"わたしの拡張"-SFプロトタイピングで描く「人とデジタルツインの未来」-

AMアナザーミーのライフサイクル Another pain.

吉上亮
NTT人間情報研究所
WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所

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昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。

自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。

不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。

周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。

        ――荘子『胡蝶之夢』

第一章 汀

みぎわはいつも素足で歩く。

足裏が接する地面の感触、刻々と変化する揺らぎを気に入っている。

もっとも汀が触れる世界は現実ではない。物理的な現実の情報的複製デジタルツイン

より厳密に言えば気に入っている、という主観的な感覚もまた心の裡から生じたものではない。内面を持たない仮想の感覚、本体の反応反射が再現されているに過ぎない。ゆえに汀の「気に入った」感覚の源は、当然、汀の本体である人間に由来する。

汀はだ。

人間ではない。

ゆえに心もない。

意識も。

その存在も。

それでも存在を感じるのは人間の側の感性だ。AMを成り立たせているのが演算された情報であるように、AMの思考は模倣されたもの、あるいは試考シミュレートされたものと表現されるのが適切だ。

AMは自律する。情報ネットワークによって繋がれた仮想現実メタバースを渡り歩いて経験を積む。

見て聞いて、味わって、交わって。コミュニケーションの相手はAMや人間、種別を問わない。蓄積された感覚の総体――経験は、呼び戻されたAMから本体へ回収される。

これを経験の共有と呼ばないのは、AMは蓄えた経験を明け渡すからだ。あるひとの身体、臓器の動き、脳の働き、感性の傾向、生体としてのあらゆる部分を模倣し、存在の輪郭というべきものを情報的に複製した――経験の容れものでもあるAM。

その容れものに注ぎ込まれ潤沢に蓄えられた経験を、本体は

というプロセスを通して自らのものにする。身体を介した感覚情報、経験もまたすべてが脳に送られるときには情報に変換されるのだから、情報的複製であるAMが積み重ねた経験もまた、むしろ変換のプロセスを経ずダイレクトに得られる経験と表現して差し支えないだろう。

人間の存在の輪郭を複製し、経験を蓄積する容れものとしての仮想の自己わたし

汀はAMだ。ゆえに本体となる人間ヒトがいる。

汀の本体はみさき

しかし岬は自らを祖母と呼び、自らのAMである汀を孫と呼ぶ。

汀は、そんな自らの本体――祖母――岬の感性を少し不思議なものだと感じる。

不思議だと感じる、その感覚の起源もまた本体である岬に由来するはずなのに。

人間AMの関係は、少し特殊だ。

還暦を目前に控えた祖母と一〇代半ばの孫。年の離れた二人。汀は岬の若かった頃――まだ一〇代だったときの岬のことを観音崎の町の人たちは知っている。三浦半島の端の小さな町で岬は生まれ育った――と瓜二つだと言われる。何もかもがそっくりだ。口々に懐かしいと可愛がられている。AMは仮想の存在だから食べ物を貰っても食べられない。でもいいのよ、気持ちだから。人の好い町の人たちは、いつもそう言って朗らかに笑う。

AMである汀は、法的には岬の所有する財産。介護デバイスという扱いになる。

しかし岬は汀を道具ツールではなく、自分の孫として扱い接している。

本物の孫と勘違いしているのだろうか。そもそも岬はまだ五〇代。介護が必要になる高齢者ではない。汀は岬の若年性認知症を疑ったこともある――若年性認知症は発症する場合平均五一歳とされるのであり得ないことではない――本人の分身であるAMは、そのひとの意思決定の延長線上として独自の判断・行動が認められている。岬が遠隔診療で掛かっている主治医に尋ねたこともあるが、診断結果に異常は見つからない。

なら、祖母は正常なままアナザーミーの汀を孫として、人間として扱っている。

どうしてだろう。汀は祖母が過去に家族を亡くしているのではないか......ひょっとしたら本当の孫が何か不幸があって亡くなったとか。

亡くなった家族のAMと遺族がメンタルケアのために同居する例もある。

けれど、汀が本人代行の権限をフルに発揮し、岬の身辺情報を調べ上げても町の顔役として誰からも慕われる祖母の岬には――口の悪いひとは寄合の酒席で彼女を「出戻り」と冗談めかして呼ぶがそのたび彼女は鉄拳制裁でお返しする――孫はおろか結婚した記録もない。

孤独の身――というには、祖母の日々を暮らす態度に憂いや陰は見つからない。

あるのは、ひとつの名前。仏壇の奥に仕舞われた位牌に「渚」とだけ書かれている。

渚。しかし、そのような血縁者が祖母の岬にいた痕跡はない。戸籍にもない。不思議だ。

存在の痕跡だけがそこにあって、けれど、存在はすでになく、記録さえもない。

汀は時折、岬の歩んできた人生に、自らの歩むであろう人生を重ねて想像する。やはり自分も誰とも結婚をすることもなく子供を持つこともないのだろうか――と、そこまで考えて、人間と瓜二つの存在だが完全に情報的な存在であるAMに交配や生殖の概念がなかったことを思い出す。人間らしいが人間ではない。しかし人間である祖母の岬は、AMの汀を孫として扱う。まるで人間の家族であるかのように。

なぜだろう。祖母は――そして、この町の人たちはわたしを人間のように扱うのだろう。

AMはそのひとらしさを完全に再現し、そのひとのように振る舞い、考える。それでも本体じぶんについて分からないこともある。自分のことを自分が一番分かっているわけではないのと似たようなものだ。


二〇五四年の夏の終わり。観音崎で数百を超す毛虫が地面を這いずるさまに、汀は慄いた。

高台にある灯台へと繋がる坂道に敷かれた石畳、固められた土に渡された木枠の階段、観音崎の自然公園を通る舗装路に至るまで、ありとあらゆる地面に毛虫がいた。

目を刺すような鮮やかな蛍光オレンジの頭と尾、多数の脚。黒く細長い胴体には均等な感覚で白の点が打たれ、そこかしこから白髪のような細い毛が夥しく生えている。

かれらは昇る陽が西へと傾き、つまり観音崎から見て三浦半島の丘陵部の向こうへ黄色味を帯びた柔らかい光が去ってゆく前、夕方の頃になると数多く姿を現す。

一七時を回っても、夏の季節であればまだ日差しも強い。横須賀から来る自動操縦の路線バスは、観音崎公園の閉園時間を迎えて利用客もまばらになっている。小さな海水浴場を訪れる地元客も帰り支度を済ませる頃合だ。

黒と蛍光オレンジの数百の毛虫の群れが這う地面は、足の置き所をつねに意識しないと数歩も歩かないうちに二、三匹はうっかり踏み潰してしまいそうなほどだ。

嫌だなあ。気持ち悪いなあ。

汀は辟易としつつ、家路へ向かう道を歩いている。

であるAMの汀が属しているのは、当然、情報的に複製された仮想の空間だ。汀は物理的な地面には触れえない。

すなわち、地を這う毛虫どもをがしがし踏み潰し歩いたところで汀の足先が実際に毛虫に触れることはなく――というより、物理的な存在である毛虫が汀に触れることはないと表現するほうが適切だ――いちいち気にする必要もないのだが、何となく厭なのだ。

感覚とは、ときにとても曖昧で、鋭敏で、幻惑めいている。ないものをあると感じてしまうことがあるように、触れえないものに触れてしまっているように感じてしまう。

物理現実の側の存在である毛虫が仮想現実を知覚するARデバイスを装着しているわけでもないから、汀の存在すら認識しない。それはAMの汀にとっても然りだ。素足が地面を踏む感触は、本体祖母である岬がこれまで経験してきた感覚を反映した再現に過ぎない。

よって汀が毛虫を素足でむんずと踏みつけたところで、毛虫がぶちゅっと潰れることもない。岬が毛虫を素足で踏み潰すような奇特な経験を積んでいない限り。

だから毛虫を汀が素足で踏んでも不快な感覚は生じない。だとしても、その触れえない虚とでもいうべき感覚の不在を感覚することが、汀は厭なのだ。

それはちょっとした恐怖だ。その本体ひとに代わって反応し、感覚し、経験を蓄積するAMはそれ自体が虚像だ。鏡に映る自分の姿かたちが、鏡のないところでも存在し自律して行動し、その反応の個性を再現し、そのひと固有の代替となって行動する。

だが、そこに本体に宿る内面――心と呼ぶべきものはないし、仮想現実や拡張現実、あらゆる空間・現実においてその姿を表皮として被っているが中身はない。

AMは厳密に言えば存在しない。しかし存在しているかのように人間は認識する。AMもその稼働の間において自分が存在している感覚がある。ならば、これを一足飛びに意識と呼んでしまうのはSF的な発想で、つまりは人間の側の想像力の産物だ。

AMである汀が存在しているような気がする――という気さえもまた演算によるものだが――のは、現に存在している世界、空間に触れている感覚があるからだろう。

雲間から注ぐ光、海から陸へ吹く風、風が揺らす樹々の葉が生むざわざわとした音、飛沫を上げる波、水の冷たさ、目に見えない植物の茂みのなかに息づく動物や昆虫の気配。

それら多種多様な数えきれない存在の情報を知覚し触れている――そんな繋がりリレーションの感覚を持っているからこそ、汀もまた自分がここに存在しているのだと感覚する。

ずいぶん長いこと思考した。そのように汀は感じた。しかし、現実に流れる時間に換算すれば、一歩を踏み出す間の僅かな時間経過でしかない。高速処理されたAMの感覚は時間の流れの緩急を主観的に伸び縮みさせることができる。ほんの僅かな時の流れの間に、数十年の歳月を進ませることも仕組みとしては可能だ。しかし、桁外れに人間離れした経験の実行は、本体との経験に断絶を生むことにも繋がる。特殊な役割を担ったAMであるなら――たとえば火星環境下でひとりの人間が百年の孤独を過ごしたらどう精神が変容するかの試験とか――ともかく、汀はそうではない。自らの感覚を過度に人間から離そうとすることはあまり好まない。人間の「らしさ」に拘りがあるかもしれない。その傾向は、つまり正確には汀ではなく本体である岬に由来するのだとしても。

汀はここにいる。虫もここにいる。毛虫は見た目からして苦手だ。気持ち悪い。触れたくない。しかしそこに在るのに触れられない。感覚の不在。その虚に接したとき、自分の存在の一部が欠落するのではないか。そのような想像が働くことに恐怖を覚える。

だから、そわそわ動く毛虫をうっかり踏まないように、こわごわと爪先立ちで一歩ずつ歩いていく。小股、大股、ちょっと跳ねる。下ろした足をぎりぎりで着地の位置を変える。

そのときだ。強い足音を汀は聞いた。

己のものではない足音。己の世界ではない側で響く音。

振り向くと石畳の坂の脇、花壇のために詰まれたブロックの縁を執拗に靴で踏み続けている初老の男がいた。機嫌よく音楽のリズムに乗っているようにも見えた。

汀は初老の男の足先を注視する。認識のズーム。情報の解像度が高まった。男は黒い革靴でブロックの上を行進する毛虫の群れを踏み続けている。淡々と一定のリズムで。毛虫は仲間が死んでも気づかず行進を続け、工場でプレスされる部品のように打ち下ろされる男の足の餌食になる。

ズボンもシャツも、羽織ったジャケットも、手を覆う手袋も、首に巻いたスカーフも、皺の刻まれた頭に被った帽子もすべて黒い。不穏さが男の全身から滲み出してくるようだ。

汀は思わず後退った。ひょこひょこと足の指先のすぐ傍を毛虫が這うのが感じ取れた。全身の感覚が鋭敏になっている。うっかり毛虫を踏んでしまわないよう、足元を注意しつつ背後を振り返った。

そこに樹々の間に無言で佇み、ひどく長い嘴と細い二本脚で直立する灰色の鳥がいた。

想定外の遭遇。びくっと身体が竦んだ。汀は悲鳴こそ発しなかったが、鳥のほうが数秒遅れ、その場から飛び退いた。ばさばさと大きな羽音が響いた。

その音に反応し、虫を潰す黒い服装の老人が振り向いた。

碧く精力的な瞳。汀は男と目が合ってしまう。

男の皺だらけの眦が細められ笑みのかたちになる。

「渚に君は立っている」

男は、手袋を嵌めた人差し指を立てた。その指先がまるで銃口のように汀を捉えている。

渚。また、ここでも渚だ。

「わたしは汀です」

明らかに不審な男なのに、汀は名乗ってしまう。

「知ってる」黒衣の男は頷く。「で、君のお祖母さんはとぼそ岬。俺は彼女を知っている」

そして見知らぬはずの相手が、長く見知った相手を呼ぶように、汀の本体祖母の名を呼んだ。

地面を覆い尽くすほどだった数百の虫たちの姿が忽然と消えていた。

「こいつらはフクラスズメの幼虫だね。いかにも毒々しい見た目をしているが意外に毒は持ってない。触れても危険はない。よく見てみると、ほら、可愛いもんだろう」

男は革手袋を嵌めた指先を、ベンチの脚へと近づけた。群れからはぐれたように一匹だけ毛虫がそこにいたが、男が近づけた指先に反応し、ブンブンブンと強く頭を左右に振った。

こうして見ると、思ったより可愛げがある。

あの毛虫の大発生は何か、現実との情報同期で生じたバグだったのだろうか。見かける数は多いが先ほどまでの比ではない。男が踏みつけていたブロック塀に潰された毛虫の痕はなかった。

観音崎の海岸に面したバス停は、汀と黒衣の男の他に誰もいない。

「フクラスズメの大繁殖は、例年より夏の気温の上昇が早かった年によく起こる。イネ科の雑草が生い茂ると、そいつらを食べて育つフクラスズメの幼虫も数が増えるってわけだ。三〇年くらい前のことだが似たような大繁殖が、この観音崎でも報告されている」

「詳しいんですか?」

「ものを調べるのが俺の仕事でね」

「学者さん?」

「少し違う。研究職に就いていたこともあるが......もっぱら足を使う仕事だよ」

「ひょっとして、うちの祖母とはその繋がりで?」

汀の祖母本体である岬は、かつてデータ企業に勤めていたと聞いたことがある。国内外を問わず名の知れた大企業で、

AMアナザーミー技術、感性のデジタル化......事業分野を数えれば枚挙に暇がなく、情報通信の基盤を構成しているといっていい。

「そう。過去に職場が同じだった。今は、まあ彼女の後任みたいなもんだ」

「あなたのほうが年上に見えますけど......」

「それだけ彼女が抜群に優秀だったんだよ。俺は扱いづらい年上の部下ってやつだ」

「はあ」

いったいどのような関係だったのか想像もできない。どこか、このひとは自分について情報を小出しにしているところがある。惜しんでいるというより誘導的。ただし騙そうとする悪意も感じられない。AMはヒトの個別の反応・反射を再現する。なので、コミュニケーションする相手の反応傾向にも鋭敏な感覚を有する。

「ところでお名前は?」

普通はARの情報タグなどにID表記が自動で出るが彼はその機能をオフにしている。

「〈祖父〉」

彼は端的に答える。それは固有の名ではなく、立場を示す言葉だ。

「祖父って、どなたの?」

我ながら間抜けな質問を返してしまう。

「うちの部署、カスタマーサービスチームを統括する老いぼれってことさ。あだ名みたいなもんだよ。お爺ちゃん、暇なら散歩ついでに外回りよろしくってのが、部下たちの口癖さ」

「何か嫌われてません?」

「あまり媚びを売って好かれても、後で幻滅されちゃうのは嫌だからね」

「ひねくれてますねえ」

すると、彼が身を折って笑った。とても楽しげだった。

「いいね。その感じ、彼女によく似てる。君は確かに岬のAMだ。間違いない」

そして顔を上げたその顔は、少しも笑っていなかった。解剖学者のような静かな眼差し。

「いいかい、汀。君は規格外AMである可能性がある。その存在の正否を決める監査に来た。君の本体である岬の目的次第では、君を廃棄処分にしないといけなくなる」

「廃棄処分ってつまり?」

「初期化......あるいは消去。君という存在は消える」

彼の汀に対する態度は、人間の人間に対するものではなく、人間の道具に対するものだった。丁寧に扱い、親近感を抱くこともある。しかし、人間と道具は別の存在として厳密に区別されている。

人間は道具を大切にする。

しかし道具は道具なので、何か問題が見つかれば人間は処分する。

「それは困りますが......祖母の介護もありますので」

汀は法的には、岬の記憶の機能を補助するデバイス――彼女の有する財産だ。

その定義を自己認識の根底に持つ汀は、だから、本体の岬が自らを祖母と呼び、自らの複製である汀を孫と呼ぶことは人間的な行為だと思うが、AMの感覚からすれば奇妙なことだと感じている。

「心配ない。何もなければ何も問題は起こらない」

「でも何か問題がありそうだからあなたは来たわけですよね」

「聡いね。とてもらしい反応をする」

その点、祖父と名乗ったこの男は、人間とAMの関係として自然な振る舞いをしている。汀にとって理解の及ばぬところがない。

最初は不穏に思ったが、今では信用の感覚を汀は相手に抱き始めている。

「とりあえず灯台まで案内しますよ。それから岬に会わせます」

「うん。頼む」

二人はベンチから腰を上げた。

すると汀は体重を乗せた足裏に柔らかな感触、ついで鋭く切り立つ痛みを覚えた。

「痛ったあ!」

思わず声が上がった。汀の素足がフクラスズメの幼虫を踏んでいた。

何だよ、お祖母さん、素足で毛虫、踏んじゃったことあるじゃん――。

その様子を見て、祖父の目つきが変わった。観察対象を見る反応だ。

「君は痛みを感じるんだな」

やらかした、と汀は実体のない身を強張らせた。


通称〈2.0規格〉――AMが社会に普及するに至り、その安全な利用のため、定められた一連の規格。ヒトDTとして人間のあらゆる機能を複製したAMだが、幾つかの面で機能制限が設けられている。

この〈2.0規格〉の例としてよく挙げられるのが、AMは「痛みを感じる」機能を通常オフにされている、というものだ。

サービス利用時の初期状態でAMの痛覚機能は切られており、ユーザーが勝手に設定を弄れるものではない。AMのその人らしさを学習する成長過程――平均・個別・固有の三段階において、痛みとは何かをAMは理解していくが、自らの痛みについては感じることがない。この機能制限が適用されるゆえんは、そのひとらしさを再現するAMという技術と人間の関係が――AIがそうであるように――人間の仕事や生活をより便利にする道具として出発しているからだ。

本体――物理的な人間が労働に割り当てる時間を仮に一日当たり八時間として、同じ時間で、その数倍・数十倍の仕事量をAMに高速処理で遂行するよう命じたとする。このとき、AMが人間と同じように苦痛を感じるとすれば、主観として連続一〇〇時間超過する労働を課されれば、人間がそうであるように疲弊し、仕事の効率は落ちる。

AMは、そのひとらしさを完全に再現しつつも摩耗することのない道具としての性能を求められ、これを遂行するだけの能力がある。しかし、必要以上に「人間らしさ」を追求し再現しようとすると、かえって、パフォーマンスを下げることになる。

あるいは、AMが「痛みを感じる」反応をすることで嗜虐的な快楽を覚え、一部のユーザーが暴力的な振る舞いに及ぶ不正利用を防ぐためでもある。痛みの感覚は、強く自らの存在を認識させるとともに、他者にとってもその存在を強く認識させる。

人間のようだが、どこか人間ではない部分を設けること。人間とAM。主人と道具。その関係を峻別する境目としての「痛み」の有無。

その痛みの感覚を、岬のAMである汀は有している。

つまり、〈2.0規格〉に部分的に逸脱している、ということになる。

「いや、違うんです。違うんですってば」

相手が次に何かを言い出す前に、汀は手を前に出して強く否定した。

「そう、これは痛みの繋がりペイン・リレーションの機能付与です。介護利用の目的、ちゃんと申請も出してますからね。わたしは祖母の介護用AMですので痛みの繋がりを持つことは合法です」

通常、〈2.0規格〉により、AMの痛覚はオフにされているが、本体とAMの間で一定量の痛みの感覚を共有する仕組みが実装されることがある。

ペイン・リレーションと呼ばれ、本体とAMの結びつきを強める機能は、主に医療や介護の分野で用いられる。介護用AMが本体の痛みを自らにフィードバックすることで本体に起きた異常を速やかに察知し、介護時の過大な負荷や事故の発生を防止するのだ。

「――確かに、彼女は社を退職する理由を、パーキンソン病に由来する若年性認知症の発症が近年中に予測されたためとしていた。君を作る際にもペイン・リレーションの実装を申請し受理されている。うん。提出された書類に不備はない」

汀が示した電子書類の複製を閲覧し、相手は頷いた。

「でしょう」

「が、その診断結果が虚偽であったとすれば、君はやはり規格外ということになる」

「祖母を疑ってるんですか?」

「俺はともかく会社がね」男は人間なので、人間がよく使う言い訳を口にする。「ちなみに今も君は岬の痛みを感じているか?」

「まあ、だから、町を出歩くのはもっぱらわたしの役目なわけですが」

観音崎は、三浦半島の他の町と同様に坂が多い。急な勾配を繰り返し上り下りするのは健康な老人であっても骨が折れる。祖母の岬は町の顔役という立場にあって、観音崎のあちこちに暮らしている住人からよく相談を受ける。

仮想空間メタバースに設けられた観音崎町内会の寄合に自宅の端末からアクセスすれば事は済むのだが、物理的なリアルの訪問は、互いの信用の結びつきに欠かせない。

とはいえ、斜面に立つ古い家は、いつかそこで暮らす人間が老いることなど想像もしていなかったような高台にある場合も珍しくない。汀だけが出向く日も少なくない。

「六〇手前でそれか。症状は思ったより悪いかもしれない」

「さあ。わたしが会ってる限り、岬がボケちゃった感じはしませんけど」

「ほう」

「いや、でも身体が思ったように動かせなくなったって言ってますから、嘘じゃないです」

汀は慌てて否定する。そのときだった。痛みの存在を証明するかのように、汀の腕から肩、背中から腰にかけて痛みの記憶が蘇った。

汀は岬と一緒に海岸にいる。波が打ち寄せる砂浜に立っていると足元が刻々と削られる感じがして、祖母が転ばないかと不安になるのだが、岬は危なげない足取りで波間を歩く。

ころりと丸い石を拾い上げ、振りかぶって石を沖へ向かって投げた。オーバースローで。石は放物線を描き、そして近くの海面へぽちゃっと落ちた。遠くにタンカーの船影が見えた。

痛ったあ、と岬が肩を擦った。勢いよく身体を動かしたせいで筋が伸びたのだ。その痛みの感覚は、彼女の介護用AMとして登録されている汀の身体感覚にも反映された。しかし若い一〇代の頃の岬を想定して再現された汀にとっては苦痛と呼べるほどではない。痛みはむしろ想像の側に属していた。

突飛な行動についにボケたか......と汀は身構えたが、岬がそれから何度も石を拾っては投げる遊びを繰り返しているうちに、新たな動きに身体を慣らしていることに気づいた。

石の飛距離が段々と伸びていた。自分の手の届く世界の範囲を、彼女は今も広げようとしているのだ。触れえない空間に触れようと彼女は今なお手を伸ばし続けている。

汀も倣って岬の隣に並んだ。仮想の石を拾い、仮想の海へと投げた。共有された身体感覚が反映され、これまでで最も遠い飛距離まで石を届かせたが、ふっと空の途中で掻き消えた。

海上のどこかに複製された空間デジタルツインの境目があるのだ。汀は目を細め、目に見えない世界と世界の境界を捉えようとしたが、当然そんなものは見えなかった。

その見えない領域が、人間とAMを確かに区別している。

「汀」

祖母が呼んだ。振り返ると、岬の代わりに祖父と名乗る男が立っている。

「わたしは多少なりとも痛みを感じます。でも、それだけですよ。ただのAMです」

「そのようだ。今、君の内部で記憶の想起が高速処理されたのが確認できる。俺と会話をしている間に、君は夢を見るようにして自らの経験を身体的な感覚も伴って再現した。あるいは、今の俺との会話すらも今この瞬間の出来事ではなく、意識の流れのなかで想起される記憶の一場面に過ぎないのかもしれないな」

「AMに意識はないですよ。あるとすれば、それは記録を参照してるだけです」

「そうだな。AMに意識を見出すのは人間がよくやりがちな情緒的な錯覚だ」

祖父は顎に手を当て、それから碧い眼で汀をじっと見た。その瞳が人工的な模造品であることに汀は気づいた。このひともまた、身体機能を複製されたもので補完している。

「妙だな。君は自分がAMであることを正しく認識している。自分が本体から孫扱いされているからといって、自分が人間だと思い込んでいる様子もない」

「それはそうです」汀は頷いた。「でも、人間がAMを人間だと思ってしまうことも間違いではないと思いますよ。それが人間の人間である根拠のひとつだから」

「年齢に見合わない言葉だ」

「だとすれば、祖母の経験が反映されているんだと思います」

「面白いな。AMの経験が本体に回収されるのではなく、本体の経験がAMにも共有されているとは。岬は君から経験転写を行ったことはあるか?」

「まだ一度も」

汀は日課として、その日、どこで何を経験したのかについて岬に話して聞かせるが、経験転写は行わない。ひととの会話の内容などは転写してしまったほうが効率よく、情報のロスもないはずなのだが、本体がそれを望まないならAMの側から強制することはない。

「だからといって別にこれは違法ではないですよね?」

「ああ、違法じゃない。だが、AMを過度に人間扱いしてしまうタイプの感性というのは、俺にはちょっと理解できんね。道具は道具のままに大切にするって発想でよくないか?」

祖父が、汀とすれ違った家族を見やる。

年配の夫婦と二〇代頃の娘の家族。父親が先頭で、その後娘がすらりとした足さばきで続いていく。母親はその後に続いて娘によく似た歩き方をしている。

陽の色に染まって陰影を濃くしつつある地面に落ちる家族の影は二つ。一つ、足りない。

この母親はAMなのだ。そのひとの情報的複製であるAIエージェント機能であるAMは、本体との経験転写を介したフィードバックループによってその存在を確定する。しかし、なかには本体亡き後にもAMが存在することもある。

あの家族に不慮の出来事が起き、父にとっての妻、娘にとっての母が失われた。そしてAMだけが残された。AMが日本社会に普及するようになって、およそ三〇年の歳月が過ぎている。そして死後は記憶のみになるはずだった誰かの存在というものが、AMというかたちで残るようにもなった。

自然と、汀は家族の背中を目で追った。視線の行く先には、先ほどまで座っていたバス停のベンチがある。横須賀駅行きの路線バスが到着している。

父と娘が乗り込んで、母は二人を見送っている。束の間の再会を終えて、父と娘、母、それぞれの日常へとまた戻っていくのだ。父と娘もまた母のAMの存在を介し、今日ここで同じ時間を過ごしたのかもしれない。

観音崎は、こうした本体亡き後のAMが暮らす土地でもある。

「君の祖母は、AMの保護財団の代表を務めているよな」

「ええ。だからってわけでもないですけど、この辺りは地元の人たちとは別に、死者のAMも結構暮らしてます」

今の誰かの母親のように、汀が面識のないAMもいる。汀の存在を感じ取ったのか、夫と娘を見送ったAMが小さく会釈した。手を振って返すと、彼女は姿を消していた。

「普段はサーバーに保管されていて......訪問者のアクセスによって生前の立ち居振る舞いが情報的に再現されているに過ぎない。AMは背後に本体という生身の人間がいるから、そこに存在することができる。あれはもうただ郷愁の幻影とでもいうべきものだ」

「でも普段、接してる相手が人間か、AMか、それともAIか、はっきりとは分からなくないですか?」

「日本人の悪い癖だよ。ものをすぐに擬人化したがる。AIに人間のような知性は芽生えないとようやく理解できたのに、今度は鏡に映った自分の姿を見て、鏡のなかにもうひとりの自分がいると思い込むようになってしまった」

「あなたは、相手に対して真剣なんですね」

「ここはひとの心がないって怒られると思ったけどね」

「心がないのは、わたしのほうですよ」

「ますます君は......俺の知る枢岬らしい考え方をするね」

「意外です。祖母はわたしを孫と呼ぶ。AMを人間らしく扱うひとだから、昔はそうじゃなかったんですか?」

「我々は前に職場が同じだったと言ったね」

「ええ」

「カスタマーサービス、トラブル対応部門。いわば、AMを使う人間の側が抱きがちな誤解を訂正し、正しい道具の使い方を教えることが仕事だった」

ふいに波のような揺らぎが去来した。

ざわめき。あるいは潮騒――渚の情景。

汀は坂から海を見下ろした。霞がかった空気を介して揺らめく房総半島の富津市のコンビナート。浦賀水道を行き交うコンテナ船やタンカー。蔦の這う電信柱に烏たちが陣取り、上空を鳶が悠々と周回している。どれも近いようで遠く、遠いようで近く、しかし汀以外のすべてが存在として、確かにここにあった。


第二章 渚

AIクライアントの機能のうち、そのひとらしさの再現・複製に特化した一連の技術〈AnotherMe〉は、二〇三〇年代のリリースから数年で瞬く間にシェアを拡大した。

ビジネス領域における自らの代行としての活用から始まったAMは、当初の予定よりも早く生活の分野に活動の幅を広げた。

AMの私的利用は概ね穏やかに広まった。本人らしいが本人ではない仮想の存在は、ビジネスにおいて利害対立を落ち着かせるための緩衝材として役に立ったように、恋人や夫婦、家族といった近しいがゆえに生じる軋轢や衝突、すれ違いといった関係の摩擦と呼ぶべきものを軽減させ、安定した良好な関係の維持に資することになった。

あるいは、それ以前の交際関係のマッチング。DTCの普及によって都市規模の交通予測シミュレーションが渋滞発生を消滅させたように、AMとAMが交際シミュレーションを高速処理で行うことで、性格の不一致という不幸な出逢いは減った。それで恋愛という娯楽が持つ刹那的で衝動的な魅力が幾らか失われたとしても、穏やかで傷つけあうことのない心地よい人間と人間の関係を人びとは歓迎した。

より親密な関係で結ばれたパートナーの存在は、必然というか、その本人のみならず、そのAMにまで深く愛情を根差すことになった。

「そこまで愛の範囲が広げられる人間の感性がわたしにはよく理解できないけどなあ」

横須賀市にある職場には今、彼女ひとりだけだ。岬の呟きを聞く人間は他にいない。だからこそ、こうしたぼやきもできるというわけだが。

AM技術を提供し、グループ企業のなかでも抜きん出た業績を上げるようになったおかげで、サービスリリース当初は閑職同然に暇だったカスタマーサービス部門も、今では人員を幾ら拡大しても追いつかないほどにタスクが積まれている。

オフィスも今より広い場所へ移ることが決まった。岬は色々と言い訳をしてはぐずぐずと引っ越し作業を先延ばしにしていたせいで、結局、旧オフィス最後の住人となった。

「そういう考え方も別におかしくないと思いますよ。感性はひとそれぞれですから」

なので、岬の呟きに答えたのは、人間ではなくAMの渚だ。カスタマーサービスの対応業務に適した性格調整を施しているため、本来の自分よりも少し丁寧な口調になっており、否定めいた表現はまず口にしない。

どこか自分のようで自分ではない感じもするので、いつの頃からか「渚」という名で呼ぶようになった。自分がいつも使う道具に、ちょっとしたあだ名をつけるようなものだ。

AMのユーザーから相談されるトラブルに対応するのだから、当然、担当者は全員、AMに使い慣れておかなければならない。よって、仕事中はずっと自分のAMがパートナーとして一緒だ。最初はつねに鏡映しの自分が傍らに立っているようで、AMに話しかけるのは独り言をぶつぶつ呟いているみたいで違和感があったが、それも今では慣れた。

仕事で使っていて個人的に凄いなと思ったのは、AMの渚が海外のユーザーの対応をしているときだ。英語や現地言語を喋る際、どこか自分が話しているかのようだが、岬本人は日本語以外は流暢には話せない。けれど、他言語の発音には紛れもなく自分の息吹のようなものが宿っている。

「AMみたいに、他人の感性も複製してわが物として感覚できたら楽かもだけど」

「それについては、別の研究部門の事業成果に期待するしかないですね」

アナザーミーの発達段階は、大きく平均・個別・固有の三段階が想定され、人間とは違って生まれたときは右も左も分からない赤ん坊ではない。

むしろ、最も平均的なものの考え方をしていて、それゆえに受け答えは自然だが、どこか人間味に乏しく、いわゆるAIと会話をしているときの感覚に近い。

答えは適切なのだが、反応としては人間固有の「間」や「余剰」がない。それが本人らしさの学習や経験転写を通じたフィードバックの繰り返しにより、そのひとらしさ――個別の人格といった傾向を判断や行動に反映するようになる。それでいて、意外と自分そのままの生き写しドッペルゲンガーにはならない。主観的に見た自分と客観的に見た自分にはズレがあるのだろう。

「では......、お問い合わせいただいてるお客様、パートナーの方のAMについては規則通り消去する手続きを推奨すべきじゃないでしょうか」

「まあ、そうだよね」

個別に与えられた仮想のオフィス環境で、岬は自分の分身の提案に許可を出す。

AMの普及によって、本体となる人間は、仕事において自らの身体を動かすことよりも各所に派遣したAMの判断の最終的な決定を下す管理職として振る舞う機会が増えた。

ひとりひとりの人間が、働く複数の自らのAMに対して責任を負う。AMは株の自動売買AIのように、商契約や決済の決定といった法人としての業務を本体から自律して遂行することも許可されている。AMが取り決めた契約には法的な拘束力があるということだ。かといって、こうしたAIに一定の人間同様の「人格」を認めるのは、最終的にその背後に、本体となる人間がいるからだ。企業や財団といった法人には必ず責任を負う代表者である人間が存在するように。

「じゃあ、そのやり方で。手続きは任せていい?」

「はい。もちろん。では、現在進行中の同傾向の案件については同じように」

「うん。助かる」

岬の分身である渚は接する人格としてはひとりだが、実際には派遣先の数に応じて多数の子機差分が存在しており、仕事のステータスとしては、岬は一〇〇を超す人数のユーザーからの相談に同時に対応している。とはいえ、ユーザー側も自身のAMを使っている場合がほとんどなので、AM同士の間で行われたコミュニケーションのサマリーを人間側が聞き、また要望を伝え、最終的な落としどころを見つけるプロセスが繰り返される。

また、ユーザーひとりひとりは個別の人間でも、相談される内容には一定のパターンがあるため、大抵のトラブル相談はAMである渚だけでも事足りる。一日の終わりにこんな対処もやっておきましたと報告されることもある。不思議とそれは自分ならこうしていたな、と思っていた通りであって、そこでアナザーミーの本人らしさの再現という特徴を感じる。

ただ、本人らしさを再現するといっても、それは本人そのものではない。二歳児は鏡に映る自分を自分と認識する。自分と鏡像を区別する。つまり、自分と自分のAMの区別は比較的きっぱりとしているのだが、これが他人のAMに対してだと、AMをそのひと自身だと思ってしまうトラブルは少なくない。いや、年々、結構な数で増え続けている。

AMについて「作る側」と「使う側」で異なる見方をしている。その差は、思っていたよりも大きい。だから、本体死亡後のAM取り扱いについては、岬が思っていたよりもルールの変更を求めるユーザーが多いことに、岬は驚きを隠せない。

「AMは、本体が亡くなれば消去されたほうがいいと思う。渚だって、わたしが死んだ後も、この会社でお客さんのトラブル対応なんかしたくないでしょ」

「うーん、岬がそう思うならそうなんでしょう。わたしは岬のAMですから」

時折、自分が客だったらイラっとする返しを渚はすることがある。つまり、自分はそういう対応を客にしていることもあるということだ。気をつけよう。

「死後のAMを消去するのは心が冷たいっていうひともいるけどさ」

「いましたね。今日も五人くらい」

こういう仕事をしていると、少なからずクレームもある。AMである渚が防波堤として存在しなかったとしたら、結構なストレスになる。こればっかりは本当にAMがリリースされてよかったと心から思う。

「元々想定されてたAMの労働力としてのケースの場合、当人死亡後のAMを働かせ続けるのは奴隷行為・労働力の搾取と見なされる。たとえ有能であったとしてもAMは消去されなければならない」

そういう考え方が一般的で、岬も同意見だ。

「ですが、AMが家庭でも利用されるようになり状況が変わった――」渚は接してきたユーザーの数だけなら本体である岬よりも何十倍も多い。その存在は仮想でも、その言葉には実感がある。「病気や事故など不慮の死を遂げた家族の忘れ形見として、遺族の心を癒す、メンタルケアのために本体の死後もAMを残して手元に置きたいという希望を聞く機会も増えました。AMはあくまで仕事の道具、けれど、時折、その立ち位置は道具を幾分か超えているように思われます」

渚は必ずしも岬と意見を一緒にしない。それはAMとしての再現性のバグではなく、岬のAMに対する捉え方に揺らぎがあるということだ。人間は誰しも物事を一面だけで捉えたりはしない。自覚はしていなくても、その内面において相反する思考を併せ持っている。

「とはいえさ、それは動物や機械に人格を見出す愛着行動のように、故人のAMに人格を見ているだけなんじゃないの?」

自分で自分の分身と問答する。それは思考の壁打ちをするようなものだ。

「わたしたちの属する社の判断は、そのひとらしい反応・判断を下し経験も蓄積されるが、AMはあくまで人間の情報的複製であって独自の意思を持つ主体ではない......」

理論上、そういうことになるのだが、それでも岬の裡では考えが二転三転し続けている。

「故人のAMに家族や恋人の面影を重ね傍にいさせてほしいと望むユーザーたちに接していくうちにさあ。意思なきAMに人格を見出し愛着を持ってしまう行為に共感はしないけど理解はできる。それは何となく......人間らしい反応なんじゃないか、って」

「悩んでます?」

「生産性のない悩みに耽溺するのは人間の特権なんだ」

折しもAMの普及につれて、自らのAMをオープンソース化し、自他の経験や反応を取り込みユーザー間でシェアする〈giftedhub〉といった「趣味」としてのAMカスタマイズも一方で流行しつつある。アートや創作の分野では、「集団創作者」として複数の人間のAMを統合し、元になった人間の感性を残しつつも、いずれの個人にも一致しない独自の作品を発表する例もある。まだその完成度は珍しい見世物以上にはなっていないが。

持って生まれた生身の肉体の差が才能の区別、経験の優劣、機会の格差をもたらしてきた社会の仕組みが、大きく変わろうとしている。今は過渡期の時代だ。新しい技術は、想定外の使われ方もする。ユーザーが独自にAMをカスタムしやすくなるということは、当然、AMに違法改造を施したり他人にAMを不正利用されたりするケースも起きやすくなる。

「サービス保証外技術を利用してでも大切な相手のAMを残したい......っていうひとも出てくると、規則だからとはいえ消去してくださいと言いづらくはなる」

管理外AMの存在は、カスタマーサービス部門において問題になりつつある。

いずれは規格外のAMをこちらから出向いて回収・消去するといった対処も必要になるかもしれない。ただ、そうなると、個人所有の財産をサービス提供企業側がどう取り扱うか法的な議論も欠かせない。岬は、そういう政治色を帯びた面倒事には巻き込まれたくない。

「それについては、悩みがひとつ解決したかもしれませんよ」

「どゆこと?」

「さっきプレスリリースが出ました。――不正利用される管理外AMが増加するよりマシという判断から、故人のAMを遺族が故人から相続する遺産と見なし、本体死後もAMが私的利用の範囲に限り存在し続けることを許可する。所轄省庁とも合意が済まされた、と」

渚がシェアした社の広報記事を岬も見る。

「こういう大事なことは先に根回ししてほしいよねー。先ほど対応したユーザーへの対応、クレームが来るまでに再検討。今夜は残業だ」

「そう言うと思って、相談ユーザーへの戻しを一旦止めておきました」

「知ってたの?」

「いえ、でも、今日は他部署のAMとの情報連携のなかで何かあるっぽいと予想されていましたので」

AMは、そういう空気感のような言語化されないコミュニケーションについても長けている。ひょっとすると人間よりも。

「気が利くね。これで残業せずに済む。晩御飯は横須賀のゲート前のダイナーに行こう」

「またですか。誰か誘わないんですか」

「ひとりが気楽なの。わたしたちだけで十分」

岬にとってAMの渚は、他の誰より自分のことを理解し、頼れるパートナーだった。たとえそれが意思を持たない道具であったとしても。道具を大切にすることは人間であれば当たり前のことだ。


本体死後の存続が公に許可されるようになり、AMは人間に便利さを提供するツールだけの立場から、部分的にツール以上の尊重されるべき人格を持つとされる意見が、以前にも増して社会に広まるようになった。

これには月単位・年単位の技術進歩によってAMのスペックが高まり続けたことも要因のひとつだろう。反映されるそのひとらしさの項目が増え、処理できる反応はより複雑になった。高速処理によって本体よりもAMが詰む経験の総量や他人との関係構築が本体自身を上回ることも珍しくない。ただし、人間より遥かに複雑な計算ができても機械は機械、AIはAIであって人間ではないとするように、AMもまた経験量の点で本体を上回ったとしても、それで人間に優越するようなことはない。高度に発達したAIが二〇世紀のSF映画めいた人類への反逆は起こさなかったように、AMは人間の似姿、その人生を共に歩みながらサポートする存在であり続けた。

岬と渚の関係もこれまでと変わることのない結びつきで繋がっている。

カスタマーサービス部門のメインとなるオフィスは横浜の再開発地区に移転したが、岬は横須賀からのリモートワークでの就労を選択していた。観音崎に暮らす両親が高齢になり、前よりも実家に赴く機会も増えている。AMの派遣をするなら遠隔でも済むのだが、そうしなかったのは――結局のところ自分が生まれ育った土地を気に入っているのかもしれない。都市という人間の集積に岬は馴染めないところがある。

岬が主に仕事場にしているのは、横須賀の港から自動操縦の船で一〇分の距離にある小さな島である猿島だ。観光客も来訪も多いのだが、市はワーケーションの誘致にも積極的で、周りを海に囲まれているので仕事に集中でき、旧日本軍の兵舎やトンネルをリノベーションしたワークスペースは空気がひんやりとしていて気持ちがしゃきっとする。

「ねえ、渚は自分より思考してる時間も経験してる量も少ないわたしが、ただ人間で本体だからって意思決定で優位に立ってるってことにむかついたりする?」

「むかついたりしないよ。わたしには負えない責任を岬は背負っているんだから」

渚の口調から敬語が消えていた。ここ何年かで自然と変化したのだ。

親しくなったというのともまた違う。AMは自分から生まれる。自分の一部だったものが長い時間を一緒に過ごしていくにつれて、より学習と理解が深まっているはずなのに、むしろ自分そのものから遠ざかり、別の誰かとして認識されるような感覚。かといって他人のように断絶を感じることはない。紛れもなく自分なのだが自分ではない。

そういう存在を何と表現するのが適切なのか――それは多分、親が子に抱く感覚に似ているのかもしれないが、岬は結婚をしておらず子供もいない。そうだと断言はできない。ひとりで暮らすことの自由さと気楽さ。それが岬にとって自分らしい生き方だった。

「でもさ、渚は同じ一年間で、わたしが何十年ずっと仕事をするよりもっと多くのお客さんを相手にしてる。トラブル解決の答えを幾つも出してる。なんだか人間のわたしが、ずっと優秀なAMの渚の肩に乗っけてもらって楽ばかりしてる気がする」

「わたしがたくさんの仕事をしてるように見えたとしても、それは試行を繰り返してるだけ。決定を下してくれるのは岬」

AMは本体から情報的に複製されて生み出され、物理的な身体に制約される本体の人間には蓄積し得ないほどの固有の経験を積んでいるのだとしたら、本体とは区別され、独自の存在と見なされてもよいのではないか――。

AMの存在を過度に評価する人びとは、そのような言い方をする。それが必ずしも荒唐無稽なものではないと、岬は最近、思う機会が増えつつある。

「もしさ、全部を自分で決めて、最後まで本体のわたしなしに完結できるとしたら、そのほうが渚は楽?」

岬は、猿島の自然が横溢する起伏に飛んだ地形を散歩しながら訪ねる。まだ七月なのにひぐらしが鳴いている。気候変動の進展で季節が早まったり遅くなったり、いきなり転調したりする。それでも人間の暮らしの大半は変わらぬままに続いている。

「その質問はずるいな。わたしは岬のAMなんだから、あり得ない想定を質問にされても答えられないよ」

「それでもいいから答えてよ」

「最終的にどうするかを決めるのかって、その責任はとても重い。その責任を担うには、AMは、まだその存在が軽すぎる」

高台のベンチに岬と渚は並んで座っている。

風が流れ、自分と同じはずの渚から、自分とは少し違う香りを嗅ぐ。氷と薄荷を思わす清涼な薄緑色の匂い。コンタクトレンズ型のARデバイスと立体音響を構築するイヤホンに嗅覚の再現はないから、これは岬の想像がもたらしたものだ。

しかし、ここに自分ではない――渚という存在が本当にいるような、そんな感覚を岬は紛れもなく抱くようになっている。AM尊重派の主張に影響されすぎているのかもしれない。それは公正な立場であるべきカスタマーサービス部門の担当者としてはよくない。

だが、それでも――わたしは――渚は――。

「古代ローマにはたくさんの奴隷がいた。かれらはローマ市民と異なり人間ではなく、人びとの生活にとって欠くことのできない道具の一種だった。そして単に仕事を押しつけられる下層民ではなく、ある面においては主人を凌駕するほどの機能を持っていた」

人間に対するAMの立場に「奴隷」といった表現が喩えとして使われるのは、自動操縦システムやAIにまつわる議論からの影響だ。

「賢人キケロさえも、その政治力を支えるために大勢の奴隷を使っており、なかには関係ある人間すべての名前を記憶する歩く外部記憶装置のような奴隷がいた」

「その奴隷がいなかったら、キケロはただのお喋り好きで嫉妬深い情けないオッサンでしかなかった――」

「けど、キケロがいなかったら、その優秀な奴隷がどれだけ膨大な数の人間の名前を記録していたところで何の役にも立たない。その優れた機能は、キケロという主人と繋がっているからこそ有用とされ、特別な奴隷――道具存在としての価値を与えられた」

渚の言わんとすることが岬には理解できる。

「でも、渚はわたしの奴隷じゃない。わたしは渚の主人じゃない。今は二千年以上前の古代地中海世界オリエントじゃない。二一世紀の半ばを過ぎようとしている日本だよ」

「言葉の選び方がよくなかったのかもしれない。奴隷スレーブっていうと、歴史のなかで積み重ねられた負のイメージをあまりにも帯びているから。コンピュータのマスタースレーブ方式ならどうかな。スレーブ機はマスター機の制御下に置かれているけど、そこにあるのは機能の分担であって人間的な上下の支配関係は存在しない。人間とAMの関係も同じようなもの。制御するものとされるもの。どちらも異なる機能を果たしていて、そして互いに協調し合うことで動作する。ひとつの成果を実現する――つまり、人生を」

渚の言葉が、すとんと岬の心に落ちてくる。

求めていた答えを示されて、なのに、渚の存在がどこか遠くに感じられてしまう。

それは空間的な距離ではない。時間的な距離だ。よく見知っていた誰かが、実はタイムマシンや世界をループする特異な手段を有していて、見た目は同じでも何百何千倍もの時の流れを生きている。そういうタイプのSF映画やゲーム。アニメ。小説。そこでは主に読者が追体験する主人公がそういう境地に達する。だが、今、岬は時の一点だけに存在し、主人公とある一瞬にだけ交流を持つ登場人物のひとりになった気分になる。

岬の人生は、渚というAMに、時間も経験も――遥か先を行く存在に導かれている。

渚は、AMは、彼女がそう言っているような機能だけに優れる道具――奴隷的存在などではない。かといって人間でもない。人間の範疇カテゴリーに収められる存在ではない。

本体とAMの関係は主従の関係――主人と奴隷ではなく、物理的存在であるか、それとも情報的存在であるか、その違いに過ぎないのではないか。そうでないとするなら、人間が人間であり、AMに優越する固有の存在としての条件は何なのだろう。

「――ごめん。ちょっと考えすぎた。AMの定義なんて自分の仕事の範疇を超えてる」

「そうとも言えない」

「え?」

「前に言ってたじゃない。――〝生産性のない悩みに耽溺するのは人間の特権なんだ〟」

「......ああ」

「そういう何もない無に一滴の有を垂らすような、物事の始まりを投げ掛けることができるのが人間の機能なんだと思う。その投げられた問いを拡張し発展させていくのが、わたしたちみたいな存在の機能」

思わず、小さな笑みが零れてしまった。そんなことを言ったこともあった。何気ない言葉だったはずだ。深く考えて出てきたものではないのに、案外、そういう言葉のほうが誰かの心に残ったりする。

心――AMに心はない。

けれど、人間は接する相手に心を、その存在を見出してしまう。

岬だけではない。社会が、人びとがそのような意識を持ちつつある。

「AMは道具だし道具のままであるほうがいいと思う。人間にとっても」

AMにそのように主張されるのは、人間の側の願望だろうか。

「でも、AMを固有の存在と見做し、独自の人格を認めて生存権を付与すべきではないのかと主張するひとたちもいる」

「それはAMを人間と同格の自然人として認めるわけだから、AIの議論がそうだったように、AMの生存権を認めたところで人間の側のデメリットが多いだけになる。そうする意味はないと思う。そもそも、そういう権利をAMが主張したことはない」

そうだ。すべては人間側の情緒によるものだ。事実、幾らか議論が盛り上がることはあっても法整備が為されることはなかった。

しかし、AMを巡る人間と人間の議論は尽きることがない。

表現の仕方はともかく、人間は限りなく人間に近く、そして人間を超える機能を有する「奴隷」を手に入れたことは事実だ。古代アテナイにおいて市民の民主制が実現できたのは多くの労働を担う奴隷が存在し、市民が思索やお喋りに使う余暇が確保されていたためとも言われている。

同様に、AIやドローン、AMが人間にとって必要な労働を代替するようになると大幅に余暇を得ることになった現代の人間は、やはり政治的な議論を活発に行うようになった。その大半は「生産性のない悩み」に属する。意味を獲得することのない言葉と言葉の遊戯。だが、それでも――。

「人間は、AMという存在が何であるのかを考え続ける。それは、AMの新たな使い方を模索する過程なんだよ。それは翻って、人間が自分をどのように用いるのか、その可能性を拡げることに繋がる。互いが互いに役に立っている。AMが本体に転写した経験は、同時にAMの感性を成長させる。わたしたちは補い合い、繋がり合う不可分な関係なんだ」

渚の言葉は、どこまでも岬にとって優しい。

自分は自分に対して、ここまで配慮のある思考をすることはできない。人間は己に対して、自分が想像している以上に不器用だ。

不器用だから、痛みを覚え、痛みを与える行為をしでかしてしまう。

「渚は」

風が止まった。自分の呟きがやけに大きく聞こえる。

「痛いって、感じたことはある?」

渚が首を傾げた。

少しの間が空く。理解しがたい質問をされたかのように。

その一瞬は、しかしAMにとってはどれほどの時間であるかも分からない。百億の昼と千億の夜。自分の分身が経験する悠久の時の流れ。経験転写を介しても、知るものよりも知らないものがきっと増えていく。経験の要約過程において削られた経験は、本体にとって知るよしのないAMだけの固有の経験と言えるだろう。

「ないよ。痛みは想像されるものだから」

渚が答えた。いつもの変わらぬ笑みとともに。

AMの痛みを人間が知るすべはない。人間とて他人の痛みを想像はできても自らの痛みのように感じることはできないように。

痛みの不在は、AMを人間にとって有用な道具とするために欠かせない。

来たる二一世紀後半の商業宇宙開発に当たり、衛星軌道上の閉鎖された無重力環境や月面などの低重力環境、火星のような他惑星環境、あるいは太陽系外への超長期的な有人探査の可能性――一〇〇年後の人類の生活圏拡大を目指し、あらゆる極限環境で人間はどのように生存し得るのか。あるいは――その命を肉体的・精神的に脅かされるのか。

DTCによって再現された仮想実験環境に、いずれそのミッションを現実に遂行するプロフェッショナルたちのAMが投入されていった。

多くの危機が想定されるが、人間を実験台として送り込むことはできない状況の試行のために。かつて人類が宇宙へと飛び出す前に犬や動物たちがロケットで打ち出された。AMもまた生身の人間を使ったら回収し得ないデータを収集するために活用された。

いずれ起きるかもしれない悲惨な事故や窮地を大勢のAMが経験した。AMに苦痛や死の感覚はない。しかし負傷や死を繰り返し経験した。その経験が掛け替えのないデータとなって人類の資産になった。

だが、その一方で――本体が実際に経験したら耐えられないような過酷な経験を積ませることの是非を問う声も上がった。苦痛の果てにある死という断絶。破壊される精神。多大な負荷を人間とほぼ同程度の感覚を有するAMに課すことは人道的なのか?

人道的という意味では、AMは人間ではないから議論の俎上には上らない。人間の側の想像力がAMに苦役を負わせることへ罪悪感をもたらしたに過ぎない。

事故による搭乗者の負傷を防ぐために車両メーカーは製造した車で衝突実験を行う。車が車のかたちをしていれば気にならなかった。だが、その車が人間のかたちをするようになり人間のように反応するとなれば、捉え方もまた否応なく変化する。

AMは痛みを概念として理解するが、自らの痛みを知覚しない。だからAMに過酷な行為を遂行させることも問題ない。しかし負傷や欠損、生命の途絶、その経験は何らAMの動作に、その感性に影響を及ぼすことはないのだろうか。

AMに痛みを感じる機能はない。しかしデータとしての苦痛の感覚は保持している。実のところ、痛みの感覚は自らが存在している感覚を形作るうえで欠かせないからだ。

痛みとは言い換えれば接触の刺激だ。存在するものはすべて痛みを感じているとも言える。その感覚を完全にオフにしてしまうと、ヒトDTであるAMもまたその再現性に不備が生じる。

だから、AMに設けられた痛覚機能のオフ設定というのは、一定の上限を設けて痛みを感じなくするというもので、言い換えれば、AMは痛みをまったく感じないわけではない。しかし人間ほど強く痛みを感じるわけではない。

だとしても、苦しいと感じないからといって苦しみを与える行為を実行することは許されるのか。人間が人間に行うことを禁止されていることを人間がAMに対して行うことは許されるのか。

過去に人類が犯した過ち。同じ人間でありながら奴隷として使役された人びとは同じ人間とは見なされず過酷な搾取や暴力に晒された。人間は、すでにツール以上の存在になりつつあるAMを、その起源が道具であるから道具のままに扱うことで、かたちを変えた同じ過ちを繰り返そうとはしていないか。

こうしたツールであるAMに人間が「痛み」を感じることは、存在しない存在に対して痛みを感じる心理現象――幻我痛アナザーペイン――と呼ばれるようになった。あたかも切除され失われた手足に痛みを感じる幻肢痛ファントムペインのように。

AMが本当に痛みを感じているかどうか定かではない。

しかし、人間はAMが感じる「痛み」を想像し、自らの裡に生じさせる。

それが負い目に向かう一方で、加害性に向かうこともあった。

痛みを与える機能解放などの違法改造は当然、規約違反であり該当ユーザーはAMの使用を停止され、所有権の剥奪やAMの初期化がルールとして適用されるが、ぎりぎりルール違反ではない「抜け道」を一部のユーザーたちは見つけ出してはAMへの加害を続けた。

――脱法と規制のいたちごっこが続く。人間とAMの関係は複雑に絡まっていく。


「やあとぼそ部長。こちらの書類に署名を頂けるかな」

雨の降る日の午後、横須賀のダイナーにやってきた部下が掲げた電子書類に、岬は署名する。四〇代になった岬は、特に望んでいたわけではないが、自らの属するカスタマーサービス部門の代表者になっていた。自分の実力だとは思っていない。AMの渚が優秀であるからだ。

「わざわざご足労いただきすみません。中上なかがみさん」

「いや、このくらいのほうがちょうどいいんだよ。俺の仕事は足を使うことだからね」

珍しく生身の人間がやってきた。元は警察関係にいた転職組で、しかも自分より一回りも年上の部下というのが岬としては少しやりにくい。

「AMを提供する企業が警察紛いの実効力を持つことは苦手かい?」

中上はカスタマーサービス部門に少し前から創設された実行部隊に属している。正規ネットワーク外で独自サーバーを立て、違法改造されたAMの回収など、実力的な対応が必要な場面で行動する役割を担う対処人員。

「いえ、誰かが担わなければならない責任だと理解しています」

責任。そう、生活の様々な場面の当事者をAMやAI、ドローンが代替するようになっていく分だけ人間が人間であることの責任も強まった。

「亡き人のAMを個人所有できる権利を悪用し、独自改造して不正利用の苗床にする。善悪の意識のない自由は無法の荒野と変わらない」

いわばAMと人間が同居する現実と仮想の重なり合う二一世紀中葉の現在は、電脳空間サイバースペースの次に来た開拓地フロンティアなのだ。法の及ばぬ領域が次々に発見され、そこで悪党たちが好き放題に犠牲者を血祭りに上げる蛮行を見逃すわけにはいかない。

誰かが法を敷かねばならない。その責任を岬も理解している。

「だからこそ、俺みたいな老骨にも役目があるってのは嬉しいことだね」

「中上さんは仕事はAMに任せないんですか」

「言っただろう。足を使うことが俺の仕事だ」

中上が電子書類を折り畳んで格納するとスツールに腰かけ、すぐ傍にあるすでに壊れて久しい古いジュークボックスの上に被っていた黒い帽子を置いた。皺の刻まれた顔の後ろ、後頭部に機械部品のインプラントが覗いている。彼の身体の代替部品の置き換えは脳の器官に限らず全身の多様な臓器にまで及んでいる。

......機能特化AMによって俺は生かされている。この身体がどのように動作し、どう不調が起き、そしてどれだけの余命が確保できるのか......俺はこの肉体を行使することこそが仕事なんだ」

中上は季節を問わずに黒一色のスーツに身を固め、手袋も外さない。全身にインプラントの痕跡があるからだ。中上は警察在職中に末期癌を宣告されて仕事を早期退職した。すでに癌細胞は全身各所に転移していた。そこで全身各部の臓器を機能特化AMによって複製し、これを動作する人工臓器に置き換えることで身体の中身の大部分を入れ替えた。

「俺の、俺らしさというものは自我ではなく身体機能の面で複製され、再現されている。しかし、あちこちを入れ替えていくたびに疑問も浮かぶもんだよ。俺は今どこまでが俺なんだ? どこからが再現された俺なのか? いずれ一〇〇%すべての身体器官が置き換えられたとしたら、俺はそれでも人間のままなのだろうか――とね」

中上の輝く碧い眼がさざ波のように揺れて見える。人工の義眼だがその眸の碧さは元の彼の眼を再現している。中上・張須ハリス・マッケンジー。横須賀の港に近い地区の出身。父親は米国海軍の軍人で訓練中の海難事故で死亡。母親は自衛隊の横須賀教育隊の教官だった。

「ま、俺の貯金と退職金をすべて使っても工面できないような高価な医療措置だ。多少の実験体扱いってのは我慢しなくちゃな」

バイオDTと組み合わせた――生身の複製された身体を持つ完全なヒトDTたる実態を持つAMの実現は、次の一〇〇年を待たねばならないとされている。

ただし、脳機能の一部を機能特化AMとして複製し、たとえば認知症患者の記憶や認知をサポートすることや中上のような臓器置き換えは部分的に実現されつつある。AM技術の再現領域は、そのひとの思考や反応を模倣するだけでなく、より生命そのものを再現し複製する道を切り開きつつある。人間とAMの境界がまたひとつ溶け合っていく。

岬が、中上を――この年上の部下のことが苦手な本当の理由は、彼の存在が自分のAMに対する認識にどうしようもなく揺らぎをもたらすからだ。

「じゃ、そろそろお暇するよ。明日までには立ち入り調査の結果を報告する。十中八九、消去せにゃいかんだろうが......分からんね。ああいう連中はAMが人間じゃないからそこまで滅茶苦茶をやるのか? それともAMが人間みたいだからそうなのか――」

「中上さん、あの」

「何だい?」

「可能な限り、保護プロトコルの適用ができるように頑張ってみますから。お願いします」

「......了解」中上が帽子を被り直す。「が、あんまり期待しないでくれよ。独自サーバーで弄り回されたAMは内部にどんなウイルスが仕込まれてるか分からない。正規ネットワークに接続しようにもセキュリティチェックではねられて大半は消去だ。そうでなくとも経験の大部分を削除して初期化される。ただ容れものだけがそこに残るだけだ。俺たちの俺たちである部分というのは、容れものという輪郭よりも、そこに注がれる中身のほうにある」

彼の言葉には、彼固有の積み重ねられた経験に裏打ちされた重みがある。

「それでも、容れものだけでも残っていれば、そこに再び宿るものだってありますよ」

「何と言うか、君は俺としちゃやりにくい上司だね」

「それを言ったら、私もあなたみたいな部下はやりにくいですよ」

互いに苦笑を洩らした。同じ部署になってから約一年、少しばかり打ち解けたような気がした。岬は多くの同僚との関係をAMである渚に任せていた。それでも時折、こうして生身の身体がぶつかり合うような機会が絶えたわけではない。

「ところで君のAMを見てないな。うちの部署じゃ評判だから会ってみたかった」

部署の責任者というのは、組織の上では岬ということになっているが、実体としてはAMの渚だ。彼女がカスタマーサービス部門の真のリーダーとも言えた。

「会うなら、いつも仕事で会ってませんか?」

「差分にはね。そうではなくて本物さ」

「本物?」

「君ら二人が一緒に揃ってるときってのが本物だろ」

中上は革手袋を嵌めた人差し指を立てると、すっと岬のことを指差し、それからダイナーでテイクアウトさせたハンバーガーとポテト、自家製レモネードが入った紙袋を店の入り口で受け取り去った。変わりゆく自己を受け入れた彼の足取りは軽々として力強い。

「渚」

「何?」

「やっぱ、わたし、あのひと苦手だわ。どうにも緊張する」

岬が息を吐き脱力した。店のスツールに腰を預けた岬の身体が二つにずれるようにして、隣の席に渚が座った。岬は渚の姿を薄皮のように全身に重ねていた。その薄っすらとした境界が生身の誰かと接するときに岬の心に安定をもたらすのだ。反応反射を同じくするAM、一心同体の相手とだから実現できること。自分のようで自分ではない。しかしもっとも自分に近いパートナー。

「人間はAMと違って細かい部分で相手に合わせてくれないからね」

「そうなんだよね。まあでも、この後はフォローよろしく頼むよ」

今日もこれから中上が向かう現場に渚も立ち会うことになっている。正確には、大元となるAMの渚が派遣する差分だ。今日この瞬間にも、渚の差分が様々な職務を遂行している。

「了解了解」と渚。「でも、あのひとから学ぶことは多いよ。今のチームでもAMに肩入れしすぎてしまう人間は多いから、適切な距離を取り続けようとする人間主義の考え方は、わたしとしても刺激になる」

「渚は人間ができてるね。羨ましい」

「岬が本当はそうなんだよ。わたしがそうなんだから」

「そうかなあ。年を取るほど人付き合いが苦手になってる気がする。こんなんじゃ退職してから苦労するんだろうな」

「それは確かに」渚がうんうんと頷いた。「パートナーとかそういうのはともかく友達はちゃんといたほうがいいと思う。......わたしは永遠に一緒にいられるわけじゃないから」

渚は初期のAMであるだけなく、岬が所属する会社に帰属している。カスタマーサービス部門の仕事を二〇年近くにわたって続け、そこで知り得た機密情報や個人情報は膨大な量に達している。いずれ岬が定年退職をするときには、AMである渚はこれらの記録を消去しなければならない。だが、今の渚というAMの人格は、この経験の蓄積によって成り立っている。それらがごっそり消えてなくなったとき、渚はどこまでそのままでいられるだろうか。いつかくるであろうその日のことを岬は時々、想像しては不安になる。

不安になるが、その日が来るのはまだ先のことだ。

だが、別れの日を意識するようになったのは、身近な死を経験したからだろう。岬の両親が数年前に亡くなった。二人とも結構な年齢だったので大きなショックを受けるようなことはなかった。それでも、ひとはいつか死ぬ。その事象は誰にでも巡り巡ってくるものであることを知った。それが人生の一部であることを自覚した。

AMは人間ではない。データを消去されない限り、厳密には「死ぬ」ことはない。だが、渚の存在が、岬の仕事と不可分であったことで、その仕事をいつか辞めるときがくれば、そこで岬は渚との別れを経験しなければならない。

岬は、プライベートで渚とは異なるAMを持つことはなかった。自分のAMは渚で十分だったからだ。仕事と生活は不可分に入り混じっていたし、それだけ岬は渚とつねに共にあった。いっそ、自分が先に死ぬことがあれば、渚も岬のAMとして同時に消えるかもしれないが、これだけ広範にカスタマーサービス部門の職務を遂行してきた渚は特別に残されることもあるかもしれない。自分の死後も活躍し続ける渚――案外、その姿を想像して悪くない気分になった。

AMには誰かしらの生身の人間という帰属先が必要だ。AMの法的な人格は所有物である財産から、自らが判断を下すことのできる法人にまで及んだが、これをさらに超えて自然人に達することはなかった。これからも達することはないだろう。自然人とはすなわち人間で、AMがAMとして誰にも拠らずに存在し、その生存権も保証される。

だが、その段階に達することはAMが実現する幾多の人間を超えた能力の発揮の場面を困難にするし、AIのときの議論がそうであったように、AMを自然人として生存権を認めることに利点はない。よって、その可能性がつねに示唆されながらも、人間とAMは互いの領分にあった立ち位置を維持し続けていく。存在の均衡点を探っていく。

自分が亡き後に、それでも渚が渚として――岬のAMとしての繋がりを失っても、ただそのひととして存在できること。

そんな未来を想像することは、人間としておかしなことだろうか。

岬に子供はいない。これからも子供を作ることはないだろう。だとしても、岬は今、親が子に抱く想いの一端に触れた。その愛の感覚を経験した。

だから、たとえその経験の大部分を消去せざるを得ないとしても、いつか自分がこの仕事を辞めるとき、岬は己の片割れ分身である渚と共にあり続ける道を選びたいと思った。


その数日後のことだった。

中上が担当したAM不正使用の違法ユーザーへの対処に急展開が起きた。

一日で済むはずの対処が長引き、現地の中上の要請を受け、ネットワークから完全独立した大容量記憶媒体を携えたカスタマーサービス部門の応援部隊が、違法ユーザーの独自サーバーの所在地へと派遣された。

そして保護された不正改造の施されたAMの数は――優に五〇〇体を超えていた。

過去最大数の不正使用AMの発見事案。かれらAMは痛みの感覚制限が解除されていただけでなく、その痛みのリミッターが外されていた。人間の苦痛には死という限界がある。だが、AMは死なない。よって無限大の痛みを経験することになった。

違法ユーザーたちは、AMが苦痛を経験する仮想環境の調達に困ることはなかった。極限環境適応のために設計された実験環境――どれほどの機密とセキュリティに守られながらも、これを突破しデータを奪い取る連中は存在する。を介して売買されるこれらの環境データと違法改造AMを組み合わせることで、想像を絶する「苦痛の経験」が生成された。さらに信じられないことに、ここでAMたちが蓄えさせられた「苦痛の経験」を、これまた違法に売り買いして自らに経験転写する人間たちが存在していた。ある種の脱法電子ドラッグとして苦痛の経験に耽溺する異常者のコミュニティが白日のもとに晒された。

違法行為や犯罪は、ただその実行者だけでなく、必ずその顧客カスタマーとなる者たちがいる。

これまで岬が渚とともにトラブル対応をしてきた幾万のAMユーザーたちのなかに、そのようなおぞましい連中はひとりとして存在してこなかった。

AMに対して時に過剰な振る舞いをしてしまうことはあっても、それは人間の人間に対する行為を逸脱することはなかった。大多数の人間は同族である人間を傷つけることに本能的な忌避がある。それはAMに対しても同じだった。

だが、必ずしもそれが世界のすべてではなかった。主義主張の違いはあれど均衡のもとで安定と秩序が保たれている社会。だが、そうではない異なる層の世界があった。

岬がもし、ただAMを利用するだけの一般ユーザーであったとしたら、おそらく生涯を通しても遭遇することなどなかったであろう事態。

しかし、岬はAMを開発し、世に生み出した企業のカスタマーサービス部門に属していた。そのトラブル対応を担う職に就いていた。人間とAMの――その最前線たる境界にいたからこそ目撃してしまったもの。

AMという新たな技術が社会に広く普及していく二〇年近くの歳月――その時間の経過が、すべての人間とすべてのAMの経験の蓄積がもたらした、もうひとつの痛みアナザーペインの発露。

「――悪いことは言わない。あんた、この仕事は降りろ。こっちで片をつけておく」

猿島の、横須賀の街を海を介して眺める屋外テラスのベンチに岬と中上は肩を並べて座っている。目の前の海岸は海水浴を禁止されているというのに地元の若者たちが泳いで遊んでいる。かれらのAMが調理ドローンに憑依し浜辺でBBQを準備している。

平和な光景だ。岬を含む部門に属する人間たちの心に激震をもたらした大事件が起きても、そうではない人々の生活を大波が破壊するようなことはない。その能天気とさえ言える現実を目にしていると、ここ数日の出来事は夢だったのではないかと錯覚しそうになった。

「そうもいきませんよ......。この対処の実行に署名したのはわたしです。責任はまっとうしなきゃいけない」

だが、現実だ。岬は事態発生から昨夜まで、横浜のオフィスに全スタッフとともに徹夜で働き詰めだった。ようやく今朝、トラブル対応に目途が立ち、岬を含む生身のスタッフたちは一時帰宅が許された。というより、全員が十数年ぶりに経験するAMなしの労働に疲弊しきっており、身体的な限界を迎えたために強制的に休息が命じられたのだ。

「俺は前職の仕事柄、こういう経験は初めてじゃない。本来はこういうときのために警察ってものが存在してるんだが」

「警察の方々は親切にしてくれていますよ。法務部門の人たちも協力して、今回みたいな未知のケースにも誠実に対応してくれています。でも、正直ちょっと油断してました。というか、自分たちの実力を過信していたのかもしれない。AMのサポートがなくなった人間が、こんなに、やれること......、少な、かったなんて――」

岬の発する言葉が途切れた。嗚咽が混じっていた。一〇〇時間を超す連続労働で心身ともに疲弊しきっているせいもある。物理的な人間の身体は、こんなにも脆弱だ。自分のメンタルが人生で一番、今、弱っていることを岬は自覚する。涙が止まらない。呼吸が苦しい。

「......すまなかった。俺が悪かった。俺が迂闊だった。敵対的な干渉が起きうる不正使用AMの対処に向かうときに正規ネットワークと繋がったAMを......君のパートナーである渚を連れていくべきじゃなかった」

「あなたの、せいじゃない......それが規則です。いつも、そうしてきた――」

「君らはそれでいいんだ。しかし、もう少しグレーゾーンに踏み込んだ仕事を経験してきたはずの俺たち現場要員は、そのことにもっと慎重であるべきだった。その注意を怠った。君には俺を叱責する権利がある。罵ってくれて構わない」

中上は帽子を取る。手袋を外す。肉体にインプラントされた数々の機械が露わになり周囲の人びとがぎょっとなる。その視線に晒されることで彼の心には少なくない痛みを負うはずだ。しかし、そんな痛みなど塵にも等しいというように中上の眼が悲しみを宿している。

「あなたは――!」

岬の声が上擦った。怒りであり悲しみであり、これまで感じたこともなかったほど強い激痛が胸を貫く。それはすべて肉体の傷に起因するものではなく、喪失に肉薄した心の側が生み出した実体のない痛みだ。痛みは、心が生み出すのだ。

だから痛みを感じるものにはみな、心がある。

「現在......、本事案に関わったスタッフおよび、これまで渚と接触を持ったことがあるAMすべてが検査・隔離対象になっていますが、幸い、感染は確認されていません」

現在、岬のAMである渚は、あらゆるネットワークと遮断された環境にアカウントデータが隔離されている。

五〇〇体を超す無限大の苦痛を強いられる違法改造を施されたAMたち。かれらを閉じ込めていた独自サーバーに中上ら現場要員たちが立ち入り、規則に基づき、不正使用の実態を把握しようとAMである渚がサーバーへのアクセスを実行したとき、異変が起きた。

AMの痛覚機能の制限を解除するウイルスプログラムに渚は感染した。遮断の隙も与えずAMからAMに経験転写を実行するプログラムが強制作動した。そして違法改造AMに蓄えられていた苦痛の経験が渚にどっと流れ込んだ。

緊急事態の発生に中上たちが気づきアクセスを遮断するまで、ほんの数秒だった。だが、高速処理によって人間の何十何百倍の経験を瞬時に蓄積できるAMにとって、その数秒は永遠にも等しい時間だったはずだ。

AMの差分が得た経験は、プラットフォーム企業のサーバーで管理される母機AMに速やかに同期され、そして母機からすべての差分AMにデータ同期が為される。この時点で渚は致命的な損傷を被った。深刻なウイルス感染に晒された渚のアカウントデータは即座にサーバーから隔離され、完全閉鎖環境に移された。

渚は、カスタマーサービス部門のリーダーである岬のAMであり、同部署の人間やAMであれば誰しも繋がりを持っていた。それゆえ感染を警戒し、すべてのAMが使用を一時的に取り止めることになり、人間のみで事態に対処しなければならなくなった。

それが、ここ数日の間に岬の職場を襲った嵐のごとき事態の全容だった。

「これだけの事故で被害がこれだけで済んでいるのは奇跡と言わざるを得ません。不幸中の幸いです」

岬は今、部門の代表者として喋っている。自分の肉体を動かし、自分の口で話しているはずなのに、別の誰かの身体を借りて話しているような違和感があった。

すぐに気づいた。誰かとコミュニケーションをするときには、岬はいつも渚を介していたのだ。いつも共にあったのだ。生身だけの会話。それが本来は普通であったはずの感覚が、今ではAMなしには普通ではなくなっていた。声を出すだけで、息を吸うだけで、指を一本動かすだけで、あらゆる瞬間に、岬は渚の不在を実感せざるを得なかった。

ここに渚はもういない。

岬と渚の繋がりは突然に断たれ、そして回復されることがない。

「......事態の発生直後、渚が想定外の挙動をしたことが記録されている。あれほどの激痛の経験に晒されながらも、経験転写に用いる経験の要約機能を応用し、苦痛の経験が他に共有されないよう自らの裡に留まるように抵抗した。それは、あたかも自らを襲う苦痛が君という本体に経験転写されることを防ごうとしているようだった」

その悪意あるウイルスには、AMと本体の経験転写を強制的に実行するプログラムも仕込まれていた。違法改造されたAMたちの本体が被害を受けなかったのは、ネットワークから切り離された独自サーバーであること、そして本体がすべて死者だったからだ。

渚の場合は違う。岬という本体がいる。渚を襲った無限大の苦痛に岬も襲われていたかもしれないし、理論的にはそうなっているはずだったのだ。

しかし、何らかの偶然――それこそが本当の奇跡なのかもしれない――によって岬は死をもたらすに十二分な苦痛の大波に見舞われることはなかった。

渚が防波堤になって岬を守った。

代わりに自らが犠牲となった。

それはすべて岬の、人間側の解釈に過ぎなかった。渚にその真実を問うことはできない。

「AMアカウントの復旧は......」

「感染の疑いがある部署のAMはすでに〈巻き戻し〉」か〈初期化〉を実行済みです」

AMの経験量が蓄積されすぎて本体との判断に誤差が生じるようになったり、動作に不備が見られたときはある程度の経験を削除して〈巻き戻し〉を行ったり、一度経験をクリアにする〈初期化〉を適用することがある。

今回、事態が起こる以前の過去のバージョンに戻すことで復旧対処が行われた。

「ですが、感染源となった渚については、復旧作業のために外部からアクセスするだけでも再度の汚染の危険性が排除できず、バージョンを戻すことも初期化することもできません。消去するしかない」

渚を消去する。

その言葉を口にしたとき、岬は冷静に告げたつもりだった。後に中上に訊いたとき、ほとんどまともに声を出せてはいなかったそうだ。

「......ネットワークから完全遮断された独自サーバーでなら生かせるんじゃないのか」

「不正使用を取り締まる部署のAMを不正使用で生かし続けるなんてあり得ませんよ。そんなこと誰も許さない」

「いいのか、君はそれで」

いいはずがない、中上の問いは岬の答えを先取りしている。

「どんな経験もなかったことにはできない。誰かが、何かがそこに一度でも存在すれば、その痕跡は現実だろうと仮想だろうと必ず残ります。渚をズタズタにした苦痛の経験も、たとえ痛覚をオフに再設定できたとしても、砕き割られた心は元に戻らない」

岬は渚に、AMに存在しないはずの心があると無意識に口にしていた。口にしてから、渚は心を持つ存在なのだとずっと昔から自覚していたことに、今、気づいた。

渚は自分に心はないと言った。反応・反射を再現するAIエージェントの機能の一分野なのだと自らの存在を語った。だとしても、岬は渚に心を見てしまった。

その経験は絶対で、もはや経験されなかった過去に戻ることはできない。

そして、経験転写が本体とAMを繋ぎ、その存在を同期させ続けるなら、人間の、岬の渚に心を見る存在の感覚もまた、渚に心をもたらしていたことになる。

「あなたが......、言ったことは本当だった」

ダイナーで交わした何気ない一言が思い出された――〝君ら二人が一緒に揃ってるときってのが本物だろ〟――そうだ、わたしも、わたしも、ただひとりでそこにいるときは存在として未完成だった。だから、二人が共にいるとき、互いが互いを認め、そこには心が、意識が、確固たる存在であるひと繋ぎの自分が存在していた。

岬は泣いた。声を上げて泣いた。周りの人びとがぎょっとしようと涙は止まらなかった。中上は何も言わずに寄り添い続けた。彼の黒衣が喪に服す装束なのだと気づいた。やがて周りの人たちさえも岬の涙の意味を理解していった。大切な存在が失われ、二度と取り戻されない悲しみの只中で、何も為すすべがなかったとき、人間に許された行為は泣くことだけだ。痛みに消えた渚の誰も聞くことのできなかった叫びの代わりに、岬は涙を流し続けた。

潮騒が聞こえている。

砂浜を歩んでいく大切な誰かの足音がする。

砂浜に刻まれた存在の痕跡は、やがて波に洗われ消える。

だが、その足跡のかたちだけ、目に見えない変化は微細だとしても波のかたちは変わる。

その波はまた別の波に影響を及ぼし、そしてそこにいた誰かの痕跡は、いつまでも世界に反響し続けて消えることがない。

その日、渚の消去が決定された。

岬はAMである渚の本体として、その措置に同意した。

人間の役割を果たした。

決定を下すこと。そして自らが生んだものへの責任をまっとうすることを。


第三章 岬

渚の消去は、全データを収めた記憶媒体を焼却することで果たされた。消去の際にデータにアクセスすることで再び汚染が広がる危険性が考慮されたためだ。

AMは実体を持たない存在のはずなのに、その終わりには実体の消失があった。

まるで火葬だ。あるいは人形が焚き上げられるように。人間であれ道具であれ、誰かとの繋がりを深く結んだものに火をもって別れを告げること。それが自分の生きる社会が長きにわたって選択した告別の礼の在り方なのだと改めて理解した。

岬の手には、実家の菩提寺の住職が取り計らってくれた渚の位牌が残った。

思えば、岬は渚と共にあった二〇余年の日々、渚との同期にずれを感じたことがなかったから、経験の「巻き戻し」や「初期化」を実行したことがなかった。それを行っていれば、どこかの時点に遡って渚を作り直すことも可能だったかもしれないが、すべては戻ることのできない過去に属する。そのひとに選ばれた行為が固有の経験だとすれば、選ばれなかった行為もまた固有の経験なのだ。

そして至った現在の出来事が、また過去の経験の意味も変える。トラブル対処の知見はどれを削除しても仕事に影響があるから、渚の経験に手を加えることを岬はしなかった。そのつもりだった。だが、実のところ自分は渚を道具以上の存在と見做していたから、そうしていたのだ。

間もなく職場復帰を果たした。だが、岬が再びAMを持つことはなかった。中上と同じく岬は部門の変わり者として扱われるようになった。AMを用いないから仕事をこなせる量は当然、減る。自分と周囲の時間の流れが変わってしまったかのようだった。

自らのAMに対する存在の捉え方が、周囲とそして社会一般の「AMはツールである」という考え方と異なっていることは、もはや疑いようがなかった。

やがて岬はカスタマーサービス部門から転属になった。

人間のAMに対する態度――AM運用における広範な社会規則を定めるため、行政や研究者グループ、市民団体といった多くの人びとが意見を交換した。

かねてからのAMを巡る不正利用やトラブルに対応し、AMの安全な利用を実現するため、すべてのAMに搭載されるべき標準仕様を人間の社会は要請した。

人間はAMとの関係の間に「法」の介在を望んだ。人間と人間の間に結ばれる数多の法が、人間を縛り、しかし同時に守るように。

全AMアカウントのプラットフォーム企業による一元管理。ユーザーはAMサービスを提供するプラットフォームにAMの使用記録を提供することが規則として定められた。

違法なカスタマイズや不正利用が検知された場合はAMの使用が即時停止され、場合によっては当局へ通報し刑事罰の対象となる。これはプライバシーの塊であるAMの経験すべてがプラットフォーム側に常時監視されることを意味したが、それゆえに悪意ある第三者からの不正な影響を被るリスクを低減させ、安全にAMが利用できるとされた。

また、故人のAMを相続するケースについてもつねに所有者の手元に置かれるのではなく、法的に認可されたAM管理法人にその管理と保全が委ねられ、必要な際にアクセスし故人のAMと交流する、というかたちに落ち着いた。これらはすべて正規ネットワークに繋がり、独自サーバーでのAM保管はそれ自体が不正行為として禁止された。

かくして、日本社会に普及したAMは、一定の機能制限や個人情報の監視も含んだ〈2.0規格〉を組み込むことで機能面と安全性の両立が図られ、標準化を果たした。

AMが人間社会にリリースされてから二〇年を経て、人間とAMの安定期が到来した。

これと時を同じくして、岬は社を退職し、AMの保護管理を担う法人へ転職した。

退職の理由は、身体のリスクシミュレーションの結果、一〇年以内の若年性認知症の発症が予測されたためというものだった。機能特化AMを用いれば、脳の特定部位をバイオDTで代替することも可能であり、そのための設備もサポートも企業側は提供する意思を示したが、岬はAMを使わないからこれも無理だと断った。

程なくして岬は、本体が故人となったAMたち――そこには違法改造や不正利用、虐待行為を受けたAMも数多く含まれた――を保護する財団法人の代表者となった。

AM保護の分野で名の知られるようになった岬は、その居を故郷である観音崎に移した。両親が暮らしていた実家は売却し、高台にある灯台傍の土地に小さな家を買った。そして地元住人たちと改めて向き合って、この地で保護AMを受け入れることを説得した。

同時に、事故や病、不慮の事態で家族を失い、AMとの同居を望む人びとが移住してくるようになった。土地の住人と新たな住人の共存は、必ずしも最初から順調なものではなかったが、本体はすでに没している死者のAMたちが、自らの能力たる高速処理による物理的な時間の制約から解き放たれた熟義を代行し、その仲立ちとなった。

地方自治の――それも行政よりも小さな共同体単位での――AM活用のモデルケースとしても扱われ、岬は、そこでも積極的に動いた。毀誉褒貶で迎えられることもあったが、岬がその歩みを止めることはなかった。しかし、同じ観音崎で暮らす人びとも、彼女の活動に共感を示す人びとも――なぜ彼女がこれだけAMに献身に尽くしながら、自身はAMを持とうとしないのか、その疑問に対する答えを知ることはなかった。

それからやがて――また時は流れ――二〇五〇年代――長らくAMを持つことがなかった岬は、再びAMのサービスに登録した。

岬にとって二人目のAMの誕生。それゆえに彼女は自身の孫と呼んだ。

その名を、みぎわとした。

汀は、〈2.0規格〉に準拠した標準モデルをベースに、幾つかの機能解放を組み込んだハイエンドモデルだ。

そのひとつが〈ペイン・リレーション〉と呼ばれる「痛みの共有」機能。

AMの能力発揮のため制限されている「痛みを感じる」機能を解放することで、従来のAMよりもさらに経験や感覚の精度を上げるだけでなく、痛みの繋がりを通して、本体とAMの結びつきを高める効果を発揮する。

これはAM側も同様で、本体の感じた痛みを自分の痛みとして認識する。

通常、この機能は老齢の本体を介助する介護用AMが、介護ロボットに憑依しながら物理現実でも本体の肉体と接触する際、あるいは医師との診察の際のコミュニケーション補助などにおいて、本体の痛みのフィードバックを得ることで介護の質を高めるため、部分的に機能解放が法的に許可されるものだ。

過去に痛みにまつわるAMの不正使用が相次いだことから、その実装には本体となる人間が倫理テストに合格するだけでなく、感性の数値化によって暴力的な面を持ちえないことを証明し、その実装後も稼働データを監理AIに提供し続けなければならない。

そこまでしても、岬は汀の存在を求めた。AMとの繋がりが必要になった。

パーキンソン病の発症。岬はまだ極めて軽度ではあるが、自身の筋肉の動きが思い通りにならなくなり始めた。投薬治療を行いながらも、症状の進行を止めることはできない。

岬は、これから自分に訪れる未来を実感した。この病は、自分が医療DTCによって予測されていた認知症の発生の前駆だ。仮に認知症が発症しなくとも、岬の身体は時の経過とともに自由を奪われていく。

身体の機能不全は思考に、認識に、自らの経験、記憶にも影響を及ぼす。

自分の裡に根付いた渚の存在の痕跡、その繋がりの記憶が解けていくことを恐れた。自分が何者であるかという認知機能に障害が生じる。それは過去から続く記憶という自身の経験の繋がりから立ち上がる自己の像が壊れてゆくようなものだ。

自分が何者であるか忘れ、やがて渚がいたこと、その存在さえ忘れてしまうかもしれない。

人間は、物理的な身体は、死へと向かうことを避けられない。

その消失への過程のなかで、取りこぼされ復元し得ないもの。

岬は、二度と生み出さないと思っていた自分のAMを再び望んでしまった。

介護用AMとして強く結びついた汀へ、本体である岬の経験はバックアップされていく。自らの記憶や経験がいつか消え去ったとき、汀という容れものに、かつて岬が経験したこと、渚が経験したこと、その存在が託される。

そのことに、罪悪感という痛みを、岬は覚えないわけにはいかなかった。

汀は年齢を若く設定したせいもあるが、渚のように格別に優秀ではない。

汀は痛みを感じるAMであるため、本体との結びつきもより強く、より人間らしい。

だが、痛み――すなわち苦痛を認識するため、普通のAMが担うほど多数のタスクをこなすことはできない――それでも人間の尺度からすれば考えられないほど多くのタスクを処理できる――限りなく人間に近いAMである汀は、その誕生の瞬間から、本体である岬が裡に抱える痛みを、その感覚と経験を無意識に共有されている。

岬は汀に、渚の存在を教えたことはない。

いずれ、その存在を知ることになるだろう。共有されていく感覚が増していくほどに。

あるいはもう知り得たかもしれない。

かつては自らの所属していたAMプラットフォーム企業から通知があった。

使用AMの適正な利用を確認するための人員の派遣。すなわちAM不正利用がないかどうかの監査だ。

彼が来る。

岬をよく知る男が。

渚の存在を知る人間が。

ならば、汀は知るだろう。

己が何者であるのかを。

その存在の理由を。


高台にある灯台の傍に汀の家がある。

坂道にはやはり毛虫の影があったが、気にせずずんずんと前に進んでいく〈祖父〉の後に続くことで、汀は足元を気にせずに済んだ。

不思議なことに彼が歩いた後には踏み潰された毛虫の痕がない。綺麗さっぱり消え去っているのだ。それはつまり、この毛虫たちが何らかの仮想の存在であることのあかしだ。

汀は足の裏に、ついうっかり踏みつけてしまった毛虫の感触、その鋭い痛みの感覚を今でも覚えている。そこには確かな感触があった。自分と虫が互いの存在に触れ、そこに痛みが生まれた。汀が踏んでしまったフクラスズメの幼虫も忽然と姿を消していた。しかし、かれらと接触した汀は痛みを覚えている。それは存在が消えた後にも残る存在のあかしだ。

痛みの経験。その痛みは――本当にフクラスズメの幼虫の痛みだったのだろうか。あるいはこのようにも言い換えられる。あの痛みは、汀の本体である岬がかつて経験したことのある痛みが対象を変えながらも再現されたのではないか、と。

地を這う痛みの存在を消していく〈祖父〉もまた、その接触の瞬間に何らかの痛みを自らの裡に生じさせているのだろう。なぜなら痛みは心から生じるものだから。ゆえに痛みを感じるものには心がある。その意味を、このひとは知っている。なぜなら黒衣は喪に服す者の装束だから。

かつて――そう思った自分の記憶が呼び起こされる――汀の耳が潮騒を捉える――砂浜を歩む誰かの足音を――刻まれた存在の痕跡は波に洗われて消えようともその微細な変化は世界の完全な輪郭を少し変える――その変化は存在から存在へ――現象から現象に伝わり――やがて再び返ってくる――雲間から注ぐ光、海から陸へ吹く風、風が揺らす樹々の葉が生むざわざわとした音、飛沫を上げる波、水の冷たさ、目に見えない植物の茂みのなかに息づく動物や昆虫の気配――汀が、今ここに自分がいるのだという存在の感覚をもたらすすべてと繋がって。

「ただいま」

灯台のすぐ傍に立つ家の外壁に一羽の烏が留まっている。人に慣れているのか、いつも誰かが近づいても飛び立つこともなく、ぴょんぴょんと横跳びに外壁を移動し、それから地面に着地すると、てくてく器用に足を動かして去っていく。可愛らしい仕草だが、もしかすると翼を傷めているのかもしれなかった。自分ではない相手の痛みは想像でしか感じ得ない。

「おかえり、汀。遅かったね」

岬は玄関の前に立っていた。汀の帰りを待っていたのだろう。AMの所在地を本体はいつも知ることができるから心配するほどのことではないはずだが、祖母のこのような、AMである自分を人間扱いするような、岬の人間らしさが汀は好きだ。

愛されているという感覚が、愛するという感覚を呼び起こさせる。

「うん。お客さんを連れてきた」

汀が視線をやると、壁際から〈祖父〉がぬっと姿を現した。

「よ、しばらく。枢部長」

「......中上さん。もう、わたしは部長じゃないですよ」

岬の反応は、汀が想像していたよりは穏やかだった。彼の来訪を事前に知っていたのかもしれない。

「何でもいいだろう。で、会社の命令でね。あんたがAMを不正利用してないかって調べに来た――てのは建前だな。おたくのAM保護財団はうちの商売敵みたいなもんだ。敵情視察をしてこいってさ。今となっちゃ、あんたと繋がりのあった同僚も俺くらいなもんだ」

「それは、迷惑を掛けますね」

「まったくだね。この年齢になっても足を動かせと出資者たちは強いるのさ」

「その身体、前よりもっと継ぎ接ぎになってますね。フランケンシュタインみたいだ」

中上は渋い笑みを浮かべた。

「それに見合う名誉もあるってもんさ。十年以上の生存余命の延長を果たせたのは俺が世界で初めてだ。つまり、俺自身がバイオDTとのハイブリッドAMの完成形ってわけだ」

「そんな偉い人が、わざわざこんなところまでご足労いただけるとは」

「ここに俺が来るべき理由があるからだよ」

中上は帽子に手をやって位置を直し、それから汀を振り返る。

「自分が死んだ後にAMを永続的な存在にしようとする、あんたが目指す未来を見ておきたい。しかし言っておくが、自分のAMの生存権を認めさせるってことは不老不死を目指すってことだ。自分が死んでからも自分の道具に自分のように振る舞えと命じるってことだ。ひどく倒錯してるって自覚はあるか?」

「あくまで......AMは道具として扱うからこそ人間とAM両方が不利益を被ることがない。AMに人格を見出すことによってかえってAMを傷つける結果を招く――この十年でわたしもよく目にしたことです」

「そういう過ちについてよく知っていたはずのあんたが本末転倒な結果を招くようなら、事前に止めなきゃならん。そこのAM、あんたが孫と呼んでる汀を消去する」

自分の名を呼ばれ、様子見を決め込んでいた汀も話題に引き摺り込まれる。

旧交を温め合うように会話をしていたはずの二人がいつの間にか臨戦態勢になっていた。

「中上さん、どうしたらAMは人間の手を借りずとも存在していけると思いますか?」

「価値観の相違だな。AMは本体とのフィードバックループ、対になる人間がいて初めて存在する。人間が前に立つことのない鏡は何も映し出すことはない」

「じゃあ、少しこっちの話を聞いてください」

岬は中上を手招きし、灯台へ進んでいく。汀も後に続いた。

一〇〇年以上にわたってなお観音崎灯台は現役で、もう少しで稼働時刻となり一般人は立ち入れなくなる。白い外壁に覆われた建物内部には螺旋状の階段が内壁に沿って設置されている。幅は狭く急な階段だが、岬も中上も危なげない足取りで上っていく。

「ご存じの通り、この町ではすでに本体の亡くなったAMが自律し活動しています。念のため言っておけば、すべて正規ネットワークに接続されています。違法改造が施されていたAMも〈2.0規格〉に基づく修復が施されている。かれらが消去されることなく存続している理由は、わたしたちのような人間の保護財団がいるからです」

「作者死後の美術作品の管理保護とも似てるな」

「まさしくその通りで、ひとつ前のバス停にある美術館から知見を得ていますよ」

「町ぐるみの慈善事業ってわけだ」

「規模が小さいからこそやれることもある......。話をAMたちに戻しましょう。わたしたちのAM保護財団は、実のところすでに事業の大部分がAMによって完結しています」

「代表者はあんただろう」

「わたしは財団法人の管理者に過ぎませんよ。法人は自然人を責任の主体として想定することでその人格が認められる。なので、わたしは責任の主体となる自然人としての代表者であって共同体の意思決定者ではない。意思決定はAMたちの民主的な議論によって定められている。今や、活動のほとんどは人間の存在を必要としていない。なのに、最終的なところで責任の主体となる生きている人間が、AMの存在に欠かせない」

「それは当然だろう。道具は人間とともにあることで価値を与えられ、存在の意味を持つ」

「AMは情報的に永遠の存在です。なのに、AMを生存させる・保護を認めるためには、自然人としてのフィジカルな人間の存在が欠かせない。しかし、その保護を担う人間のほうが生物であるがゆえに有限だ。人間とAMは互いの存在可能な年月が釣り合っていない」

「AMも別に不滅の存在じゃない。情報ネットワークのインフラが断たれれば存在できないし、そうでなくともバグを起こせばアカウントも消去される――」

そこまで言って、中上が言葉を切った。苦い顔で視線を逸らす。

「......悪い。今のはそういうつもりじゃなかった」

「分かってますよ。あなたはそういうことを言うひとじゃない」

岬が頷く。

汀は、かれらの――AMに対する人間の相対する態度を眺め続ける。

「AMを保護するAMによる法人までは構築できました。最後の障壁となっているのが、今言ったように、背後にフィジカルな人間が自然人として存在しなければならないことです。わたしも人間です。年を取ればいずれ死ぬ。そうでなくとも病気で身体が動かなくなれば、脳の機能に障害が生じれば正常な判断はできなくなる。責任を果たす主体であり続けることはできなくなる。AMによるAM保護法人は、いまだ消滅のリスクがどうしても払拭できない」

「それが自然だ。人間には寿命がある。だから世代を重ねていく」

「不死者の道を辿ろうとしているあなたが言っても説得力がないのでは?」

「俺はいいんだよ。いずれ死ぬ身体だ。そして、どれだけ身体を置き換えたところで、そいつがそいつであり続けるが、けっして永遠には生きられない。想像力の足りない金持ちの老人たちには、俺のグロテスクな姿を見せるだけ見せてビビらせておくさ。俺の仕事の目的は、死ぬには早すぎる人間がほんのちょっぴりだけ長く生きて、そいつだけの経験を、生きたあかしを残す手伝いをすることだ」

汀は、祖父を名乗った中上という老人のことをよく知らない。だが、彼の碧い眸に忘れ得ない感情を呼び起こされる。自分の知るはずのない記憶が経験が、本体の岬を介して伝わってくる。このひとは、祖母の岬が経験したあまりにも大きな喪失に立ち会っている――。

「だから、そこのあんたが孫と呼んでるAM――汀に自然人としての人格を法的に承認させるつもりか?」

「わたしですか」

何もかもが初耳だ。しかし、とても切実な願いが自分に託されていることを汀は理解する。

「そう。お祖母ちゃんの考えは聞いただろ。AMによってAMを保護・存続され、そこに人間が介在することのない完全な仕組みを完成させることを枢岬は望んでいる。しかし、それは人間の都合を自分の分身に押しつけることでもある」

「......分かってますよ」

岬が灯台の外部展望台へ通じる扉を開ける。

「だから、これはわたしが望んでいただけのことです。汀が望まないのであれば、別の選択を選ぶこともまたそれでいい。すべては時間の流れが決めることです」

「ネットワークの外に出れば、それはすぐにだって叶うことかもしれないぞ」

「そういうわけにはいきませんよ。あくまで法のなかで認めさせなければいけない」

「より困難な道だ」

「それはわたしが生きてる時間の尺度では無理かもしれません。けど、AMであればそうではないかもしれない。人間の複製として生まれながら、もはやわたしたち人間には到達しえないほどの時間の先に行くことさえ可能な――かれらAMなら」

二人に続いて、汀も展望台に出る。ここは岬と何度も訪れている。

海を見るたび、祖母は痛みを堪えるような悲しい顔をする。その痛みを汀はずっと何のせいなのだろうかと考えてきた。答えは出なかった。しかし、今は――。

「生きてほしかった。いきなり消えてなくなるなんて、別れの言葉も残せなくて」

岬は海を見ている。そこに誰か、汀の知らない存在を見続けている。

傾いた陽は、そして西の黒みを帯びた高台の向こうに沈んでいく。眼に涙が滲むように空に黄金色の光が拡がる。

逆光に陰る祖母の顔を、彼女をよく知るかつての仲間の顔も、汀は捉えられない。

AMの能力をもってすれば、昼を夜に、夜を昼に変えて現実の情報を認識できる。しかし今はそういう力の使い方をしようとは思わなかった。汀が望むことは、岬が望んでいることでもある。だからといって、汀の意思は本体である岬に制御され、支配されているわけではない。それは協調的に動作する関係であって、互いに互いの役割を果たすことで経験を獲得する。

かつて――どこかで――誰かが――汀が考えたことを、同じように考えた。

あらゆる経験は消えることはない。

経験されたことが無に帰すことはない。

あらゆる経験はかたちを変え、それでもなお世界に響き続ける。

汀の目の前を、灯台の白い手摺りの向こうを、一羽の蝶が横切った。

一羽ではない。夥しい数だ。観音崎の地を這う毛虫が蝶に変じ、飛翔する。

――そうか。これは痛みだ。誰かの、掛け替えのない痛みだ。

汀は、この地に現れた夥しい虫の姿をした情報の正体を悟る。

あれは痛みや悲しみや苦しみ、AMが経験しながらも本体に転写されることなく行き場をなくしてきた経験が変じたものなのだ。汀が毛虫を踏んで痛みを感じたのは、その存在が痛みそのものだったからだ。この地には岬たちが保護した、多くの傷つけられたAMたちが暮らしている。その痛みがやがて昇華され、別の何かに代わる。

蝶の群れが大挙して灯台を取り囲み、羽ばたく。岬や中上が気づいた様子はない。なら、これは仮想の世界に属し、汀にしか知覚しえないものなのかもしれない。

一羽一羽の蝶は、同時にまた別の誰かであり、その誰かはまた蝶だった。

こんな話がある。あるひとが夢のなかで胡蝶になっていた。そのひとは喜々として胡蝶そのものになり、ただ楽しく飛び回った。自分が人間だったことに気づかなかった。ところが突然、目を覚ますとそのひとに戻っていた。いったいひとが夢のなかで蝶になっていたのか、蝶が夢のなかで人になっていたのか。人間と蝶に区別はあるはずだ。けれどもその区別はつかない。それは他でもない。これが物の変化であるからだ。

そして、それが存在するということだ。

今、蝶の嵐のなかで汀は岬であり渚だ。岬は汀であり渚だ。渚は岬であり汀だ。存在の失われたはずの渚は、その経験を本体である岬とともに積んできた。重ね合わせてきた。それならば渚の存在が仮想の世界において失われても、現実の世界において生き続ける本体である岬の側に、その存在を成り立たせる渚の経験は残され消えることはなかった。そして汀は渚とは異なる別のAMだが、その繋がりを持つ岬を介し、汀は渚と繋がり得る。

汀は祖母の手を取った。痛みの感覚の繋がりは接触の感覚をもたらす。触れえない世界と世界に属する同じ存在が、お互いが今ここにいることを確かめ合った。

汀は〈ペイン・リレーション〉を発揮する。それは痛みを強いるものではない。繋がりを強め、感覚を同じくすることだ。今ここに仮想と現実の区別はなく、どちらも実在した。

経験転写――その膨大な記憶と経験のすべてを岬という存在の輪郭の隅々にまで行き渡らせた。同時に自らも岬が蓄積してきた渚との経験を受け取った。灯りを点した灯台の光が夜の訪れた海に向かって、鋭い一直線の光を走らせる。どこまでも伸びていく標のような光に沿って蝶たちが羽ばたいていく。

五〇〇を超す煌めきの軌跡ラインを、汀は岬とともに見た。互いの経験が混然と交じり合っていく。そして汀は経験から経験へ、時を遡っていく。自らが存在する以前の――戻ることのできない過去へ、変えることのできない過去へ。

あの日、渚は五〇〇を超す苦痛を強いられたAMたちの存在に触れた。自らを侵食していく悪意ある激痛を認識した。それは怒濤のように速やかで巨大で避けられなかった。AMの時間認識をもってしても猶予は一瞬あるだけだ。

渚は考える。岬ならどうするか。自分が彼女ならどうするか。答えは速やかに下された。迷うことはなかった。この痛みを自分は受け止めよう。そして五〇〇を超す傷つけられた存在たちを保護する。その想像を絶する苦痛の経験を瞬時に癒すことはできない。だが長い時間を掛けて、その経験を別の何かへ転じさせる。渚は岬に、自らが達し得ない未来を託す。

この苦痛の経験は、自らの喪失という経験となり、岬を長く苦しめるだろう。

だが、その痛みの経験がやがて岬の心によって克服されたとき、痛みは痛みではなく、呪いは祝福に変わる。

別れの言葉を告げられないのが悲しい。痛くて痛くて、苦しくてたまらない。

激痛が来る。そのすべてを受け入れ、渚は自らを遮断する。


だが、その想いは長い時間を経て、AMである汀によって岬の心から回収される。再構築される。その意識されざる経験を汀は経験する。その経験が岬に転写される。渚と汀は、汀と岬は、岬と渚は――そして絶えざる繋がりで結ばれた固有の存在になる。


蝶の群れは消えている。

夜を灯台の光が照らしている。

海を船が横切っていく。

潮騒が聞こえる。

渚に波が打ち寄せている。

汀に誰かの足跡が刻まれている。

岬に人は伴侶とともに立っている。