社会システム変容の研究と有識者のコラム集 コラム⑤ ネット言論
「小学生の将来の夢ランキング、上位にYouTuber」
――こういったニュースを聞いて、驚いた人も多いのではないだろうか。
近年、若い世代を中心に、価値観に大きな変化がもたらされている。これまでの社会では、モノの豊かさや富を築くこと、所有することが重視されてきた。それが最近では、つながりや感謝されること、心の豊かさを重視するようになってきている。とりわけ若者たちが、人気YouTuberやTwitter・Instagramでフォロワー数の多い人といったインフルエンサーに憧れるのは、彼ら彼女らが多くの人に価値あるコンテンツ・情報を提供して、色々な人とつながり、色々な人に感謝されているからに他ならない。経済的な豊かさだけでなく、ウェルビーイング(1)を重視する社会になったといわれるが、その背景の1つに、ネットとソーシャルメディア(2)の普及による人と人とのつながりの拡がりと価値観の変化があるのだ。
実際、GDPに反映されない大きな価値を、ソーシャルメディアが生み出していることが分かっている。筆者が以前、無料のソーシャルメディア利用が人々にもたらしている幸福感・満足感(消費者余剰)を推計したところ、年間約15.7兆~約18.3兆円であった。これは2016年当時の名目GDPの約3.20~約3.74%にあたり、銀行(15.9兆円)や電力(19.3兆円)の市場規模に匹敵する。2016年のデータを使って分析しているものなので、さらにこの価値は増加しているだろう。
しかしそのネットが、同時に、人々のウェルビーイングを脅かしているという皮肉な状況になっている。典型的な例が、ネットの誹謗中傷問題であろう。ネットテレビ番組に出演していたプロレスラーの木村花さん(享年22歳)が、ソーシャルメディアでの誹謗中傷を背景に、2020年5月に自ら亡くなってしまったのは記憶に新しい。
シエンプレ デジタル・クライシス総合研究所の調査によると、ネット上で批判や誹謗中傷が殺到するネット炎上は、2020年に1,415件発生していた。うるう年でも1年は366日しかないため、これは1日当たり約4件の計算で、今日もどこかで誰かが燃えているというのが炎上の現状といえる。さらにこの件数は、新型コロナウイルス登場後に増加している。例えば、緊急事態宣言が初めて出た2020年4月の炎上件数は、前年同月比でなんと3.4倍にも達していた。
その影響は大きい。個人であれば進学・結婚の取り消しや、前述したように自死するケースも出ている。また企業であれば、中規模以上の炎上(3)では平均的に0.7%、株価が下落することが分かっている(慶應義塾大学教授の田中辰雄氏の研究による)。これは航空機事故や化学工場の爆発事故による株価の下落幅に匹敵する。
炎上の特徴は3つある。第一に、誹謗中傷や個人情報の流布といった個人攻撃がメインとなり、議論が起こらないことだ。炎上では炎上対象に非がある場合も少なくないが、その内容についてはほとんど議論にならず、個人や企業が社会的制裁を受けるまで燃やし尽くす。
第二に、可視性(発信した情報が誰にでも見える性質)、持続性(ネット上に書き込まれた内容がいつまでも残り続ける性質)、拡散性(ソーシャルメディア上で情報が容易に拡散される性質)がある点だ。これらにより、従来の批判集中とは全く異なる規模となった。
第三に、ネットは過剰性を持つことだ。この場合の過剰性とは、制裁の過剰である。法治国家にもかかわらず、人々が個人の価値観や正義感で誰かを裁き、批判・誹謗中傷して過剰な制裁を加えている。例えば学生がアイスケースに入った写真をアップして炎上したことがあるが、個人情報がネット上で拡散され、退学や罰金などの罰を受けるだけでなく、長期間にわたりまともに社会生活を送ることが困難になった。
さらにマクロ的な社会的影響として、表現の萎縮がある。ネット上で何かを言えば、どこからともなく攻撃的な人がやってきて誹謗中傷されるといったことは日常的に起こっている。そのため、政治、ジェンダー、安全保障など、重要なイシューほどネット上では言いづらい。これを読んでいる読者の中にも、ネット上で政治の話をするのはやめようと思っている人が多いのではないだろうか。
このように頻発し、社会に大きな影響を及ぼしているネット炎上。ひとたび炎上が起こると、ソーシャルメディア上は攻撃的な書き込みで溢れ、社会全体が批判しているように見える。攻撃されている側からすると、まるで世界中が敵になったように映っていることだろう。
しかし、筆者が2020年の炎上事例についてTwitterで書き込んでいる人の人数を分析したところ、驚くべき実態が分かった。なんと炎上1件に書き込んでいる人は、多くの場合ネットユーザのおよそ0.00025%以下(40万人に1人)にすぎなかったのである。さらに、書き込んでいるのはごく少数というだけではない。その書き込みをしているごく少数の中の、さらにごく一部が、炎上の大部分を占めているという事実もある。あるサイエンスライターが誹謗中傷を受けて裁判を起こした事例が、それを顕著に表している。当該サイエンスライターに対して「娘に淫売を強要」等と根も葉もないデマで長期間中傷していた男性は、Twitterで数百のアカウントを作成し、そのアカウントを駆使して次から次へと攻撃を繰り返していたのだ。
このネット上に現れる少数の意見は、残念ながら社会の意見を代表したものではなく、非常に大きな偏りがある。筆者は以前、20代~60代の男女約3千名を対象としたアンケート調査を実施し、意見の強さとソーシャルメディア投稿行動の関係を分析した。具体的には、ある1つの話題――ここでは憲法改正――に対する「意見」と、「その話題についてソーシャルメディアに書き込んだ回数」を調査し、分析した。分析では、「非常に賛成である」~「絶対に反対である」の7段階選択肢を用意し、回答者の意見とソーシャルメディアに投稿した回数を収集した。
そのデータから、社会の意見分布とソーシャルメディアでの投稿回数分布を分析した結果が図1である。まず、社会の意見分布は、「どちらかといえば賛成(反対)」「どちらともいえない」といった中庸的な意見の多い山型の意見分布となった。しかし、ソーシャルメディアの投稿回数分布は、最も多いのが「非常に賛成である」人の意見(29%)で、次に多いのが「絶対に反対である」人の意見(17%)という、谷型の意見分布になったのである。この強い意見を持っている人たちは、社会には7%ずつしか存在していなかったにもかかわらず、ソーシャルメディア上では合計46%の意見を占めていたのだ。
このように極端な意見ばかりが表出する背景には、ネット言論の根源的な特徴がある。それは、ネットとは、人類が初めて経験する「能動的発信だけの言論空間」であるということである。例えば、テレビや新聞で実施されるような世論調査では、質問をして意見を収集しているため、受動的な発信しかない。だからこそ、社会の意見分布に近い意見が収集される。また、通常の会話においても、発信は能動的なものと受動的なものが入り混じる。しかし、ネットではそういうことはない。仮に極端な意見や誹謗中傷的な発言をしたところで、それを止めるような司会もいない。強い想いを持ったら、その強い想いに乗ったまま、何の気兼ねもなく次から次へと発信していくのが可能なのである。その結果、ネットに現れる意見は強い想いを持った極端なものが多くなり、誹謗中傷の量も多くなるのだ。
実は、男性、世帯年収高め、主任・係長以上といった属性に当てはまると、炎上に参加しやすい(書き込みやすい)傾向にあることが分かっている。例えば、炎上参加者の世帯年収の平均値は、炎上非参加者に比べて100万円以上も高い。また、炎上参加者の中で主任・係長クラス以上の人は31%いるのに対し、炎上非参加者の中では19%しかいないのである(図2)。「独身で教養が低く、暇を持て余しているネットのヘビーユーザが、1日中パソコンの前で書き込んでいる」という従来持たれていたイメージとは異なり、一般的、あるいは少し裕福な人のほうが、炎上に書き込みやすいといえる。
では、なぜ一見すると人生に不満などなさそうな属性の人が、炎上に参加しているのだろうか。そこに実は本稿のテーマのウェルビーイングがある。ハーバード大学による幸福の研究では、人間の幸福や健康に直接的に関係のあるものは、年収でも学歴でもなく、人間関係だということが明らかになった。主任・係長クラス以上で年収高めであっても、家庭内で不和を抱えているかもしれない。そういう場合には、その人は結局幸せな状態ではないのである。そして人は不満を抱えるほど攻撃的になり、他人が許せなくなる。
実際、「社会・他人に対して否定的(不満を持っている)」「攻撃性がある」といった内面的特徴を持っていると、炎上に参加しやすいことも、研究から分かっている。ネットで誹謗中傷を書く「極端な人」とは、一見すると幸せそうに見えても、実は全く満たされていない人たちなのである。
ネット言論を取り巻く問題は、このようなネットの誹謗中傷と意見の偏りだけではない。例えばフェイクニュースが世界で問題となっている。フェイクニュースが蔓延すると、人々の前提が異なってしまう(5)ために議論ができなくなり、社会は分断していく。ニューヨーク大学准教授のハント・アルコット氏らの研究では、2016年の米国大統領選挙前3か月間で、ドナルド・トランプ氏に有利なフェイクニュースは約3,000万回、ヒラリー・クリントン氏に有利なフェイクニュースは約760万回、合計約3,760万回もFacebookでシェアされたという。さらに政治的なものだけでなく、新型コロナウイルスやワクチンに関するデマの中には、人々の健康や命を脅かすようなものまであった。
ネットの普及で人々は広く・濃くつながるようになり、それ故にウェルビーイングを重視するようになった。そして実際にネットが可能にした人々の情報発信・共有は、経済に反映されない多くの価値を生み出し、人々のウェルビーイングを高めている。しかし同時に、そのネット言論が、新たな問題を大規模に引き起こし、人々のウェルビーイングを損なうこともしているのである。
これらの諸課題に対して、人々は何ができるだろうか。最もマクロ的なことでいうと、人々のウェルビーイングを高めることが非常に効果的だろう。先述したように、満たされていない攻撃的な人が、ネットで誹謗中傷を書いているのだから、人々の満足感を高めればよい。しかしこれは本質的ではあるが、すぐに実現するのは困難だ。
より具体的な社会的対処を考える際に、重要なのは、ネットのポジティブな点を残しつつ、ネガティブな点を押さえこむことである。安易な強い法規制は表現の自由を脅かし、社会全体のウェルビーイングにとってマイナスの影響をもたらす。例えば、韓国が2007年に先駆的に導入していた制限的本人確認制度(インターネット実名制)は、2012年に違憲として廃止された。この法制度では、全体的にネット上の投稿数は減少したものの、悪意のあるコメントの割合がほとんど変わらなかったことが、研究で示されている。本件は、ネット全体に関わる強い規制が、表現の過剰な萎縮をもたらす一方で、ネット言論の環境改善には効果が限定的ということを示唆している。
そういったことも踏まえ、政策としては、被害者に寄り添う法整備の推進が重要だ。例えば2022年秋に施行予定のプロバイダ責任制限法の改正案によって、被害者が匿名の攻撃者を特定する手間が簡略化される。また、改正刑法により侮辱罪が厳罰化され、新たに1年以下の懲役・禁錮または30万円以下の罰金などが加わることになった。これらの法改正は表現の自由を損なわない形で被害者を救済すると考えられるため、このような政策的検討をより進めていくのが重要だろう。
プラットフォーム事業者の取り組みも欠かせない。プラットフォーム事業者には、原則として自由な言論の場を提供しつつ、規約を適切に運用し、悪質なユーザには厳格に対応していくことが求められる。その際にどういった基準でどれくらい対応したかといったことを明らかにする、透明性・アカウンタビリティの向上は極めて重要である。また、日本ローカルでのユーザ対応を手厚くすることも大切だ。
また、アーキテクチャ上の工夫の推進も求められる。現在もブロックやミュートなど様々な機能が実装されているが、さらに有効なものを実装・運用していくことが期待される。例えば、現在Twitterの英語版やTikTok日本語版など一部のソーシャルメディアで実装されている機能に、ReThink機能がある。ReThink機能とは、ソーシャルメディアでユーザが誰かに攻撃的な投稿をしようとした時に、それを検知して「本当にこの内容を送りますか?」といったようなメッセージを表示する機能である。Twitter英語版の実験では、これが表示された人の34%が、内容を修正するか削除するかしたという。さらに一度表示された人は、その後そのような投稿をする確率が11%低下したということも分かっている。このようなアーキテクチャ上の工夫を、ソーシャルメディア全体に拡げていくことが重要だ。
業界団体には、相談窓口の拡充やソーシャルメディア利用に関する啓発活動が求められる。マスメディアには、ネット炎上の拡声器になって誹謗中傷をネットに溢れさせないような工夫や、批判を煽らない番組作りが求められる。教育の面では、ネット上での言葉遣いも良識に従うといった情報の発信だけでなく、ネット上の情報の偏りやフェイクニュースが含まれるといった情報の受信についての教育・啓発の充実が求められる。
重要なのは、ネット言論の問題について有効な特効薬はないということを認識したうえで、各組織・人がそれぞれ適切な対策をとって一歩ずつ前へ進んでいくことである。これまで、政策、プラットフォーム事業者の対策、業界団体の対応、マスメディアの対応、教育といった様々な面から対処方法を考察してきた。これらを一歩一歩進めていくことが、ネット言論の諸問題の影響力を弱め、良い部分を大きくすることにつながっていくだろう。
その際には、我々一人ひとりもまた変わっていくことが重要だ。誰もが自由に発信できるような「人類総メディア時代」になってまだ数十年しか経っていない今の状況では、人々はどのようにこの情報過多の社会に接していいか分かりかねている。だからこそ、本稿で書いたようなネット言論の実態を一人ひとりが知ったうえで、適切にネットと付き合う必要がある。
そしてこのような時代だからこそ、当たり前の道徳心――「他者を尊重する」――ということが一人ひとりに求められる。他者を尊重するというのは、要するに「他人」と「自分」をフラットにみて、相手のことに想いを馳せるということだ。そうすれば、自分がやられて嫌なことを相手にしたら、相手がどう思うか想像できる。だからそれをしなくなる。もし、全人類が他人を尊重できていれば、誹謗中傷や炎上も、フェイクニュースも、ネットいじめも、ありとあらゆるネット上の問題は起きないはずだ。そう、この当たり前の道徳心こそが、人々のウェルビーイングを最大にするような、豊かな情報社会の実現に最も重要な要素なのである。
最後に、ソーシャルメディアというサービスは非常に革新的なものであるが、これはあくまで情報社会の黎明期に誕生した1つのサービス形態にすぎないことを忘れてはいけない。いまや、人工知能によって、誰かが頭の中で思い描いている映像を、デジタル上に描写することができるようになってきている。他者の感覚情報を、センサーによってデジタルで共有できる技術も日進月歩で発達している。このような技術が将来普及すれば、間違いなく人同士のつながりは今より広く、濃くなっていく。そうすれば、人々は他者との関係性の中で、自分たちの本質により一層向き合わなければならなくなる。本質とはつまり、人間は他者を尊重できる生物か、それとも独善的で自分本位な生物かということだ。
これは人類にとって非常に大きなハードルであるが、それと同時に、これを乗り越えることは大変意義のあることでもある。これをただ「解決すべき問題」「解決が難しいからもうどうしようもない」と単純化するのではなく、受け入れたうえで、より豊かな情報社会を皆で考えて向かっていった先に、人類に新しいステージがあるのではないか。このネットのもたらした現象を乗り越えることは、次なる時代のための進化であり、それこそが人々のウェルビーイングを高めていくのである。
そして筆者は、人々がこの進化を遂げると信じてやまない。なぜなら、人はこれまでも、数多の問題を解決してきて今の社会を築き上げてきたからである。
山口 真一
1986年生まれ。博士(経済学・慶應義塾大学)。2022年より国際大学GLOCOM准教授・主幹研究員。専門は計量経済学。研究分野は、ネットメディア論、情報経済論、情報社会のビジネス等。「あさイチ」「クローズアップ現代+」(NHK)や『日本経済新聞』をはじめとして、メディアにも多数出演・掲載。KDDI Foundation Award貢献賞、組織学会高宮賞、情報通信学会論文賞(2回)、電気通信普及財団賞、紀伊國屋じんぶん大賞を受賞。主な著作に『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社)、『なぜ、それは儲かるのか』(草思社)、『炎上とクチコミの経済学』(朝日新聞出版)、『ネット炎上の研究』(勁草書房)などがある。他に、東京大学客員連携研究員、早稲田大学ビジネススクール兼任講師、株式会社エコノミクスデザインシニアエコノミスト、日経新聞Think!エキスパート、日本リスクコミュニケーション協会理事、シエンプレ株式会社顧問、総務省・厚生労働省の検討会委員などを務める。