更新日:2021/06/14
今、人類は過去に類をみない新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経験しています。そこでNTTは、心身の状態の未来予測を通じて、未知なるリスクを回避し、健康で将来に希望を持ち続けられる医療の未来の実現に貢献するため、2020年11月に医療健康ビジョン「バイオデジタルツインの実現」を発表しました。本特集では、医療健康ビジョン、およびバイオデジタルツインの要素技術である、生体情報の取得・分析や体内での治療の実現に向けた最新の技術内容について紹介します。
中島 寛(なかしま ひろし)†1/林 勝義(はやし かつよし)†1、†2
後藤 秀樹(ごとう ひでき)†3
NTT物性科学基礎研究所†1
NTT研究企画部門†2
NTT物性科学基礎研究所 所長†3
人類は新型コロナウイルス感染症のパンデミックの真っただ中にあり、日常生活や医療、社会システムに深刻な打撃を受けています。感染者の症状は、重症度、致死率や予後に地域差や個人差が大きく、生体の未知な領域の広さと深さを改めて思い知らされています。今もなお、市民と医療従事者の安全確保、市民生活の維持が喫緊の課題となっています。
私たちNTTは、人類が未知なるリスクを乗り越え、安心・安全な生活を送り、自分らしく幸福な人生を歩んでいくために、心身の健康に加えて、将来への希望を持ち続けられることが重要であると考えています。これらの実現には、未知なるリスクによる生体の異常を早期にとらえ、病気の発症や重症化の因果関係を踏まえた予防・治療とともに、要介護者や障がい者支援の個別化・最適化がこれまで以上に求められていると考えています。
そこでNTTでは、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)の構成要素の1つである、デジタルツインコンピューティングによって人それぞれの身体および心理の精緻な写像(バイオデジタルツイン:BDT)を実現することをめざしています(図1)。BDTを通じて心身の状態を予測し、人間が健康で将来に希望を持ち続けられる医療の未来への貢献をビジョンとして定めました。BDTは個人ごとの写像だけでなく、不特定多数の個人の集合体の写像を形成することも可能であると考えられます。また、ここで述べる医療には、医療従事者によって提供される医療のほか、ヘルスケア、介護、障がい者支援などが含まれます。
心身の未来を予測するためには、①臓器機能のデジタル写像化が必要です。今後、患者数が急増すると予測され、発症すると著しくQoL(Quality of Life) が低下する心疾患に着目し、心臓のモデル化の検討から着手しています。また、生体は環境や負荷に対応して時々刻々と変化しています。そこで、②心電、心音、血糖値などバイオマーカーの生体情報は、心身に負担が小さく、常時もしくは適時に測定することが必要となります。さらには、③人の行動メカニズム、心理、複数の臓器が連関した疾患など、複眼視的心身状態の予測シミュレーションが必要となります。加えて、未来の予測だけではなく、具体的な治療や支援につなげていく必要があると考えており、④体内の超ミクロ領域での診断・治療、⑤介護や障がい者支援につながる、中枢神経系からの信号に沿った四肢動作の制御にも着目しています。これら5つの各ゴールに到達するために、人それぞれをデジタルツイン化する技術、人それぞれの個性をとらえる心身の非侵襲リアルタイムセンシング技術、心身の状態の未来予測技術、思考や行動の分析技術、生体適合性の高い材料を用いたインプランタブルデバイス・バイオミクロロボット技術、生体内における情報伝達・制御技術などの研究開発を進めています。例えば、心臓のモデル化では、心臓の右房圧や肺動脈圧等のデータ入力により、中心静脈圧や心排出量などを出力する血行動態モデルをベースとして、心血管系が自律神経や血液容積などを瞬時に制御する機能のシミュレーションを行っています。この知見を基に、生活習慣や日常のストレス等による長い時間軸での負荷の調節など、重層的に働いて全身の恒常性を保つ機構に着目して検討を進めています。
またBDTは、本人の同意の下に個人情報を用いて構築されます。個人情報には、前述したリアルタイムに収集されるセンシングデータのほか、ゲノムやタンパク質のような臓器機能の分子生物学的な情報や、生理状態に影響を与える運動や食事、行動履歴などの情報が含まれます。このため、NTTグループ各社のアセットを活用して、個人データの収集・活用に取り組むとともに、注意深くプライバシや倫理面への配慮を行っていきます。さまざまな情報を基に構築されたBDTを用いることで、その人の思考や取り巻く環境の影響等も踏まえた、過去から未来にわたる心身の状態の評価が可能となります。個々人では対処が難しい未知なるリスクをも予測し、回避できるのではないかと考えています。ほかにも、投薬の効果や手術の事前シミュレーションによる治療効果の最大化や、健康のために食事等を無理に抑制せず、個々人の行動メカニズムから導き出される無意識下での自然な生活習慣の改善などが期待できます。さらに、高齢者のその人らしい自立した生活支援など、さまざまなユースケースで活用されることを目標としています。
医療健康分野は、ICT化やAI(人工知能)分析の導入が進みつつあり、遠隔・非接触・日常・在宅での最先端の診断・治療技術を取り入れながら大きく変革しようとしています。また、日々手軽に自分のからだの調子を知ることができるウェアラブル型のヘルスケアデバイスは、端末にさまざまな計測機能が追加され、IoT(Internet of Things)時代の訪れとともに世界的に競争が激化しています。そのような背景の中、NTT研究所では医療健康分野の国内研究拠点として、2019年7月にバイオメディカル情報科学研究センタ(BMC)を設立しました。ICTやAI技術を活用したデータ駆動型の医療やヘルスケアを創造することをミッションとし、医療健康ビジョン実現に向けて、関連研究所と横断的に連携しながら研究開発を推進しています。
NTT研究所では、バイオデジタルツインの構成要素となる「心身の未来予測技術」「生体センシング技術(ウェアラブル・遠隔・非侵襲)」「心臓異常検知・予知技術」「体内ミクロ治療技術」などのテーマを柱に、基礎から応用研究まで幅広く取り組んでいます(図2)。また、同じく2019年7月に設立された海外研究拠点のNTT Research, Inc. 生体情報処理研究所(MEI Labs.)とともに、世界的視点も取り入れて研究開発を加速し、グローバルパートナーとのコ・イノベーションを推進しています。さらにNTTグループ会社と深く連携し、医療健康分野での商用サービスの領域拡大を図っていきます。進歩の速い医療健康分野おいて、スピーディに成果をあげ、医療健康ビジョンに即した社会実装をめざすためには、NTTグループだけでは医療系技術の確立や社会的・臨床的・先進的ニーズの把握が困難な面もあります。そこで、国内・海外の医療機関・研究機関・大学やパートナー企業、NTTグループが保有する病院などと協業・共創しながら研究開発を進めていきたいと考えています(図3)。本特集における医療健康ビジョンの実現に向けた具体的な研究開発内容は、各記事をご参照いただき、ここでは各テーマの概略を紹介します。
まず、『生活習慣病・要介護に関係するリスクと要因分析の取り組み』(1)では、個人の性質や生活習慣に合わせた保健指導などをめざして、機械学習やAIを用いた疾病発症リスクの予測や要因分析について紹介します。今回は主に、ゲノム情報を考慮した疾病発症の要因分析と、要介護予防のためのロコモ度予測について概説します。続いて、『プラスな心的変化をもたらす行動変容支援技術』(2)では、医療費削減などの社会課題の解決に向け、生活習慣改善などによる健康増進が課題となっている点に着目しています。その人らしさに合わせたアドバイス提示による生活習慣改善(行動変容)に向けた研究開発テーマについて紹介します。『体内リズムの可視化をめざしたウェアラブル深部体温センサ技術』(3)では、風邪や感染症の指標や、不眠・うつなどの体内リズムの指標となる、からだの深部体温の生体センシングについて紹介します。これまで簡便な測定が困難であった深部体温の日常連続モニタリングを、体への負荷のないウェアラブルデバイス技術で実証しています。次に、『生体音と心電信号の新たな計測と解析の技術─パーソナル心臓モデリングによる心疾患の早期発見・リハビリ応用に向けて』(4)では、装着型音響センサアレイによる生体音の計測の手法や、hitoe®によるテンソル心電図等の新たな生体信号計測・解析技術を紹介します。将来のバイオデジタルツインの核技術となるパーソナル心臓モデリングや心臓の異常検知・未来予測技術、およびリハビリテーションへの応用について展望します。最後に、『医療健康の未来を拓くバイオニクス技術』(5)では、将来の体内ミクロ治療技術を見据え、生体系と工学系の分野を橋掛けする生体工学(バイオニクス)技術に着目しています。①生体系の知識を工学系に活用し、生体の形・動きを模倣するソフトマテリアルデバイス技術、②工学系の知識を生体系に活用し、生体信号を処理して再び生体へ還元して動かす生体人工頭脳学(バイオサイバネティクス)技術について紹介します。生体模倣デバイスは、臓器モデルや多臓器連結モデルを細胞・生体材料レベルから再現・評価可能なことが期待され、一方バイオサイバネティクスでは、リハビリやハンディキャップ支援に向けての技術提供価値が高く、双方とも挑戦的な研究であると考えています。
前述のように、医療健康ビジョン「バイオデジタルツインの実現」に向けて、さまざまな技術分野の研究開発テーマに取り組み始めています。今後も精力的にNTTグループ関係者の皆様、外部パートナーの皆様と深く連携・共創しながら、研究開発の側面から人と社会全体のウェルビーイングの向上に貢献していきたいと考えています。
バイオデジタルツインは、NTTグループだけでは到底実現できません。このビジョンをさまざまなパートナーの皆様と共有し、そしてこれまで以上に連携を図り、研究開発等の具体的なアクションを通じて着実に目標に近づいていきたいと考えています。