地球の未来を支える「土壌経済」をつくる

私たちが立っている場所であり、この地球の生態系を根底から支えている土壌の中は、光が当たらず直接見ることはできません。しかし、ここにいる微小な生物たちが、地球の未来の環境を下支えしています。これらの微小な生物の「経済圏」を理解し、制御する技術を研究しているのが、NTT宇宙環境エネルギー研究所 環境負荷ゼロ研究プロジェクトのサステナブルシステムグループに所属する伊藤真奈美研究員です。
※所属は取材当時のものです。

NTT宇宙環境エネルギー研究所では、社会課題の解決に向け多様な人材を募集しています。

伊藤 真奈美(いとう まなみ)

NTT宇宙環境エネルギー研究所 サステナブルシステムグループ 研究員
東京工業大学制御システム工学科を卒業後、2017年に同大学院総合理工学研究科修士課程を修了(修士(工学))。専門は非線形科学。2017年よりセキュアプラットフォーム研究所にて、内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)のもとIoTセキュリティの研究開発に携わる。2020年より宇宙環境エネルギー研究所にて生物学的CO2変換技術の研究開発に従事。

1. 微生物の宇宙「土壌環境」を理解する


現在の仕事について教えてください。

環境負荷ゼロ研究プロジェクトのサステナブルシステムグループで、生物によってCO2を削減する技術「生物学的CO2変換技術」を研究しています。

生物学的CO2変換技術について詳しく教えてください。

大気へのCO2排出で大きなウェイトを占めるのは、海洋(約33.7%)と土壌(約61.3%)です。これらは人間活動によるCO2排出量(約4.8%)をはるかに上回っています。

生物学的CO2変換技術の主な研究は、植物や微生物のゲノム編集および生態系シミュレーションを用いて、海洋や土壌における効果的な炭素固定を実現し、CO2の排出抑制を図るものです。
私はそのなかでも土壌の微生物に着目し、CO2排出量を抑制しながら、作物の増産などにも貢献する研究を進めています。

土壌の微生物を研究することで、どんなことがわかるのでしょうか?

現在私は、土壌の微生物研究を通じて、土壌における経済活動のようなものを解明しようとしています。

たとえば、小さな港町を想像してください。そこでは漁業が盛んで、漁港があり、たくさんの魚が水揚げされます。もしその港町には魚屋しかなく、レストランのメニューも魚料理だけだったらどうなるでしょうか? 住民の栄養は偏ってしまいます。魚を売ったお金で畑作や畜産に適した立地のほかの町から野菜やお肉を仕入れることで、住民たちはより豊かな生活を送ることができます。

もちろんその中で競争も発生します。例えば港町の肉屋と魚屋の間には住民の財布を奪い合う競争が発生するでしょう。競争と聞くと良いイメージを持ちづらいかもしれませんが、適度な競争によって肉屋と魚屋は底力を出すようになり、総合的には港町の経済が活性化する、ということが起こるのです。

土壌の微生物にも同じようなことがいえます。土壌の中には空気が好きな微生物もいれば、空気のない場所が好きな微生物もいます。さまざまな微生物が、同じ土壌内のそれぞれが適した場所において、一定のバランスを持って競争関係や共存関係にあり、互いに影響を与え合うことで、土壌環境が形成され、CO2の吸収量や植物の栄養量が決定します。

私の研究では、いわゆる「土壌経済」を決定するそれらの微生物のバランスが、どのように成立しているのかを明らかにしたいと思っています。

2. マイクロ流体デバイスで土壌環境を再現する


土壌の環境を明らかにするために、実際にはどのような研究をしていくのでしょうか?

土壌の微生物の生態系は非常に複雑である上に、土壌の中には光が入らないので、土壌の微生物活動を観察することは容易ではありません。また、これまでの研究では、土壌中の微生物のゲノム情報を一気にスキャンする「メタゲノム解析」などのマクロな観察は行われてきたのですが、土壌の物理的な特徴がどのように微生物の活動に影響を与えるかといったミクロな視点での研究は行われてきませんでした。

そこで実際の土壌の構造に似せた実験環境をつくり、そこに微生物を実際に生息させることで、土壌の中で微生物がどのように生きているかを観察する実験を進めています。実験に用いているのは、「マイクロ流体デバイス」という、非常に微細な流路を持つ構造体(1um~数100um〈1um=1,000分の1mm〉)です。このデバイスにフラクタル(自己相似性、部分と全体が同じ形をとる性質のこと)な構造をつくることで、土壌環境を再現しています。

このデバイスによって、どのような状態のときに群れとしての微生物の温室効果ガス排出量が少なくなるのか、また、その土で育つ植物にとって成長が促進される環境とはどのようなものなのかを調べていきたいと思っています。

マイクロ流体デバイスの中で、微生物が群衆を構築している様子。

どうしてマイクロ流体デバイスのフラクタル構造を使うのでしょうか?

土を掘り返してみると、大小さまざまな「だま」がありますよね? 土壌には、微細な粒子が集まって塊を形成していく「団粒構造」というものがあります。この団粒構造はフラクタル構造を持っていることが先の研究で知られています。
同じフラクタル構造であれば、それをマイクロ流体デバイスで置き換えても、微生物にとっては土中と同じ環境を再現できているのではないかと考えました。

将来的にはどのように土壌からのCO2排出量を抑制する技術になるのでしょうか?

土壌において有機物が分解されて窒素になる過程で、植物の生長に必要な栄養素が生成される一方で、CO2の300倍の温室効果があるといわれている温室効果ガスが排出されます。私の研究の目的は、この過程を理解することで効果的な温室効果ガス排出抑制方法を創出することです。つまり、温室効果ガスを減らしながら、栄養となる窒素の生成を増やすような制御ですね。

現在は、モデル、センシング、制御の研究を同時並行で進めています。数理モデルをつくり、シミュレーションによって土壌を最適な状態に制御する方法を、大学との共同研究で進めています。また、土壌の状態をリアルタイムで計測するセンサの開発も、大学との共同研究で進めています。

将来的には、食糧問題にも貢献できればいいのではないかと思っています。理想としては、スーパーに「環境にやさしい野菜」などが並びながら、CO2の排出が効果的に抑制されている未来ですね。

3. 研究とは、意思で前に進むもの


どうして研究の世界に進まれたのでしょうか?

突き詰めて考えることが、生まれつき好きな性格だったというのが一番大きいですね。

NTT宇宙環境エネルギー研究所を選んだ理由を教えてください。

そもそも大学の頃は、「今やっている研究は会社ではできない」と思っていました。私が所属していた研究室では、生命システムを数理モデル化し、生命を理解するような研究をしていました。個人的には探求心があったため、その研究を続けたいと思っていましたが、ビジネスになるような研究ではありませんでした。

新卒でNTTの研究所に入ったときは、別の研究所でセキュリティの研究開発をしていました。その後、宇宙環境エネルギー研究所が立ち上がったときに声をかけてもらい、「ラボチャレ」という、社内のほかの研究所に異動できる制度で手を挙げて宇宙環境エネルギー研究所に異動しました。

現在は、新しい研究分野を自分で開拓していくことにやりがいを感じています。

今後の、研究者としての目標について教えてください。

現在社会人ドクター1年生なのですが、学術的にも魅力的なテーマをつくり、研究者として認めてもらうのが目標です。

どのように社会人ドクターと仕事としての研究を両立させているのでしょうか?

私は今、NTT宇宙環境エネルギー研究所の共同研究先で社会人ドクターをしています。会社の研究で論文を書いてドクターを取る環境にいられることは、とても恵まれていることだと思っています。これは、多くの人の協力と幸運なめぐり合わせの上に成り立っていることです。でも、大切なことは意思だと思っています。

私が進めている土壌の研究は、本当にゼロからのスタートでした。つまり、自分で動かないと何も道が拓けない状況でした。自分の意思で研究を進めていくこと、その意思を信じること、その結果として大学との共同研究が生まれ、幸運にも社会人ドクターを両立させることができています。

最後に、研究に興味がある方に向けてメッセージをお願いします。

NTT宇宙環境エネルギー研究所は、グループによって全く違う研究をしていて、多様なバックグラウンドを持つ人が集まっています。ここにいるだけで、本当にいろんな情報が入ってくるので楽しいですね。

そして、壮大な研究ができることも魅力です。ほかでは実現しづらいような研究でも、ここでは熱意と目標次第で実現が可能だと思います。もちろん、社会還元については明確なビジョンが求められますが、自由な発想が受け入れられる土壌があることは素敵なことだと思います。

日本電信電話株式会社外からの寄稿や発言内容は、
必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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