宇宙放射線から情報社会を守り、新たな技術で宇宙産業の革新に貢献する
木内 笠(きうち りゅう)
NTT宇宙環境エネルギー研究所 プロアクティブ環境適応技術グループ 研究員。
北海道大学工学部を卒業後、2022年に同大学院工学院修士課程を修了(修士(工学)) 。専門は宇宙放射線ソフトエラー。入社以来、宇宙放射線に起因して発生する半導体メモリデバイスのソフトエラー現象について、その評価技術やバリア技術についての研究に携わっている。
私たちが暮らす情報社会は、さまざまな電子機器によって支えられています。しかし、これらの電子機器にひとたび障害が発生すると、社会インフラそのもの、ひいては私たちの生活に大きな影響がおよぶリスクが存在することを忘れてはなりません。プロアクティブ環境適応技術グループの木内笠研究員は、宇宙から降り注ぐ放射線から地上の電子機器を守る「ソフトエラー現象の評価技術」を研究するとともに、この評価技術を応用することで宇宙産業の発展にも貢献する「宇宙放射線バリア技術」の開発に取り組んでいます。
1. 情報社会を守るソフトエラー現象の評価技術
現在は主にどのような研究に取り組まれているのでしょうか?所属されているプロアクティブ環境適応技術グループについても簡単にお聞かせください。
私が所属するプロアクティブ環境適応技術グループでは、地球環境の変化を予測し、その変化に対してプロアクティブに適応するためのさまざまな研究開発を行っています。そのなかで私の主な研究テーマは、宇宙放射線によって発生するソフトエラー現象の評価技術と宇宙放射線バリア技術の開発になります。
この両者は別の研究テーマではなく、ソフトエラー現象の研究で得られた評価技術を応用して新たな宇宙放射線バリア技術を開発することで、宇宙産業の発展にも貢献できると考えています。
宇宙放射線によるソフトエラーとは、どのような現象なのでしょうか?
太陽系外や太陽から飛来する高エネルギーの宇宙放射線が地球の大気中の原子核などに衝突することで中性子が発生します。この中性子が電子機器に入射することによって生じる現象をソフトエラーと呼んでいます。
中性子は、電子機器などに搭載されている半導体デバイスの材料であるシリコンの原子核と核反応を起こすことがあり、これにより電荷を帯びた粒子「荷電粒子」が生成されます。この荷電粒子が電子機器の誤作動を引き起こし、機器が停止したり、保存されたデータが書き換えられたりすることがあります。
電子機器の誤作動は、情報社会を支えるインフラに大きな影響をおよぼしかねませんね。
電子機器の誤作動によって、たとえば大規模な通信障害が発生すると、私たちの生活に欠かせないインフラやさまざまなサービスに影響が出てしまいます。特にNTTのような通信事業を手がける企業は、サービスの基盤として数多くの電子機器を用いており、常にソフトエラーのリスクにさらされているだけに、ソフトエラーの研究と対策は重要なテーマです。
2. 中性子のエネルギー領域ごとのソフトエラー発生率の解明
通信障害など社会インフラへの影響を防止する上で、ソフトエラーの評価技術はどのような意味を持っているのでしょうか?
ソフトエラーは、半導体デバイスのシリコンと中性子が作用することで一定の確率で発生する確率現象です。そのため、発生率がわからなければ効果的な対策を講じることができません。しかも、ソフトエラー現象の厄介なところは、電子機器を再起動すれば回復してしまうため、再現試験が困難である点です。
そのため私たちの研究グループは、独自の技術を用いてソフトエラー発生率の解明を進めてきました。これらの評価技術を確立することで、実際にソフトエラーが年間で何回発生するかなどを評価し、具体的なソフトエラー対策によって社会インフラの安全性を維持することが可能になります。
具体的には、どのような方法でソフトエラーの発生率を測定するのかを教えてください。
現在取り組んでいるのは、半導体デバイスに入射する中性子のエネルギー領域ごとの、ソフトエラーの発生率を測定する技術の開発です。中性子はそのエネルギーによってソフトエラーを引き起こす確率が異なります。エネルギー領域ごとのソフトエラーの発生率を算出することで、宇宙空間で使用する電子機器の信頼性の評価も可能になります。
具体的な方法としては、FPGA(いわゆる集積回路)に一定のパターンのメモリ情報を書き込んでおき、粒子加速器を使ってFPGAに実際に中性子線を浴びせるという実験を行います。するとソフトエラーが発生し、あらかじめ書き込んでいたメモリ情報が書き換わります。それらを確認することによって、どの程度のソフトエラーが起きていたかを測定します。
つまり、電子機器が実際にどれくらいの影響を受けたかを実験で測定するということですね?
そのとおりです。またソフトエラーの評価技術では、中性子が持つエネルギーごとのソフトエラー発生率を測定する必要がありますが、これには「飛行時間法」という方法を用います。放射線のエネルギーは、飛行する速さによって定義されます。私たちの研究では、さまざまなエネルギーの中性子を放出する「パルス中性子源」を使って中性子を一定時間飛行させ、FPGAに衝突させます。そこでソフトエラーが発生するまでの時間の違いから中性子のエネルギーを測定し、中性子のエネルギー領域ごとのソフトエラーの発生率を算出しているのです。
今後、ソフトエラーの評価技術の研究はどのように発展していくのでしょうか?
現在は中性子によるソフトエラーの評価技術を中心に研究していますが、今後はこの研究成果を応用することで、宇宙環境における主な放射線である陽子や重荷電粒子の研究も進めていきたいと考えています。これにより、新たな「宇宙放射線バリア技術」を開発するなど、宇宙産業の発展にも貢献できるはずです。
3. 宇宙産業の発展に貢献する「宇宙放射線バリア技術」
宇宙放射線バリア技術とは、どのような技術なのでしょうか?
宇宙放射線バリア技術は、電子機器などに入射してくる放射線を防ぐ技術です。現状では大きくふたつの手法があり、そのひとつが「電磁バリア」です。これは磁場によって放射線の軌道を曲げ、電子機器への入射を防ぐ手法です。
もうひとつが「遮蔽材」をつかった手法です。この手法では、電子機器と放射線源の間に水素を含有した材料などを置くことによって、放射線の入射を食い止めます。
磁場によるバリアという手法について、もう少し詳しくお聞かせください。
電磁バリアは、地球に備わっている地磁気によるバリアに似た仕組みです。地球は独自の磁場を持っています。これにより、私たち人間は太陽が放出する放射線から守られ、安全に暮らすことができています。
地球のように放射線を曲げるほどの強力な磁場を発生させるバリア技術は、現在のところ実用化されていません。今後の可能性としては、超伝導によって磁場を発生させる手法があります。超伝導は比較的少ないエネルギーで強力な磁場を発生させ続けることができるため、電磁バリア技術に適していると考えられます。
もうひとつの遮蔽材を使った手法についても教えてください。
これは物質をバリアとして使用することで、放射線を遮蔽する技術です。研究のプロセスとしては、まずどのような材料を置けば、どの程度放射線の入射を防げるかを調べ、実際の材料を用いて粒子加速器で実験し、測定を行うことになります。
遮蔽材は電磁バリアとは異なる物質を使ったバリアのため、放射線と反応して二次粒子を発生させてしまう場合があります。そのため、できるだけ二次粒子を発生させない材料を選定する必要があります。すでに国際宇宙ステーション(ISS)では、ポリエチレンを放射線のバリアとして使用しています。現状において、コスト面でも実現可能性の面でも有効な手法だといえます。
宇宙放射線バリア技術は、今後どのようにして活用されていくのでしょうか?
ひとつの目標として挙げられるのは、静止軌道上にある人工衛星などを守る技術の確立です。現在、既存の宇宙企業の多くが打ち上げている人工衛星は、主に低軌道衛星に分類されます。これらは地球の地磁気によって守られている軌道上にあるものです。
しかし、静止軌道はさらに地球の外側にあるため、地磁気によって守られていません。こうした軌道上に対策していない機器でつくられた人工衛星を投入すると、放射線の影響によってすぐに故障してしまいます。宇宙放射線バリア技術を実用化できれば、静止軌道における人工衛星の活用の可能性が広がります。
宇宙産業を大きく前進させる技術ということですね。
現在の宇宙産業は、政府主導から民間主導へとシフトした"New space"の時代が到来しています。そこで求められるのが経済性です。宇宙放射線バリア技術が実用化できれば、地球上で使われている高性能な民生品を宇宙でも使うことができるようになります。NTTが現在進めている宇宙統合コンピューティング・ネットワーク構想の実現にも寄与できる技術だと考えています。
4. ミクロな世界の研究から宇宙産業を革新する
放射線を防ぐバリア技術の研究といった現在の仕事に就くきっかけは、どこにあったのですか?木内さんの幼少期についてもお聞かせください。
きっかけといえるかどうかはわかりませんが、子どもの頃は絵を描くのが好きでした。特に細かいものを描くのが好きでしたね。その几帳面な性格が現在の研究への向き合い方にも影響しているのかもしれません。
大学時代は、量子理工学専攻の中性子ビーム応用理工学研究室というところに所属していました。ソフトエラーの研究に関心を持つようになったのも、この時期です。なぜこの分野を選んだかというと、量子という非常にミクロな世界を研究することで、宇宙産業といったスケールの大きな世界に貢献できるというところが興味深かったからです。
現在の研究のやりがいはどこにあるのでしょうか?また、今後は研究者としてどのような道を歩んでいこうとお考えですか?
やはりコツコツと実験を積み重ねていくことで、世の中の役に立つ成果を生み出すことができるところでしょうか。ソフトエラーの研究は1970年代頃から本格的にスタートしていますが、電子機器の進化と急速な普及によって、社会への影響度合いは大きく変わっています。こうした社会課題の解決策を、原子核物理や電気電子回路、宇宙天気といった幅広い視点で研究できる点も大きな魅力です。
現在はソフトエラー現象を中心に研究を行っているので、その先のステップとして宇宙産業に具体的な貢献ができるようなバリア技術をつくっていくことが当面の目標です。たとえば、宇宙天気のシミュレーション技術などを応用すれば、放射線が到来する方向のみにバリアを展開し、より効率的な遮蔽を行う技術を実現できるかもしれません。
最後に、NTT宇宙環境エネルギー研究所は木内さんにとってどのような環境ですか?
NTT宇宙環境エネルギー研究所では、物理から生物まで多様な分野の研究者が非常に高度な研究を行っています。そうした研究者とのコラボレーションや議論は、すべてが私にとっての大きな学びにつながっています。
自分自身の研究能力を高めていく上では申し分のない環境ですので、これからも環境の変化の柔軟に適応できる持続可能な社会に貢献すべく、さまざまなチャレンジを続けていきたいと思います。
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