更新日:2026/10/19
はじめまして。NTT株式会社 人間情報研究所の海老名光希です。2026年7月26日から30日にかけて、生体医工学分野で世界最大規模の国際会議であるIEEE EMBC 2026が、カナダ・トロントで開催されました。私は今回フルペーパーで採録され、浮腫触診における看護師の触診スキル解析についてポスター発表を行いました。本記事では、学会の様子や自身の発表内容、興味深いと感じた発表についてご紹介します。
人間情報研究所 海老名光希
今回参加したEMBCはIEEEのEngineering in Medicine and Biology Society(EMBS)が主催する国際会議で、今大会で第48回となります。生体医工学分野では世界最大規模の国際会議の一つで、医療と工学に関する幅広い研究が発表されます。今回は過去最多の2,925件の投稿があり、4件のPlenary Talk、11件の基調講演に加えて、600件の口頭発表、862件のポスター発表、27件のミニシンポジウム、15件のワークショップが実施されました。Plenary Talkには、リハビリテーションロボティクス分野で著名なRobert Riener教授をはじめ、各分野を代表する研究者が登壇していました。
トロントは今回初めて渡航しましたが、カラッとした晴天が続き、非常に過ごしやすい気候でした。渡航した時期はカナダ北部で山火事がありその影響も懸念されていたのですが、幸い大きな影響も受けることなく学会に参加できました。ただ、往路の航空機内や現地の建物内の冷房が強過ぎたのか体調を崩してしまい、数日寝込んでしまったのが非常に心残りです。写真は学会会場の隣にあるCNタワーとRogers Centreです。夜にはライトアップされ、昼間とはまた違った景色を楽しむことができました。
タイトル:
Pilot Study: An Objective Evaluation of Palpation Skills in Edema Assessment Based on Finger Force
著者:
Koki Ebina (NTT), Mitsuhiro Goto (NTT), Masato Fukuda (NTT), Aya Saitoh (Niigata Univ.), Noriko Yagyuda (Niigata Univ.), Shigekuni Kondo (NTT), Sayuri Sakai (Niigata Univ.)
組織のミッションにおける位置づけ:
遠隔診療の実現に向けた身体遠隔化技術
https://journal.ntt.co.jp/article/34729/
https://group.ntt/jp/newsrelease/2025/06/30/250630a.html
本研究では、将来的な人の手を介した遠隔触診への応用を見据え、看護師が経験を通じて身につける触診スキルの定量化を目指して下肢の圧痕性浮腫の触診動作を計測しました。看護師・看護学生15名を対象に、ウェアラブル力センサと深度カメラを用いて、指先に加える力、圧痕の深さ、指の角度などを計測しました。その結果、看護教員・看護学生では比較的強く長く押す一方、臨床看護師では、より軽い力で短時間の触診を繰り返す傾向が確認されました。本成果は、遠隔触診における手技の教示や、看護教育での客観的な技能評価・フィードバックへの応用が期待されます。

触診は視診や聴診などと並び、幅広い疾患の状態を把握するための基本的な診察手法の一つです。近年の少子高齢化や医療資源の偏在を背景に遠隔医療の普及が求められていますが、触診は触感に依存した診察手法であるため、その遠隔化が難しいという課題があります。そこで私の所属するグループでは、患者の自宅にいる訪問看護師などが実際に触診を行い、患部の柔らかさなどをセンサで取得して遠隔地へ伝送する「人の手を介した遠隔触診」の実現に取り組んでいます。この中では、患部の柔らかさを取得するデバイスや、取得した触感を遠隔地で再現するデバイスに加えて、そもそも「どのように触診すれば必要な情報を取得できるのか」を明らかにすることも重要です。一方、熟練した医療従事者がどの程度の力で、どのくらいの時間、どのように身体へ触れているのかは、これまで十分に定量化されていません。本研究では、こうした暗黙知となっている触診手技を計測・デジタル化することで、臨床現場で用いられている触診方法の特徴を明らかにすることを目指しました。
本研究では、高齢者に多くみられる「圧痕性浮腫」の触診に着目しました。臨床では、押した際に生じる圧痕の深さや元に戻るまでの時間などを手掛かりとして重症度を評価します。実験には看護師・看護学生15名が参加し、模擬患者の下腿に装着した浮腫モデルを触診してもらいました。実験では、普段通りに問診・視診・触診を行う条件と、押す指や位置を統一した条件の2種類を設定しました。計測には、指腹を覆わずに指先へ加わる力を測定できるウェアラブル力センサと深度カメラを使用し、触診時の力や時間に加えて、条件を統一した実験では圧痕の深さや指の角度も計測しました。
解析の結果、特に興味深かったのは、看護教育に携わる参加者や看護学生と、現在臨床で勤務している看護師との間に触診方法の違いが見られたことです。教育側の参加者では一回の触診を比較的強く、長く行う傾向が見られた一方、臨床看護師では比較的弱い力で短時間の触診を何度も行う傾向が確認されました。また、条件を統一した実験では、臨床看護師ほど力を急激に加えず、徐々に押していく傾向も示唆されました。これは、教育で学んだ基本的な触診方法をそのまま用いるのではなく、臨床経験を重ねる中で、患者への身体的負担を抑えながら必要な情報を得るための触り方へ変化している可能性を示唆しています。一方で、今回は15名を対象とした予備的な研究であり、統計的な補正を行うと明確な差とはいえない項目もあったため、今後より多くの参加者による検証が必要だと考えています。
今回の研究は、単に患者の身体情報を遠隔地へ伝えるだけでなく、医療従事者がどのように患者へ触れているのかという「触り方」そのものを計測し、定量化する取り組みです。今後、熟練者の触診方法を客観的な指標として提示できれば、遠隔触診システムにおける望ましい触診方法の教示や、看護教育での技能習得支援にもつながると考えています。
Ex Vivo Tissue Differentiation Using Vibroacoustic Sensing at the Proximal End of Laparoscopic Instruments
この研究では腹腔鏡手術で失われやすい触覚情報を補うため、腹腔鏡用把持鉗子のハンドル側に振動音響センサを取り付け、組織との接触時に器具を伝わる微小な振動から組織の種類を識別する手法を提案しています。骨、脂肪、肝臓、筋肉、皮膚の5種類のブタ組織を計420回触診し、得られた振動信号の特徴を解析して機械学習で分類した結果、98.1%の精度で組織を識別しました。器具先端にセンサを組み込まず、既存の鉗子に外付けした体外側のセンサだけで組織情報を取得できる点が大きな特徴です。
私自身も触診時の力や押し込み量から患部の柔らかさを計測する研究に取り組んでいるため、音波や振動を用いて組織の種類を識別するという発想は非常に興味深く感じました。一般に手術中に組織の触感をセンサで取得しようとすると、手術器具の先端にセンサを組み込むなど、器具そのものに大きな変更が必要になる場合があります。また、患者の体内に入る部分へセンサを搭載する場合、小型化や配線、滅菌性など様々な問題があります。一方で、この研究ではハンドル側に小型のセンサを装着するだけで既存の鉗子をそのまま使用でき、導入ハードルが非常に下がる点が大きな強みです。
計測結果では骨では高周波成分が強く、肝臓では比較的狭い周波数帯に信号が集中するなど、組織の機械的性質が振動音響信号に反映されていた点も印象的でした。ただし、この研究は組織の硬さそのものを数値として推定したものではなく、振動特徴から組織種類を識別した研究です。硬い組織ほど高周波応答が強い傾向は示されていますが、98.1%という識別精度はそのまま硬さ推定精度を意味するわけではありません。一方で私自身も浮腫の重症度判別に関する研究を行っており、こうした組織種や機械的性質の違いを振動から捉える技術は、触診対象の性状を計測する新たなアプローチとして自身の研究にも応用できるのではないかと考えています。
この研究ではあくまで模擬的な環境下での実験であるため、実際の手術環境での検証はまだ行われておらず、こうした条件でも組織固有の情報を安定して取り出せるかが今後の重要な検証点とされていました。それでも、触診情報を「力」だけではなく「振動」として読み出す発想は、遠隔触診における患部のセンシング方法を考える上でも非常に示唆的でした。
今回の学会では体調を崩してしまうというアクシデントもありましたが、ポスターセッションでは様々な方々と活発な意見交換ができるなど、非常に実りの多い学会となりました。特に、生体医工学分野で世界最大規模の国際会議の一つということもあり、比較的専門性の高いテーマに取り組む自分にとっても関連性の高い発表を数多く聴講できた点は、EMBCの大きな魅力だと感じています。EMBCは現在取り組んでいる研究テーマとの親和性も高く、来年以降も継続して成果を発表していきたいと考えています。
2021年、北海道大学大学院情報科学院システム情報科学コース修士課程修了。民間企業勤務を経て、2022年に同コース博士後期課程に入学。2024年、博士(情報科学)の学位を取得し、同年、日本電信電話株式会社に入社。遠隔触診に関する研究に従事。主な受賞歴にSICE International Young Authors Award for SII 2023、SICE Annual Conference International Award of the SICE 2019など。2026年より、日本機械学会ロボティクス・メカトロニクス部門広報委員。