海の森を育て、未来へつなげる「藻場生育予測技術」の研究

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、社会課題の解決に向け多様な人材を募集しています。

折田 まりな(おりた まりな)

NTT株式会社宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクト 地球環境未来予測技術グループ 研究員
九州大学工学部を卒業後、2023年に同大学大学院工学府修士課程を修了(修士(工学))。専門は環境工学。2023年に入社後、海洋酸性化環境における藻場生態系の変化予測に関する研究テーマを立ち上げる。現在はこのテーマを発展させ、藻場関連事業を見据えた研究開発に従事。

海は多様な生物を育む場として、私たちの暮らしや生態系を支える重要な存在です。しかし近年、地球温暖化に伴う海水温の上昇や海洋酸性化、極端気象などによって海洋環境は大きく変化しており、海洋生物の生息域や生態系にもその影響がおよんでいます。こうした環境変化の影響を受けている海洋生態系において、藻場は多様な生物の生息・生育を支えるとともに、二酸化炭素(CO2)の吸収・固定においても「海の森」としての重要な役割を担っています。
宇宙環境エネルギー研究所の地球環境未来予測技術グループは、海洋生態系を効率的にモデル化することにより、将来の海洋環境や生態系の変化を予測する研究を行っています。そのひとつとして海藻藻場に着目し、その生育や分布の変化を評価する「藻場生育予測技術」の研究を進めています。今回は、この研究に携わる入社4年目の若手研究員である折田まりな氏に、研究内容や自身の取り組みへの思い、今後の展望について話をうかがいました。

1. 海洋生態系の未来を読み解く

まず、折田さんが所属するグループで取り組まれている研究テーマについてお聞かせください。

私が所属する地球環境未来予測技術グループは、豊かな社会と多様な生物が共生できる地球環境を実現するため、①複数の領域を横断した地球観測データの統合分析によって、②人間活動の影響を受ける複雑な海洋生態系をモデル化し、③高精度・高速なシミュレーションを行うことで、変化していく地球環境に生態系が適応する道筋を明らかにすることを大きな研究ビジョンとしています。

そのなかで私は②の領域で、海洋生態系未来予測技術の確立をめざし、「海洋生態系モデル」の研究開発に取り組んでいます。海洋生態系モデルは、栄養塩(リンや窒素など)、プランクトン、魚類、海藻などを含む生態系における物質循環、いわば海の仕組みを数式化してコンピュータ上で再現し、人間活動の影響を含めたさまざまな環境条件下で海洋生態系がどのように変化するかを予測するためのものです。

海洋生態系モデルの構築には、予測したい対象や目的によって必要となる入力情報の種類や粒度が異なるため、現場観測、衛星観測、水槽実験などで得られるさまざまな情報を組み合わせています。現場観測では、対象となる海域にブイやセンサーなどを設置してデータを取得したり、海水を汲んで実験室で分析したりすることで実際の海の状態を詳細に把握します。しかし、これには大きな労力とコストが必要となるため、衛星データなどの公開情報も活用しながら海洋環境の概況を捉えることも行っています。

また水槽実験では、実際の海では複雑に影響し合う環境条件を制御することで、水温や栄養条件など環境が生物の成長や生態系に与える影響を部分的に明らかにし、モデル構築に必要な情報を得ています。こうして得られた情報を組み合わせて、より現実に近い海洋生態系の将来予測をめざしています。

2. 藻場の生育を予測して「海の森」を育てる

折田さんは海洋生態系の藻場に着目した「藻場生育予測技術」を研究されていますが、この研究はどのような経緯でスタートしたのでしょうか?

入社した当初は、将来的に深刻化する環境問題のひとつである海洋酸性化に着目し、海洋酸性化が生態系に与える影響を予測する研究に取り組んでいました。海洋酸性化は、殻をもつ生物の殻形成や成長を阻害するほか、藻類の分布にも影響します。また、こうした影響は個々の生物だけではなく、海洋生態系全体にも大きな変化をもたらす可能性があります。

しかし、予測結果を実際の社会課題の解決につなげるには、無限の種が存在する海洋生態系の中でより具体的な対象に焦点を当てることが重要だと考えるようになりました。そこでブルーカーボン※1にもつながる「海の森」としての重要な役割を担う海藻藻場に焦点を当て、まずは酸性化した環境での藻場の生育予測に取り組むことにしました。現在はこれまでの研究を発展させ、酸性化の影響に限らず、藻場がどのような環境で生息しやすく、どのように成長していくかを予測する「藻場生育予測技術」の研究を行っています。

※1 ブルーカーボン:沿岸域の海洋生態系において、海藻や海草などが光合成によってCO2を吸収し、海中や海底に蓄積される炭素のこと。

藻場の生育を予測するためには、どのような技術が必要なのでしょうか?

藻場生育予測技術の実現に向けて、現在は「藻場適地適種推定モデル」の研究を進めています。海域環境や生育条件をもとに、どのような場所が藻場造成に適しているか、どのような種がより生存しやすいかを簡易的に推定するための技術です。
藻場適地適種推定においては、生物の生育環境の適性を評価するHSI(Habitat Suitability Index)モデルを活用しています。HSIは、水温や栄養塩、光量などの環境条件から、生物が生育する場としての適性を数値で評価する指標です。対象生物の生育に影響する複数の環境項目について、それぞれの適性度を評価して統合することにより、対象生物の生育適性度を0~1の指標で評価します(0:不適、1:適)。

私たちの研究の独自性は、このHSIモデルと前述の海洋生態系モデルの考え方を組み合わせる点にあります。現在のHSIモデルは、現場で取得したデータから算出することが多く、対象となる地点や時系列が限られてしまい、スポット的な把握にとどまっています。そこで、海洋生態系モデルで用いるような数式を組み合わせることで、HSIモデルの時間と空間の評価範囲を広げる手法の開発を進めています(図1)。

ある海藻を例として環境条件によって異なる生育適性を示したもの
図1.左のグラフは、ある海藻を例として環境条件によって異なる生育適性を示したもの。
独自モデルを活用することで、時空間的に補完し、より詳細な評価につなげている。水温、光量、窒素濃度、リン濃度など、海藻の生育に影響する環境項目ごとの生育適性度(SI)を統合し、対象となる海藻の総合的な生育適性度(HSI)を算出する。たとえば、水温15℃、光量20μE/m2/s、窒素濃度80μg/L、リン濃度10μg/Lの場合、各項目のSIを統合するとHSIは0.8となり、この環境は海藻の生育に比較的適している海域といえる。

しかし、HSIモデルは比較的シンプルである一方、海洋生態系モデルはバリエーションも多く非常に複雑で、専門的な知識がなければ構築や利用が難しいという課題があります。そこで、対象となる海藻にとって重要な環境項目に絞り簡易的に推定できるような、シンプルなモデルの開発に取り組んでいます。図2のように、藻場が生育しやすい場所が推定できる技術をめざしているのです。

独自のモデルとHSIモデルを組み合わせた藻場の生育適性マップのイメージ図
図2.独自のモデルとHSIモデルを組み合わせた藻場の生育適性マップのイメージ図

モデルの精度はどのように向上させているのですか?

モデルを構築する際は、実際の観測データを再現できるようにパラメータを調整することが重要です。海洋生態系モデルでは、海水の動きを表す物理モデルによって水温や塩分などの環境データを算出し、それらを用いて生物や物質の変化を表す生物化学モデルで海藻や栄養塩、プランクトンなどの量の変化を算出します。そして、出力した各生物量や物質量の予測値と観測値を比較することによって、パラメータを調整していきます。         

たとえば、リンの値が実際の観測結果と大きく異なる場合には、リンの計算に関わるパラメータなどを中心に見直し、設定した範囲内で観測データを最もよく再現できる値の組み合わせを探索します。このようなチューニングを繰り返すことで、モデルの再現性を高めています。         

3. 現場で活かされる予測技術をめざして

現在までの研究の進捗についてはいかがですか?

共同実験のパートナーとなる事業会社では、海藻のない海域に新たに藻場造成をする実証実験を計画しています。現在、この実験のなかで私たちの独自モデルを活用しやすいものにしていく検証を進めているところです。         

しかし、事業者の目線では、技術の中身だけでなく、現場観測の労力やコストの削減も重要となるため、どうすれば研究成果を現場で活かせるかという課題も感じています。そのため、衛星データや再解析データなどの公開データなどを工夫しながら活用することで、現場観測に頼らずに海域の概況を把握できる技術にする検討も進めています。         

学術的に進歩してきた海洋生態系の予測技術と、実際の事業で活用できる予測技術との間には、まだギャップがあると感じています。今後は事業会社や自治体、現場の方々の声に耳を傾けながら研究を進めていくことが重要だと考えています。         

今後の課題としては、どのようなテーマがありますか?

藻場造成前の評価ができる適地適種推定だけでなく、藻場造成後の評価もできるように、藻場がどの時期にどの程度成長するかを予測する藻場生育予測モデルの研究開発にも取り組んでいきたいと思っています(図3)。

藻場適地適種推定モデルや藻場生育予測モデルに関わる研究はすでに多くあります。しかし、藻場の生育予測技術を必要としていても、活用できるツールがまだ十分ではないと感じている方々もいますので、こうした技術を幅広く共有できるものにし、研究と現場をつなぐ橋渡し役になりたいと考えています。

さらに、ブルーカーボンが注目されるなか、海洋の変化に対応した生物の養殖やバランスの崩れた海の環境改善をしていくことも重要な課題となっています。私たちの研究で得られる技術を養殖業や地域創生事業にも活かし、海洋産業の発展にも貢献できればと考えています。

藻場生育予測技術における出力結果のイメージ
図3.藻場生育予測技術における出力結果のイメージ

研究にはどのような体制で取り組んでいるのですか?

藻場生育予測技術については、私自身の研究テーマとして担当しています。海洋生態系未来予測技術の確立をめざすチームとしては3名体制で、他のメンバーはAIなどの先端技術を活用した効率的なモデル構築の研究や、海洋生物の浄化作用を用いた海域環境の改善に関する新たな予測モデルの開発、それに伴う観測業務などを担当しています。それぞれメインの研究テーマは異なりますが、観測やモデル構築において重なりのある部分を分担および連携しながら、お互いの知見をもとに意見を交換することが多いです。

また、衛星データを扱う隣のチームにも藻場にまつわる研究者がいるため、月に数回意見交換をするなど、連携しながら研究を進めています。衛星から直接の取得が難しいデータについてどのように工夫をするか、どのサイトの公開データが活用できそうかといったモデルの入力データに関する検討や、藻場の研究に関する外部動向の共有などを行っています。

折田さんは入社4年目の若手研究員ですが、先輩や上司の方との関わり方について教えてください。

研究を進めるなかで疑問点や判断に迷うことがあれば、自分の考えを整理したうえで早めに上司に相談するようにしています。社内のチャットを活用したり打合せを設定したりするだけでなく、出社時は雑談のような形で直接話すなど、常にコミュニケーションをとりながら研究を進めています。頼りになる先輩方にも気軽に相談できる環境は、私にとって心強いです。

最後に、現在の研究環境も含め、宇宙環境エネルギー研究所ならではの魅力はどこにあるとお考えですか。今後の目標についてもお聞かせください。

大学では、月や火星などの天体の地下構造を振動の波から解析する研究をしていたので、就職活動では宇宙や地球にまつわる、よりスケールの大きな研究分野に関わる企業を志望していました。宇宙環境エネルギー研究所について調べるなかで、雷をドローンでキャッチしてエネルギー利用につなげたり、宇宙空間で太陽光発電をしてレーザ光として地球に送ったり、企業の研究としては斬新なものが多く、研究そのものがクリエイティブな組織だと感じました。

もちろん、研究の意義や新規性を上司にきちんと説明しなければなりませんが、その上で自分のアイデアを形にしていける自由度があって、面白いことに挑戦したいと考えている研究者が多いことも魅力だと思います。

現在取り組んでいる藻場生育予測の研究は、大学時代の研究とは対象も手法も大きく異なります。ただ、研究分野が変わっても、考え方や発想の部分でこれまでの経験が活かせることもあります。研究には失敗がつきものですが、そうしたときにA案、B案、C案と別の方法を考えながら進めていく過程にも面白さを感じています。

ひとつの専門分野を深めることも大切ですが、私は将来的に複数の分野を横断して新しい視点を生み出せる研究者をめざしています。宇宙環境エネルギー研究所は、幅広い分野の研究者から学びを得ながら、自身の研究の幅をさらに広げていける恵まれた環境だと思います。

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