海の微生物から、地球の重要な未来を予測する

地球は、約70%が海洋に覆われた水の惑星です。この海洋の中を生きる、植物プランクトンの活動をシミュレーションすることで、海洋生態系の解明から気候変動の予測を可能にする「海洋微生物繁殖予測技術」の確立をめざし研究しているのが、NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクトの地球環境未来予測技術グループに所属する入江凜研究員です。
※所属は取材当時のものです。

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、社会課題の解決に向け多様な人材を募集しています。

入江 凜(いりえ りん)

NTT宇宙環境エネルギー研究所 地球環境未来予測技術グループ 研究員
神戸大学工学部を卒業後、2017年に同大学院システム情報学研究科 博士前期課程を修了(修士(システム情報学))。専門は数値解析、物理シミュレーション。入社後はソフトウェアイノベーションセンタにて、OSやDBなどの高速化検討に携わる。2022年より宇宙環境エネルギー研究所にて、気候変動による海洋生態系への影響解明に向けて、海洋渦や乱流のシミュレーション技術の研究開発に従事。

1. 海洋の植物プランクトンは生態系のはじまりをつくる


現在の仕事について教えてください。

レジリエント環境適応研究プロジェクトの地球環境未来予測技術グループで、物理シミュレーション技術の研究に取り組んでいます。

地球環境未来予測技術グループでは、大気、海洋での気象や気候、人間活動の影響を受ける炭素循環や生態系といった生物化学的過程に対する地球規模での観測やモデリング技術、これらのモデルを高速・高精度に計算する技術の研究に取り組んでいます。

これらの技術を組み合わせてサイバー空間上でシミュレーションすることで、人間活動や環境負荷ゼロ等の地球再生を促す外的要因に対して、過去・現在・未来の地球環境の変化を再現・予測することをめざしています。

そして、私は地球環境の再生に向けて、海洋生態系の基礎生産をつかさどる植物プランクトンの生育分布を予測する「海洋微生物繁殖予測技術」について研究しています。

海洋の植物プランクトンは、地球環境に対してどのような役割を担っているのでしょうか?

植物プランクトンは、海洋生態系の一次生産者といわれています。光合成や化学合成によって炭素を含む無機物から有機物を生産し、生態系のはじまりをつくっているからです。また、光合成によって人間活動で発生する二酸化炭素の約4割を吸収し、海中に固定しているといわれています。
そのため、海洋の植物プランクトンの生育状況を把握することは、私たちの食料を支える海洋生態系や将来的な気候変動を予測する上で非常に重要といえるのです。

2. 海洋微生物繁殖の鍵を握る「渦」

海洋微生物繁殖予測技術について、具体的にどのような研究をしているのでしょうか?

植物プランクトンの進化や種別といった多様性を考慮したモデリング技術と、植物プランクトンの生育や漂流に大きな影響を与える乱流渦を高解像度にシミュレーションするための技術について研究しています。これらの相互関係を明らかにしていくことで、植物プランクトンの生育分布の高精度な推定をめざしています。

海洋微生物繁殖予測技術によって、どのようなことがわかるのでしょうか?

海洋中にいるプランクトンの種類、場所、量を推定します。また、そこからどの程度の二酸化炭素量が吸収されるか、どこでどのような海産物が採れるか、といったさまざまな産業に有益な予測を行うこともめざしています。

乱流渦とは何でしょうか?

鳴門海峡にある渦潮は、わかりやすい乱流渦の一例です。ほかにも、海流から派生して渦ができる場合もあります。これらの乱流渦は、簡単にいえば、海水をかき混ぜたり拡散させたりする働きがあります。

そもそも乱流とは、水や空気などの流体が時間および空間において、不規則に変動する流れの運動のことです。たとえば、人や自動車が動くときの周囲の空気の流れや、水道の蛇口から勢いよく流れる乱れた水の流れが乱流になります。一方、蛇口から少量の水が真っすぐ落ちる流れは層流と呼ばれています。

乱流渦は海洋微生物繁殖とどのようにかかわっているのでしょうか?

植物プランクトンの生育に必要な窒素・リン・ケイ素といった栄養塩は、海洋中深層に多く存在しています。一方、植物プランクトンは光合成を行う必要があるため、太陽光の届く海洋表層付近に多く生育しています。海水を上下にかき混ぜる数百メートル〜数キロメートル規模の鉛直混合流(鉛直方向の乱流渦)は、植物プランクトンの繁殖に欠かすことのできない栄養塩が多く存在する中深層から植物プランクトンが多く存在する表層まで栄養塩を供給・攪拌するという役割を果たしています。

また植物プランクトンは海流に従って移動(漂流)するため、数キロメートル以下の規模の水平混合流(水平方向の乱流渦)によって、植物プランクトンの行動領域を分離・群化させるともいわれています。

3. 海洋微生物繁殖予測技術を進化させる


乱流渦を高解像度にシミュレーションする技術とは、どのようなものなのでしょうか?

現実世界は連続的(アナログ)な値を持ちますが、コンピューター上では離散的(デジタル)な値しか扱うことができないため、シミュレーションする際には対象とする空間領域を格子状に分割し、ひとつの空間格子の中は同じものであるという前提で計算をします。この空間格子の幅(グリッドサイズ)を小さくすれば、シミュレーションを高解像度化することができます。しかしこの方法では、高解像度化と引き換えに計算量が膨大になり、計算にかかるコストが上がってしまいます。またグリッドサイズを小さくすると、計算が不安定になりやすく、長期間の予測は難しくなります。

現在広く用いられている地球システムモデル(Earth System Model:ESM)のグリッドサイズは最小でも10キロメートル程度であり、数キロメートル以下の乱流渦を再現するには不十分です。しかし、乱流渦が海洋に与える影響を考えれば、これを無視するのは好ましくありません。

そこでひとつの格子内部で収まるスケール(サブグリッドスケール)の乱流渦による拡散や、かき混ぜといった格子外に与える影響をパラメータ化(パラメタリゼーション)してモデルに取り組むことで、計算量を削減しつつ高精度なシミュレーションを実現します。

パラメタリゼーションにはさまざまな手法が存在しますが、近年では深層学習(ディープラーニング)を活用したデータ駆動型の手法が着目されています。この手法では、実際の観測データを柔軟にシミュレーションに組み込むことが可能で、予測精度の向上が期待されています。

鉛直混合流のシミュレーションにおける問題
鉛直混合流のシミュレーションにおける問題
(画像出典:気象庁『第51巻(平成30年度)第10世代数値解析予報システムと数値予報の基礎知識』第4章 数値予報モデル、東京大学大気海洋研究所『海洋混合学の創設:物質循環・気候・生態系の維持と長周期変動の解明』『黒潮・親潮域におけるサブメソスケールの前線構造と混合過程』をもとに独自作成)

多様性を考慮したモデリング技術がどのようにシミュレーションを向上させるのか、教えてください。

現状のESMでは、植物プランクトンの繁殖・生育を定数として単純に扱っており、プランクトン種別ごとの特徴や遺伝的進化を考慮できないという問題があります。

植物プランクトンは進化のサイクルが速く、たとえば、栄養塩の中で窒素が少ない海域では、栄養素が足りないため一時的に繁殖は制限されてしまいますが、植物プランクトンは即座にほかの栄養素をより多く吸収することで繁殖できるように進化し、環境に適応します。こうした進化をモデルに組み込まなければ、正確な推定ができないと考えています。

そこで、植物プランクトンの多様性を考慮したモデリング技術に取り組むことで、植物プランクトンの生育分布を高精度に推定し、現在のESMではまだ表現できていない微生物と物理現象の相互作用から、気候変動を加速させるフィードバックや転換点を明らかにしていくことを考えています。

4. 物事を理解することは、新しさを生む

そもそも、どうして研究の世界に進まれたのでしょうか?

私はわからないものをそのままにしておけない性格です。気になったことを突き詰めて考え、それが明らかになることに喜びを感じられることが研究者として向いていたのだろうと思います。

しかし興味を持つ対象も多く、ひとつのことを突き詰めることを苦手に感じていたため、以前は研究者には向いていないだろうと考えていました。
考えが変わったきっかけは、大学在籍中の指導教員に出会ったことだと思います。指導教員は、数学を基盤としつつ、多様な領域に精通している方でした。そこでさまざまな領域に利用される基盤的な技術を主に取り組んでさえいれば、多くの応用先があるため、幅広いことに興味を持ってしまう自分でも研究者としてやっていけるかもしれないと思うようになり、研究の世界に進むことを決意しました。

研究の魅力について教えてください。

やはり、わからないことを明らかにしていくことでしょうか。

シミュレーションでは、「ある方程式に対して特定の手法を使うとうまくいく」といった慣習的な考え方が取り入れられることがあります。しかし、「なぜうまくいくのか」を数学の知識や手法を使って明らかにしていくことで、よりよい計算手法を導き出せることもあります。

そうした、物事を明らかにするための知識の積み重ねによって、できること、わかることが増えることに楽しさを感じます。

今後の、研究者としての目標について教えてください。

私は自然現象のシミュレーションをしたいと思ってNTT宇宙環境エネルギー研究所を選びました。

現在は、研究テーマを立ち上げ、社外との共同研究の準備を終えたところで、これから研究が本格化していくフェーズにあります。学術的にも魅力的な成果をつくり、社内外で自分の専門性を認めてもらうことが目標ですね。
また活動の幅を広げるために、博士課程にもチャレンジしたいと思っています。

最後に、研究に興味がある方に向けてメッセージをお願いします。

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、グループごとに宇宙や地球環境、エネルギーといった全く違う分野の研究をしています。
さまざまな分野に関心を持つメンバーが集まっているため、研究所内のコラボレーションから新しい研究領域を開拓することもできる、というのも魅力のひとつかもしれません。
またチャレンジを推奨する風土がありますので、「宇宙や地球環境、エネルギーについて何かやってみたい」という積極的な探究心を持っている人は、ぜひNTT宇宙環境エネルギー研究所のドアをたたいて欲しいと思います。

日本電信電話株式会社外からの寄稿や発言内容は、
必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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