IOWNが支える生成AIと新たな医療コミュニケーション
HOW IOWN CHANGES THE WORLD
対談:沖山 翔(アイリス株式会社)
聞き手:西田 京介(NTT人間情報研究所)、大庭 隆伸(NTT 研究企画部門 IOWN推進室)、井上 鈴代(NTT 研究企画部門 R&D戦略担当)
NTT IOWN Technology Report 

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テクノロジーによる変革が最も期待されている領域のひとつが医療です。超高速・超低遅延のネットワークによる遠隔医療の普及はもちろんのこと、LLMのようなAI技術も医療産業を大きく変える可能性を秘めています。単なる病気・怪我の治療のみならず包括的なケアの観点から見たとき、医療の未来はどこにあるのでしょうか、AI医療機器の開発に取り組むアイリス株式会社代表の沖山 翔氏に尋ねます。

LLM1_photo_a.pngPhoto : 沖山 翔
1985年生まれ。東京大学医学部卒業、救急科専門医。日本赤十字社医療センターでの勤務を経て、ドクターヘリ添乗医、災害派遣医療チームDMAT隊員、船医として救急医療に従事。2017年、アイリスを創業、AI医療機器の開発を行う。

AIを使いこなすために「曖昧さ」を知る

沖山 翔(以下、沖山) もともと私は救急医としてドクターヘリに乗ったり船医として働いたりしていたのですが、医学と情報科学の重なりを感じてアイリスを立ち上げ、現在はAI医療機器の開発や販売を行っています。


井上 鈴代(以下、井上) 起業当時からAIと医療のつながりを感じていたんでしょうか。


沖山 私たちが創業したときはまだ日本でAI医療機器が認可されていませんでした。アイリスはのどを撮影しAI判定を行うプロダクトをつくっているのですが、開発当初はデータを集めることから始める必要があり、業界内のデータ活用もあまり進んでいませんでしたね。現在は30個前後のプロダクトが認可されていますし、社会が変わったなと感じます。


西田 京介(以下、西田) AI診断のインパクトは大きいと感じる一方で、完璧な診断を行うことは難しいですよね。LLMもハルシネーションを起こすなど問題が指摘されることも多いです。医療のように間違いが許されない領域は特にAIの導入が大変そうです。


沖山 AIを完璧にすることではなく、人々との信頼をつくっていくことが重要です。あくまでも診断をするのも責任をとるのも人間です。私たちがプロダクトの導入を進めていく際も、ただ技術的な説明をするのではなく、病院の先生方や患者さんへの届け方もセットで考える必要があると思っています。


井上 業界全体でのDXも進んでいると思うのですが、やはりAIのインパクトは大きいのでしょうか。


沖山 ビッグデータやニューラルネットワークからなるマルチモーダルなAIによって、人間には理解できないような形で知が体系化され、またそれがチャットという分かりやすいインターフェースに落とし込まれた点が画期的だと感じています。


西田 とくに現在のLLMはLLMをベースに複数のメディア処理に拡張していけるのが面白いですよね。従来は別々に分析されていた言語や画像がつながるようになっていった。他方で、学習元となるデータに反映された人間の偏りを是正すべきかどうか悩むところでもあります。


井上 私自身、かつてヘルスケア機器に関する研究開発に携わっていたときは、お客様にどう情報を届けるべきか悩んでいました。現代人は膨大な量の情報に囲まれていますし、下手に情報をとりすぎてバイアスがかかってしまうこともある。


沖山 「曖昧さ」を認識する必要がありますね。たとえば病院に行って風邪だと診断されたからといって、100%風邪だとは限りませんよね。ChatGPTのようなLLMでも同じことがいえるのだと思います。


インフラとプロダクトの関係性

大庭 隆伸(以下、大庭) 沖山さんから見て、これからの医療においてネットワークはどう機能していくと思われるでしょうか。


沖山 ネットワーク自体の進化は進んでいくと思うのですが、医師が現場で診断するときに扱う情報は極めて高次元なものでもあります。患者さんが話す内容だけでなく喋るスピードや息継ぎ、足取りなども全部意識しているわけです。ネットワークを考える上では、こうした複雑なインプットデータをどう揃えるかは今後のチャレンジですね。


大庭 ただのネットワークだけでなく、膨大な量の情報を取得し分析できるだけのコンピューティングやAIも重要ですよね。


沖山 現在、耳たぶにシワがある人は心筋梗塞のリスクが高いという学説が知られていますが、長い間、耳と心臓は関係があると思われていませんでした。大量のデータをとっていくなかで人間が気づきにくい相関関係が明らかになることもありますし、人間の知覚を超えたデータを扱えるようになると医療も進化していくんじゃないでしょうか。


大庭 私たちが開発を進めているIOWNは、まさにそんな世界を想定しています。医療のように生命に直結する領域では、国や多くの企業の方々とも連携しながらインフラをつくっていくつもりです。


沖山 新たなインフラがあるからこそ新たなプロダクトが生まれる側面もありますからね。他方で、技術が発展していくと、むしろ物理法則の限界を意識する機会も増えます。たとえばネットワークが進化すると遠隔手術も自由にできると思われがちですが、光速でつないでも日本とブラジルを往復すると0.2秒くらいのラグが発生してしまうんですよね。これだと細やかな反応が難しく、地球の裏側まで離れたときの遠隔手術には別のスキルが求められるようになってきます。


大庭 IOWNも遠隔手術の活用を想定していますが、ご指摘のとおり、物理的な限界があることも事実です。一方、遅延時間が固定だと人間は慣れると簡単に操作できたりする。物理限界を知った上で、人間が管理できる問いに転換することが問われているのだと思います。


複数のAIが連携していく世界

LLM1_photo_b.png西田 京介(右)NTT 人間情報研究所、大庭 隆伸(左)NTT 研究企画部門 IOWN推進室


沖山 NTTさんもLLMを開発されているそうですが、個別の企業や医療といった領域別のカスタマイズもありえそうですね。


西田 私たちは唯一かつ究極のLLMをつくりたいわけではなく、個性や強みの異なる複数のLLMが協調していける社会を想定しています。ひとつの強大なLLMをつくろうとするとコストもかかりますし電力消費も大きいと言われますし、複数のLLMが組み合わさる方が社会実装の幅も広がると思っています。


井上 医療の領域ではどんなLLMの活用がありうるのでしょうか。


沖山 最初の診断や手術だけでなく、継続的なコミュニケーションに使われる可能性もあるでしょう。患者さんからすれば医師は数ヶ月に一回ちょっと話すだけの存在ですし、24時間フル稼働で並走してくれるAIには別の価値があります。あるいは、常に客観的な最適解を出すAIだけでなく、患者さんの主観や価値観に寄り添って応答できるAIも重要になっていきそうです。


井上 医療においてはコミュニケーションも大事ですよね。日々一緒に成長できるAIが生まれるといいのかもしれません。


沖山 現在医療費の多くを占めているメタボリックシンドロームや高血圧、糖尿病といった生活習慣病を改善する上では、薬を飲むより生活を改善する方が圧倒的に長期インパクトが大きいんです。生活習慣を改善するコーチとしてLLMが伴走してくれるならすごく価値があると感じます。もちろん、人件費や創薬のコストを低減することにもつながると思いますね。


大庭 LLMの開発も多額のコストがかかりますし、医療においてもデバイスや病院などとの関係づくりを考えながら継続性を考えていくことが大事ですね。


沖山 30年後など、将来的にはLLMも国や大企業が提供するようなインフラになるかもしれませんよね。電気やガスのように、自分の生活に合わせたLLMを契約するようになるのも面白そうです。


地球規模の最適化が医療のあり方も変える

西田 LLMのインフラをつくる上では、IOWNの存在も必要不可欠になるでしょう。


大庭 IOWNは、電気を光に置き換えることでより効率的な情報処理を実現するものです。これまでは電力消費を考えず、需要などの観点でシステムが規定されていたわけですが、それが変わるとすべてのインフラが変わっていくかもしれない。電力消費の観点から見ると、現代のネットワークもモビリティも都市インフラも実は無駄だらけなんですよね。誰も通らない道の街灯がずっとついていたり、ほとんど人が乗っていない電車が5分置きに走っていたりする。さまざまな無駄がすべてエネルギーに跳ね返ってきてしまっているのですが、IOWNではAIやコンピューティングを通じて地球規模の最適化を行えるようになるんです。


沖山 地球規模の最適化が実現するのは魅力的ですね。医療の領域ではまだ医師一人ひとりの技術や経験の差がボトルネックになってしまっていますが、その最適化を行う必要もあるし、その先にはIOWNが克服しようとするエネルギーの問題も顕在化するでしょう。情報処理の部分をAIで担いながら、医師自体はコミュニケーションを担っていくようになる可能性もありそうです。


井上 医療サービスのあり方も変わっていくのでしょうか。


沖山 もちろん遠隔医療も広がっていくかもしれませんが、個人的には視覚以外の情報を扱えるようになることにも期待しています。人間はほとんど視覚を通じて情報処理を行っていると言われますが、医療の場合は視覚情報って2-3割程度だと思っています。会話のなかの情報も重要ですし、触覚から得られる情報も非常に大きい。


西田 私もLLMの研究にあたって、味覚を言葉に変換できないか考えたことがありました。いまは画像をベースに情報を処理していますが、さまざまなものを言語化できるようになると遠隔医療の可能性も広がるのかもしれないですね。


 

沖山 たしかに、個々人の言葉づかいを一般的な表現に置き換えて出力できるとかなり便利ですね。実際に診療でも、認知症の方々など思うように喋れない方もいますし、もっとたくさんの情報があればより適切な治療ができるのにと思うことは多いです。現場だとご家族がその役割を果たしていることが多いんですよね。傍から見ると高齢者や子どもは何を言いたいかよくわからないように思えるけれど、ご家族はその意図をクリアに掴んでいたりする。それをLLMが実現できると面白いですね。コミュニケーションをエンハンスするために、個々人の患者さんへカスタマイズされたAIはとても魅力的です。


西田 言葉にならないことをうまく言語化してくれるのは患者さんもスッキリしそうです。診断や手術といったソリューションにとどまらず、AIと人がうまく付き合っていける可能性が見えてきたように思います。


LLM1_photo_c.png井上 鈴代(右)NTT 研究企画部門 R&D戦略担当