更新日:2020/10/16

    ソーシャルキャピタルのデジタル化とその活用。
    「信頼」を可視化しブロックチェーンで流通中平 篤
    NTTサービスエボリューション研究所
    サイバネティックインテリジェンス研究プロジェクト
    特別研究員

    ※記事本文中の研究所名が、執筆・取材時の旧研究所名の場合がございます。

    ネット上で出会う人々、行き交う情報の信頼性を何によって判断するのか。デジタル情報の流通量が増大し、情報の信頼性が揺らいでいる現代において、これはとても重要なテーマですが、有効な仕組みはまだ確立されていません。この課題を解決するための「ソーシャルキャピタル情報のデジタル化」に着目した研究と、その将来性についてNTTサービスエボリューション研究所の中平篤氏に聞きました。

    研究の背景や経緯を教えてください。

    この研究は今年(2020年)からはじまったのですが、その出発点はデータ駆動型社会に向けて、データが生み出すどのような情報価値に注目するのかという検討です。その過程で、社会学の分野で研究が進められてきた「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」の概念を、デジタル情報の価値として活用しようというものです。NTTの研究開発部門は、社会変化の予測をもとに、10年レンジの将来に情報分野で必要になると思われるさまざまな研究に取り組んでいて、この研究はそのうちのひとつです。

    言うまでもなく今日では、インターネットを利用して誰もが世界中の人々や情報と接する環境が整っています。しかし、そのようにコミュニケーション機会が増えると、出合った相手が信用のおけない人物だったとか、誤った情報を信じてしまうといったリスクも増えることになります。つまり、情報流通のグローバル化が進むほど、出合う人や情報の信頼性を何によって測るかというものさしが必要になるわけです。

    また、現状でネット利用者が、本当に欲しい情報を得られているのかという疑問もあります。最近、耳にするようになった「エシカル消費」を例にあげてみましょう。「エシカル」とは「倫理的な」という意味で「エシカル消費」は、社会や環境などに配慮した消費を言います。たとえば、地球温暖化の抑制に寄与する商品を買うとか、フェアトレードの商品を選ぶといった消費スタイルです。
    しかし、温暖化抑制に寄与すると謳う企業の商品があったとしても、その製造過程や資材・製品の輸送過程でのちょっとした違いでCO2などの温室効果ガスを排出量がかわってくるはずです。どの商品を選んだ場合にどの程度違ってくるのか比較ができないと、本当の意味でのエシカル消費にならないわけですが、調達や製造段階にまで踏み込んだ情報を得て判断することは一般的には非常に困難です。

    ただ、今後は地球規模の社会課題が個人のライフスタイルや企業活動に影響する傾向がさらに強くなるのではないでしょうか。さきほどエシカル消費を例としてあげましたが、企業経営においても社会的課題の解決こそが、社会価値と経済価値の両方を創造するという新しい考え方(CSV=Creating Shared Value:共有価値の創造)などが注目を集めています。持続可能かつ包摂的な社会をつくりあげていくという観点から、この流れは今後より一層、加速していくと考えています。

    そのような社会の変化を考えたときに、情報発信者と受信者相互の信頼性や取引の公正さが重視され、より強く求められていくと思われます。そこで私たちは、デジタル情報の世界にソーシャルキャピタルの概念を基にした価値を組み入れられないかと考えました。
    ソーシャルキャピタルとは、社会や地域コミュニティにおける人の相互関係や結びつきを支える仕組みとして、信頼や互酬性(助け合い)の規範、ネットワーク(社会的なつながり)などが社会・経済活動に重要であるとする考え方です。そして、それらの豊富なコミュニティでは、人々が安心して活発に協調行動をとることで、さまざまな社会活動の効率を高め、より豊かな社会を実現することが可能となります。

    コミュニティの具体的なイメージは?

    私たちは、会社や学校、趣味のサークルから近所づきあいまで、多様なコミュニティに所属し生活しています。そこには法令以外にも、それぞれにコミュニティ特有のルール(規範)を持っています。例えば、会社の内規や校則、サークルの会則など、あるいは地域の慣習や決まりごとのように明文化されていないものもあります。厳然としたものでなくとも、コミュニティのメンバーがそのルールを共有し、ルールに則ったふるまいをすることにより、相互の信頼が醸成されます。それがソーシャルキャピタルで支えられたコミュニティのイメージです。ソーシャルキャピタルの蓄積が高いほど、人の結びつきが深く安定性があり、健全でものごとがスムーズに運ぶ組織・集団が形成されます。そのような活動により、さらにソーシャルキャピタルの蓄積が加速されます

    そのようなコミュニティがネット上に、多様なかたちで存在する様子を想像してみてください。現状でネット上のコミュニティは、SNSの「いいね」が示すように、ある意味「共感」で支えられている人のつながりといえます。そこに「信頼」が付加されることによって、より安全・安心なデジタルコミュニティが実現されるでしょう。私たちは、この信頼を付加する情報基盤にむけてソーシャルキャピタルのデジタル化とその活用法を研究しているわけです。

    図1 ソーシャルキャピタルのデジタル化の概念図
    図1 ソーシャルキャピタルのデジタル化の概念図

    ソーシャルキャピタルをデジタル化した情報基盤はどのような構造になるのでしょうか?

    私たちは、様々なデータを分析した価値としてソーシャルキャピタルのデジタル化を進めることを考えていますが、そのような情報は人の思考を価値化するともとらえられます。そのためその情報のあり方や管理方法がとても大事です。管理においては、ブロックチェーンの技術応用が有効だと考えています。ブロックチェーンとは、ビットコインなど仮想通貨の基盤技術として開発されたもので、一定期間の取引データをブロック単位にまとめて記録し、鎖のようにつないでいく仕組みです。クライアントサーバシステムのように、上位のシステムがデータ処理を行うのではなく、複数のコンピュータをつないだ分散型ネットワークです。データの改ざんや不正な取引などを、コンピュータ同士が検証し合うことで排除する仕組みであることから、自律分散型システムとも呼ばれます。この自律分散型のブロックチェーンの技術思想が相応しいと考えています。今後必要とされる分散型社会にも適応できます。

    つまり、参加者が自律的に運用するこの技術を応用した情報基盤が構築できれば、自身の情報を自分で管理できます。誰に使わせるのかをコントロールし、だれが使ったのかを確認することができます。
    私たちはこれまでブロックチェーンの研究に携わってきており、その研究成果を用いたデータ管理・活用サービスが現在、商用化されようとしています。このような経験から、ブロックチェーン技術を活かした情報基盤の構築は技術的には可能であると思っています。

    ソーシャルキャピタルのデジタル化は未来をどのように変えるのでしょうか?

    ソーシャルキャピタルのデジタル化とその活用は、ネット社会の将来を大きく変える可能性があると考えています。たとえば、個人事業主であれば、業務履歴やスキルの蓄積などにより信頼性を表現でき、ネット上での信頼を構築して取引をより適正で円滑なものにしていけるでしょう。人や組織の信頼性はそれらが発信する情報の信頼性評価にも活用できると考えています。企業であれば、サプライチェーンの情報公開などにより、例えば、信頼できるESG情報の活用につなげられます。現状は、投資や経営の分野で注目を集めているESG情報ですが、サプライチェーンを通じて信頼できる情報としてトレースできることにより個別商品ごとにその評価ができ、普段の買い物など、消費に不可欠な情報になることも想定されます。それにより、社会課題の解決につながると考えています。

    さらにグローバルワイドな視点で見れば、地理的な距離、文化的な違いを超えた価値観の共有による信頼関係が、企業間の国際的で柔軟なコラボレーションを促し、新しいビジネスを生み出していくことも考えられます。また、国や民族の対立・分断といった社会的な課題に対しても、その壁を乗り越えて人のつながりをつくり出せるのがネットの利点です。信頼関係に支えられた環境が整えば、そうした課題の解決に向けた新たな規範や行動が生み出されていく可能性もあると思います。

    ソーシャルキャピタルのデジタル化の研究プロジェクトはまだスタートしたばかりです。現在は、どのコミュニティでどのような価値が重要とされるのか、そこでどのように規範を抽出し表現していくのかといった議論と検証を重ねている状況です。しかし、これが実用化され、社会的に認知されるようになれば、ある段階でグローバルな関係性が爆発的な広がりを見せるだろうと予見しています。

    また、個人的に感じるこの研究のおもしろさは、人文・社会科学系の知見を自然科学系の情報工学に取り入れているところにあります。過去に、異なる学問領域の融合がパラダイムシフトを生んだ例がいくつもありますが、私が取り組んでいる内容も、世の中を大きく変える可能性を持つ学際的な研究です。ずっと自然科学系を歩んできた私にとっては、社会学や哲学などの知見の習得や専門家の助言はとても新鮮ですし、ICTの世界をどう変えられるかということに研究者として、ときめきを感じます。この研究領域は、NTTが他に先駆けた立場にあると考えていますが、できれば2、3年後を目途に、最初の成果を世に出したいと考えています。

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