更新日:2020/01/23
スマートフォンやカーナビなど、人々の生活にはいまや位置情報が欠かせず、未来に渡ってはもっと高い精度の測位や時刻同期といったことが必要になってきます。NTTネットワーク基盤技術研究所(以下、NT研)では、GPSをはじめとするGNSS(Global Navigation Satellite System)を使用した、世界最高水準の時刻同期技術を実現しています。また、クラウドによる測位演算処理を用いて、測位性能の向上と新たな付加価値を実現する、クラウドGNSS測位アーキテクチャの検討も進んでいます。GNSS関連技術のこれまでの流れや現在の技術について、そして今後の技術開発やビジネスへの展望について、NT研の吉田誠史氏にお伺いしました。
NT研では2016年頃から、衛星を用いて位置を測定するGNSS(全球測位衛星システム)関連技術の開発や検討を進めてきました。アメリカのGPSからはじまり、2010年頃から世界各国のGNSSの構築が進み、現在ではロシアのGLONASS、EUのGalileo、中国のBeiDou、そして日本のQZSSなど、トータルで140機以上の衛星が打ち上げられ、その数は10年ほどで約3倍になっています。これらの航法衛星からの信号を受信することで、測位ではナビゲーションや測量のほか、農機や重機のマシンガイダンスや自動運転などを可能にしようとしており、時刻同期ではモバイル基地局やグローバルな金融取引、地震計測等において、世界規模で標準時刻に対する誤差の少ない環境を作りだすため、精度向上についての技術開発が進んでいます。
まずは時刻同期についてですが、4Gで使われる3.4GHz帯のTD-LTE方式の登場により、モバイル基地局間の高精度な時刻同期が必要になってきたのが2016年頃でした。各所に設置されたGNSSの受信アンテナは、約12時間周期で地球を周回する衛星からの信号を受信します。しかし都会のビルに囲まれた受信環境、アーバンキャニオンと呼ばれるようなポイントではビルの反射波や、構造物の角に当たって折れ曲がって届く回折波といったマルチパス信号が、時刻の高精度な同期を阻害していました。そのため、アンテナを立てる場所をどう選ぶのかという課題もありました。これについては従来、受信信号の強度の閾値に基づいてマルチパス信号を排除する方法もありましたが、精度については十分とはいえないものでした。
そこでまずアンテナの設置候補の場所で全方位カメラを天頂方向に向けて撮影した天空画像のデータを処理してアンテナ周辺の構造物と空を識別し、これに衛星軌道をマッピングすることによって可視衛星の経時的な受信特性を推定する「GPS衛星信号受信特性推定技術」を開発しました。GNSSによる時刻同期では最低でも4機の衛星信号を使用して受信位置と時刻のパラメータを算出しますが、この技術ではこの場所にアンテナを設置すると少なくとも4機の衛星信号を見通し状態で受信できる、という地点を割り出すことが可能になりました。しかし近年のGNSSレシーバは受信感度が向上しているので、見通し状態では受信できない不可視衛星信号もマルチパスとして受信してしまいます。しかも天空上に開けた空間が少ないと可視衛星数が減るため、時刻同期精度の劣化の影響は大きなものでした。
このマルチパスの問題の解決のため、統計的な処理により衛星を選択するアルゴリズムの開発に挑みました。アンテナ設置位置がビルに囲まれたりしてシビアな受信環境にあればあるほど、多くの不可視衛星からのマルチパスによって衛星信号が遅延し、時刻同期精度が劣化します。そこで我々はGNSSレシーバが受信したすべての信号を時刻同期に使用するのではなく、受信位置の推定と衛星信号の到達時刻に基づき、使用する衛星の選択を随時繰り返すという独自のアルゴリズム「スマート・サテライト・セレクション®」を考案しました。このアルゴリズムでは衛星信号を最低で4つ選択します。可視衛星からの直接波であれば4つ以上であっても良いのですが、直接波が4つに満たないシビアな受信環境では不可視衛星の中から伝送遅延の小さな衛星信号を選択的に使用し、伝送遅延の大きな衛星信号は大胆に排除するという”少数精鋭”の衛星選択を行うアルゴリズムです。受信した衛星信号の強度やSN比ではなく、遅延に着目したのが独自性で、これによって受信環境によらず、高精度の時刻同期が可能になりました。
性能を評価するため、GNSSレシーバを製造している古野電気に委託し、このアルゴリズムを組み込んだレシーバを試作しました。シビアな受信環境下での時刻同期精度を実測したところ、誤差は従来の1/5と、遮蔽物のないオープンスカイの受信環境とほとんど変わらない時刻同期の精度を実現することができました。受信環境に適応して使用する衛星信号を選択するこの方式であれば、例えば壁面にアンテナを設置することも可能になるので、アンテナの設置場所の確保に要するコストを減らすこともできます。本技術の開示によって2019年4月には古野電気より時刻同期用GNSSレシーバモジュールの新製品が発売開始になり、今後の5G時代の到来にも対応していけると思います。
フルノ製品情報サイト
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GT-88
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GF-8801
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GF-8802
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GF-8803
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GF-8804
https://www.furuno.com/jp/products/gnss-module/GF-8805
これまでの話は時刻同期に関するものでしたが、もう一つの「測位」は時刻同期よりもかなり難易度が高くなっています。GNSSによる測位は、地図アプリのナビ、自動走行、農機や重機の無人制御、ドローンの制御、測量などの分野に必要なものです。測量の世界では数センチ単位での位置座標の計測が可能な、搬送波位相測位(GNSS信号の搬送波の位相情報により距離計測を行う)方式が20年以上前から利用されています。一方、カーナビやスマホで現在幅広く使用されているコード測位方式では、受信環境のよいところでも2〜3mの測位精度が限界で、アーバンキャニオン環境ではときには数10mの誤差を生じることがあります。近年、自動走行車の研究がさかんに行われていますが、それを可能にするには高い測位精度が必要です。どのレーンを走っているかを判定できる位置精度が求められ、誤差は1m以下、理想的には20〜30cmといわれています。そうすると、現在のコード測位方式では不可能で、測量で使われる搬送波を使った測位方式を、高速の移動体にも適用する必要があります。
搬送波位相測位の課題は、まずはコストです。現在開発されている自動走行車には何百万円もするような測量用のGNSSレシーバや慣性航法装置が搭載されていますが、商用化を考えるとこの価格帯では厳しいものがあり、スマホやドローンでは言わずもがなです。これを解決するために我々が適用しようとしているのが、クラウド(ないしはエッジ)での測位演算処理です。これまではGNSSレシーバのチップやモジュールといったハードウェア内にすべての機能が実装され、トータルで性能向上がはかられてきましたが、最近では汎用的なGNSSレシーバから処理途中の観測データ(ロー・データ)を取り出しやすくなってきている状況から、測位演算処理をクラウド(ないしはエッジ)にオフロードする、「クラウドGNSS測位アーキテクチャ」の検討を進めています。クラウドを使う理由の一つとしては、時刻同期とは違ってスマホやカーナビの市場ではGNSSレシーバのメーカーが多く、個別に衛星選択アルゴリズムなどの独自機能の実装を働きかけるのは難しく、一方でクラウド側の処理では性能の差別化を実現しやすいという事情があります。また、演算のコア部分をクラウドで行うことで、測位点では汎用的なGNSSレシーバを使用することができ、コスト低減も考えられるからです。搬送波位相測位によって移動体でも数センチ単位で測位ができるようになると、高速道路のレーン別課金、救急車両の通行時における信号制御といったことも可能になるなど、社会的にも役立つ運用が可能になると思います。
搬送波位相測位方式のGNSS測位で数センチレベルの測位を実現することができたとして、もう一つ課題があります。それは地図の精度向上です。高精度測位ができるのであれば、地図もまた数センチ単位の高精度なものが必要になります。現在利用可能な地図データではレーンや車道・歩道の区別といった詳細な情報は掲載されていません。しかし搬送波位相測位で得られた高精度な位置情報を活かすには、歩道やガードレールなどの構造物、段差がわかるような高精細の情報が必要なのです。地図については国が主導するプロジェクトで高精度3次元地図を制作する会社もありますが、NTTでも独自の地図製作の検討は行っています。電柱やマンホールといった設備管理情報は持っていますし、NTTが全国に所有している建物を独自固定局(基準局)に活用し、さまざまな補強信号を利用するといったことも考えられます。NTTグループの力を結集して高精度な地図や測位ソリューションを展開する際に必要となる技術を確立し、提供することで貢献できればと思っています。
まだ解決すべきことはありますが、GNSSは全世界規模で利用でき、緯度・経度に加え高度の3次元の絶対座標が取得できる唯一のシステムです。搬送波位相測位の適用の可能性があるアプリケーションは幅広く、まさに新しい産業領域が生まれ、広がりつつある状況で、農機や重機ではすでにマシンガイダンスによる制御機能に取り入れているメーカーもあります。NTTとしてはこの搬送波位相測位の技術を最大限に活かせる分野を見極めながら、事業会社やさまざまなパートナーと組んで技術を提供していきたいと思っています。
インターネット上の位置情報などは年々精度が高まり、便利になってきたような気がしていましたが、それでも時折ズレが生じることも少なくありません。それが実は自動走行などを目指す上ではまだまだ大きな課題なのだと、お話を伺って実感しました。現在形になっているのは時刻を高精度に同期できるGNSSレシーバですが、移動体での搬送波測位が可能になれば、ビジネスでもかなり領域が広がりそうです。車やドローンの自動制御は想像がつきやすいですが、数センチ単位、かつ段差まで測位できれば電動車椅子などのパーソナル・モビリティなどの移動にも活用できますし、芝刈り機の自動化や、校庭のラインも無人で引けるなど、身近なところで役立つ場面は想像以上に広がります。変化が早い、と吉田氏がおっしゃっていましたが、5G時代の本格到来も間もなくであり、ターゲットを絞り、柔軟かつスピーディな適用や機能配備が重要だと感じさせられる取材でした。
2019年11月28日取材
魁生 佳余子
【参考情報】