思います。

4. 人々に新たな驚きや感動を与える研究の醍醐味

現在の研究に関心を持つようになったきっかけは、どこにあったのでしょうか?

大学で工学を学んだという経緯はありますが、技術によって人々の生活が本当に変わることを実感したことが、本質的なきっかけだったと思います。私がNTT研究所に入所した当初は、ヘッドマウントディスプレイやウェアラブルデバイスなどが新たな技術として注目されていました。

パソコンなどのデバイスが単なる机上の道具でなく、私たちに寄り添いながら生活を大きく変える可能性を感じました。それから20年という時間が経過し、実際に新たな技術が私たちの生活を変化させるようになりました。現在の研究に没頭するようになったルーツも、こうしたところにあると思います。

研究のなかで大切にされていることはありますか? 現在の研究成果の社会実装についてもお聞かせください。

研究という仕事の魅力は、その成果によって人々に驚きや感動を与えられることだと思っています。「気づいてはいないけれど、実は必要としているもの」が目の前に現れたとき、人は驚きや感動を覚えます。そうしたものをつくりたいという気持ちを、いつも大切にしています。

これまで大企業では、優れたアイデアがあっても世に出るまでに長い時間がかかることが課題とされてきました。しかし、最近は大企業もベンチャー企業のような動きが求められるようになり、そのギャップは少しずつ解消されつつあります。特に新しい研究分野においては、革新的なアイデアを素早く市場に投入し、そこから得られるフィードバックを改善につなげていくことが重要になっています。

環境社会循環予測技術グループは、包摂的サステナビリティの実現に向けた強い意欲を持った人材で構成されていますので、パートナーとのベンチャー企業の設立なども視野に、研究成果を迅速に社会実装するための方法を模索していきたいと思います。

最後に、これからNTT宇宙環境エネルギー研究所で仕事がしたいと考えている方々にメッセージをお願いします。

同じ環境で働く仲間としては、自身の研究テーマの高い目標を持っている人がいてくれることは非常に刺激的です。それぞれが異なる目標を持ちながらも、同じ方向性のなかで切磋琢磨し合うことで、新しいアイデアが成果として具現化していくプロセスは、研究の醍醐味だと思います。

NTT宇宙環境エネルギー研究所は、個々の研究者が考える「やりたいこと」に対して、それをどのようにして形にするか、どのようなスキルや知識が必要かを考えるための機会を提供してくれます。そうした環境に飛び込んでスキルを磨き、社会に貢献していきたいという理念を共有できるすべての方々を私たちは歓迎します。

日本電信電話株式会社外からの寄稿や発言内容は、
必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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