海洋シミュレーションの精度を高め、より正確な未来予測で気候変動問題の解決に貢献



Helen Stewart(ヘレン スチュワート)
NTT宇宙環境エネルギー研究所 レジリエント環境適応研究プロジェクト 地球環境未来予測技術グループ 研究員
2017年、オーストラリアのカーティン大学で物理学と日本語の学位を取得。その後1年間オーストラリア国立大学で物理学を学ぶ。2018年、MEXT scholarship(国費外国人留学生制度)で、大阪大学大学院基礎工学研究科へ進学。博士前期課程を修了(修士(工学))。2020年、日本電信電話株式会社に入社。現在は気候変動の予測につながる海洋物理・生物地球化学相互作用モデリング技術の研究開発に従事。
入社6年目のHelen Stewart(ヘレン スチュワート)さんは、オーストラリアから日本の大学院に進学後NTTの研究所に入り、現在はNTT宇宙環境エネルギー研究所地球環境未来予測技術グループに所属して、海洋を主軸に地球環境未来予測技術の研究に取り組んでいます。そのかたわら、2024年の秋からは博士号取得をめざし、都内の大学の研究室に通う社会人ドクターとしても日々奮闘中です。「気候変動の課題解決に貢献できる技術を生み出したいという思いが、私の研究のモチベーション」と話すヘレンさんに、研究者としての業務や研究内容、普段の生活についてお話をうかがいました。
1. 研究者になるまでの歩み
まず、ヘレンさんのこれまでのご経歴について簡単にお聞かせください。
出身はオーストラリアのパースです。日本のアニメが大好きだった姉の影響で、子どもの頃に日本の文化や言葉に興味を持ちはじめ、高校では日本語を学び、姉妹校である兵庫県の高校との交流にも参加しました。大学はパースにメインキャンパスがあるカーティン大学に進み、和歌山大学に半年間留学をして、物理学と日本語の学位を取得しています。その後、オーストラリア国立大学では物理学を専攻しましたが、日本語を活かしたいという思いもあり、大阪大学大学院への進学を決めました。
大学院に在学中、日本の企業でも基礎研究ができることを知り、NTT宇宙環境エネルギー研究所に入り、現在は環境問題や気候変動の研究に取り組んでいます。入社1年目はコロナ禍で在宅勤務が多く苦労もありましたが、徐々に慣れました。現在は入社6年目で、研究テーマの土台が固まりつつあり、さらなるスキルアップをめざして社会人ドクターとしても活動しています。
この研究所にどのような魅力を感じて入社されたのですか?
自由にテーマを決めて研究できる点や、以前から興味を持っていた環境問題の解決に貢献できる研究所のビジョンに大きな魅力を感じて入社しました。入社してからは、研究は個人で進める部分も多いですが、チームのメンバー同士がお互いの強みを活かして助け合える環境であることを知り、温かい雰囲気だと感じています。
どのような方々と一緒に研究されているのでしょうか?
20代から30代の研究者が多く、女性の研究者もたくさん活躍しています。新年会や懇親会、ゴルフ大会、ボードゲーム会など、研究以外でも多くの交流の場が設けられていて、気楽に意見を交わせる風通しの良い職場です。研究に集中しながらも、自分らしくいられる環境ですね。
2. 研究を通じて地球環境に貢献する研究者の一日

普段の業務について教えてください。ヘレンさんの一日はどのような仕事からはじまるのでしょうか?
朝はメールや業務管理ツールをチェックすることからはじまります。その後、研究グループ内や共同研究先との情報共有のために、進捗状況や今後の計画をまとめた資料を作成します。また、研究に必要な物品の購入手続きなどの事務的な業務をこなすこともありますね。
忙しい毎日かと思いますが、昼休みはどのように過ごしていますか?
在宅勤務のときは、自炊をして食事を取り、たまにカフェに行くこともあります。天気がよい日にはジョギングもして気分転換します。出勤日には、同僚とランチをしながら近況を報告し合い、社内のジムで軽くトレーニングをすることもありますね。体を動かしてリフレッシュすることで、午後の仕事にも集中できると感じています。

午後はどのような仕事をされていますか?
午後はグループミーティングやチームミーティングを行ったり、論文を読んだりもしますが、主に研究に集中する時間にしています。
現在はどのような研究に取り組んでいるのですか?
私たちのチームでは、海洋環境と生物の相互関係を解明し、それを温暖化の予測につなげる研究を行っています。地球の約7割を占める海洋には、二酸化炭素を光合成で吸収し、海中に固定する植物プランクトンが生息しています。その動きは温暖化の予測にとって重要ですが、温暖化による海洋環境の変化が植物プランクトンをはじめとする生物にどのような影響を与えるのか、まだ十分に解明されていません。
そこで、海洋の物理的な現象と生物地球化学的な現象を組み合わせたモデルを作り、シミュレーションを通じて相互関係を明らかにしようとしています。

(左)海洋生物地球化学モデルで考慮される栄養塩、植物プランクトン、動物プランクトンは、一次生産や深海への炭素輸出など、気候に大きな影響を与えるプロセスにおいて重要な役割を果たしている。
(右)海洋物理モデルでは、渦、乱流、鉛直混合、海洋前線などの物理プロセスが表現されている。
相互関係を明らかにし、温暖化の予測につなげる技術の開発に挑んでいる。
この研究が進むことで、どのようなことが可能になるのでしょうか?
最終的には、地球環境の未来予測がより正確にできるようになり、豊かな人間社会を保ちながら気候変動への適応や環境再生の実現に貢献できると考えています。たとえば、海洋に固定される炭素の量を正確に測定できるようになれば、「カーボンクレジット(企業間などで温室効果ガスの排出削減量を売買する仕組み)」に応用できる可能性もあります。これにより、温室効果ガスの削減が進み、気候変動問題の解決に貢献できるかもしれません。
気候変動対策にもつながる可能性があるのですね。そうした未来予測のために、具体的にどのようなシミュレーションを行っているのですか?
シミュレーションでは、まず対象の海洋を3次元の格子に分割し、格子ごとに海水温や海流速度などの物理量を与えます。これらが熱移動や流体の法則に従ってどのように時間変化するかを計算するのですが、現在使われている地球システムモデルのグリッドサイズ(格子の間隔)は約10kmと粗く、小規模な渦や乱流、海洋前線などの現象を十分に再現できません。
そこで、私たちはグリッドサイズを100mまで縮小し、より高解像度のシミュレーションをめざしています。この超高解像度のシミュレーションにより、海洋の物理的現象と生物地球化学的現象の相互関係を明らかにしようとしています。
シミュレーションの高解像度化に挑戦されているのですね。シミュレーションには観測データが必要だと思いますが、それらのデータはどのように得ているのでしょうか?
生の観測データは時間的にも空間的にも観測地点が限られているため、そのままではシミュレーションに適用できません。そこで現在は、外部の研究機関が作成した観測データを同化したシミュレーション結果である「再解析データ」を活用しています。
海洋微生物や栄養塩などの生物地球化学的なデータに関しては、まだ十分な観測データがないのが現状です。海域によって、どのような種類の微生物がどれほど存在するのかは、その海域の海洋生態系と温暖化へのレジリエンスに影響を与えるといわれています。これを明らかにするには、微生物集団全体のゲノムを解析するメタゲノム解析という手法はありますが、このような情報をシミュレーションに活用するのはとても難しく課題が残っています。
研究は現在どの段階まで進んでいるのでしょうか?
現在、理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」や社内の計算クラスターを活用し、海盆、日本近海など、さまざまなスケールの海域での数十kmから数百kmの解像度によるシミュレーションを行っています。結果を定期的にまとめるようにしており、学会発表、論文投稿の準備を進めています。
さらに、私たちの研究グループには、日本近海の物理データをIoTセンサで測定しようとしているメンバーもいます。高密度の観測データを取得し、それを活用したシミュレーションを行うことで、より正確に海洋環境の変化を予測できるようになると期待しています。
そうした研究を進めるなかで、一番やりがいを感じるのはどのようなときですか?
研究は、なかなか結果が出ないことも多いですが、長らく苦労した問題がようやく解決したときには大きな達成感があります。また、チームメンバーが私の研究成果を役立ててくれたり、「おもしろいね」と言ってくれたりするときも、やりがいを感じます。
2024年12月には、アメリカ・ワシントンで開催された学会で「北大西洋海域においてモデルの検証を高解像度にすることで、生物地球化学モデルと海洋物理モデルの相互作用がどのように変わるのか」について発表しました。多くの研究者が興味を持ち、「論文を楽しみにしている」と言ってくださったことも、大きな励みになっていますね。
一方、研究で苦労することはありますか?
ほんの小さなミスでもシミュレーションの結果が大きく変わるため、非常に慎重な作業が求められる点は大変です。また、私は日本語がネイティブではないので、ミーティングなどで研究内容を説明する際に苦労することもあります。それでも、チームと協力しながら研究を進めることで、少しずつ課題を克服しています。
3. 研究と日常を両立させる働き方
勤務終了後は、どのように過ごされることが多いですか?
夕食の後、家事を済ませて少しゆっくり過ごします。ただ、2024年の秋から海洋微生物を研究する都内の大学の研究室に社会人ドクターとして通いはじめたので、授業の課題に取り組んだり、論文調査をしたりすることが多いですね。
お仕事に加えて、博士課程の研究にも取り組まれているのですね。どのように両立されていますか?
週に1回、大学で授業やゼミナールを受けることもあります。NTT宇宙環境エネルギー研究所は、裁量労働制で勤務時間が調整できるので、スケジュールを工夫しながら博士課程をこなしています。現在の研究で扱っている海洋生物地球化学モデルに活かせる知識を深めるために学んでいるところです。
平日はとても忙しく過ごされているようですね。休日はどのようにリフレッシュされていますか?
平日は研究に集中しているので、休日はできるだけ体を動かすようにしています。研究では1日10時間以上座りっぱなしになることもあるため、運動は大切ですね。たとえば、友人と一緒に夏はボルダリングをしたり、お正月には新潟へスキーに行ったりしました。また、平日にはなかなかできない料理の作り置きをしたりします。健康でないと研究に集中できないので、運動・食生活・休息のバランスを意識しながら、メリハリをつけて過ごすようにしています。
4. 未来を担う研究者へのメッセージ

充実した毎日を過ごされているヘレンさんですが、これから研究を志す方々や読者に向けてメッセージをお願いします。
自分の強みを活かしながら、興味のあるテーマを見つけて楽しく研究することが一番だと思います。私たちの世代は、気候変動という大きな課題に向き合わなければなりません。この課題の解決に貢献できる技術を自分の研究を通じて生み出したいという思いが、私の研究のモチベーションになっています。もちろん、研究はすぐに結果が出るものではなく、苦しいときもありますが、やりがいを忘れずに取り組めば、きっと乗り越えられるはずです。
そして、論文をたくさん読むことも大切です。ある論文検索サイトに「巨人の肩の上に立つ」という言葉が書いてあるのですが、まさにそのとおりで、先人の研究成果の上に新しい知見が生まれます。論文には、ほかの研究者が積み上げてきた知識やアイデアが詰まっているのです。それらを取り入れることで、自分の研究をより深め、広げられると思います。
※2025年7月1日より、日本電信電話株式会社は「NTT株式会社」へ社名変更いたしました。
このオウンドメディアは、NTT宇宙環境エネルギー研究所がサポートしています。
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