更新日:2020/09/18

    ゲームで視覚能力をセルフチェック:「シカクノモリ」
    丸谷 和史
    NTTコミュニケーション科学基礎研究所 感覚表現研究グループ 人間情報研究部
    主任研究員

    開催中止となった『ニコニコ超会議2020』から注目展示を紹介

    新型コロナウイルスの影響で残念ながら中止となってしまった『ニコニコ超会議2020』。『ニコニコネット超会議2020』としてオンラインイベントは開催されましたが、実際には披露できなかった企画や展示が多数あります。ここでは、紹介できなかった研究内容と展示内容について紹介していきます。

    1. 使用している画像や図版は準備段階のもので、実際には使用されていないものを含みます

    さまざまな視覚の機能を気軽に楽しくセルフチェックする仕組み作りを目指し、研究・開発が進められている「シカクノモリ」。2018、2019年に続いて3回目の出展になるはずだった『ニコニコ超会議 2020』では、これまでの研究を活かして、より深くプレイヤーの視覚に迫る体験展示を企画していました。

    高まる視覚機能測定の重要性

    社会の高齢化による眼病患者の増加や、パーソナライゼーションの機運が高まっている表示デバイスの多様化などにより、今後個人が自分の視覚機能を知ることは、より重要になっていくと思われます。しかし、本格的に視覚機能を測定するには、専門的な機器や医療従事者の立ち合いが必要な場合が多く、普段の生活の中で自分の能力を知ることは簡単ではありません。
    そんなとき、手持ちのパソコンやタブレット端末を使って視覚機能をセルフチェックできれば、もっと気軽に自分の視覚について知ることができるでしょう。また、幅広いユーザーから収集したセルフチェックのデータにより、視覚の能力が人によってどのように違うのかといったことが分析可能になります。こうした取り組みが、適切な表示デバイスの開発や、一人ひとりに適した医療サポートの仕組み作りにつながることが期待できます。

    ゲーミフィケーションの手法を取り入れた新しいアプローチ

    NTTコミュニケーション科学基礎研究所が提案する「シカクノモリ」は、美しいグラフィックとストーリー性を持ったゲーム形式のテストセットです。
    これだけであれば、ほかのモバイルゲームと大きな違いはありません。しかし、一般的なモバイルゲームとの違いは、従来の視覚科学で培われた測定のポイントを踏まえたうえで、多くの人が楽しく視覚能力を試すことができるようにゲーム化されている点にあります。

    「シカクノモリ」は、それぞれ異なる視覚の能力を測定する4つのミニゲームで構成し、測定する能力については、科学研究で検討が進められている複雑な視覚処理をカバーできるように選定されています。
    これらの視覚能力の測定をゲーム化するに当たっては、科学研究で用いられる標準的なテストをベースとし、そのエッセンスを失わないように留意しつつ、テストの内容を簡易化し、Webブラウザーでの動作を可能にすることで、短い時間で多くの人がテストを実施できるようデザインしています。

    また、従来の研究では、実験や測定の結果を参加者がすぐに見ることができないことも多くありましたが、ニコニコ超会議のようなイベントやセルフチェックでの利用を想定する「シカクノモリ」では、ゲームのプレイ後にスコアグラフを表示することで、測定結果をその場で確認できるようにしました。

    ■オーロラヤマ(コントラスト感度)

    「オーロラヤマ」は、“コントラストを感じるチカラ(感度)”を測定します。画面に表示される縦の線の濃淡で描写された部分の周囲を指でなぞって囲むことで、ギリギリ見える濃淡のレベルを測定できます。

    ■イセキノハラ(複数物体検出)

    「イセキノハラ」は、うっすらとまたたくパターンを見つけてタップするゲームで、簡易的な視野検査の要素も兼ねています。見つけたまたたきの数や、見やすい部分と見えづらい部分をグラフと数値でフィードバックします。

    ■ホウセキイケ(複数オブジェクト追跡)

    「ホウセキイケ」は、“複数の動くものを目で追いかけるチカラ”を測定します。ゲーム開始時に、いくつかのキャラクター(サカナ)の色が一瞬だけ変わります。プレイヤーは動くキャラクター群の中から色が変わったキャラクターすべてを目(視覚的注意)で追跡します。到達できる難易度が高いほど、多くの動き回る物体を同時に目で追いかける能力が高いことを示しています。

    ■ヒカリノイセキ(周辺視野での文字認識)

    「ヒカリノイセキ」は「イセキノハラ」に少し似ていますが、こちらでは、単純にキャラクターが出た場所をタップするのではなく、まとまって表示される複数のキャラクター群から、中心部のキャラクターを識別して反応することが求められます。

    4つのゲームのうち、コントラスト感度(「オーロラヤマ」)と複数物体検出(「イセキノハラ」)の2つについては、比較的基本的な視覚機能の役割が大きなウェイトを占めます。一方で、複数オブジェクトの追跡(「ホウセキイケ」)と周辺視野での文字認識(「ヒカリイセキ」)については、視覚系の中でも高次の視覚認知処理を含む機能がより必要とされます。
    今年度のニコニコ超会議では、これらのテストの結果を組み合わせることで、広範囲の視覚処理に関する機能を多面的にチェックし、プレイヤーの能力特性の傾向を総合成績として結果表示、視覚能力を必要とする様々なプロフェッショナルとの成績比較まで行えるようにすることを計画していました。

    イベントを利用した視覚科学のパラダイムシフト

    これまでのニコニコ超会議での展示では、ゲーム型視覚テスト成立の可能性、データ取得、テストの有効性の確認などを目的とし、良好な結果を得てきました。特に2019年の展示では、「シカクノモリ」の体験者が1000人を超えるなどイベントで運用することで、大量のデータ収集の可能性を示すことができました。実験室では得難い、こうしたイベントでの成果は、従来の視覚科学研究の実験パラダイムを大きく変える可能性があります。
    今年度は、これらの結果をもとにイベントと科学実験のさらなる融合を目指しました。従来のブースでは、主に体験時間や機器の準備の問題でアテンダントの案内に従って一種類のゲームを体験することが限界でした。
    そこで、2020年の同イベントでは、この問題を戦略的なブース作りや伝わりやすい解析結果のフィードバックなどで解決し、ユーザーエクスペリエンスの向上に力を入れた内容を検討していました。例えばブースを回遊型とし、その入り口でゲームをプレイするための専用タブレットを配るといった方法が考えられます。この方法では、専用タブレットを持ったプレイヤーが、各ゲームのコーナーに移動してゲームをプレイすることで、一人のプレイヤーが好きな順番で複数の種目を体験できるようになります。

    ブースは回遊型を想定し、1人のユーザーが2つ以上のゲームをプレイする導線を作る。すべてのゲームをプレイすると、出口で能力チャートが作成される仕組みになっている。

    このように、参加者が自由なやり方でゲームをプレイしたときのデータを得ることで、日常生活のさまざまな場面で視覚能力をチェックするためのノウハウを蓄積していくことができます。

    さらに、ブース展示に加えステージイベントとしてeSportsの文脈で「シカクノモリ」をプレイしてもらおうという計画もありました。近年のeSportsの盛り上がりを受けて、プロプレイヤーのようにゲームを数多くプレイしている人はどのような能力が優れているのかという疑問に対する研究が進められつつあります。「シカクノモリ」のようなツールを使うことで、測定に時間をかけられないプロプレイヤーの方々にも測定を依頼できる可能性があり、ビデオゲームプレイヤーの視覚能力の研究分野をさらに進めることが期待できます。そういった研究の一部として,一般の参加者の能力特性の傾向を分析したり、プロの結果と自分の成績を比較したりといった、イベントならではの仕掛けも想定していました。

    結果的にニコニコ超会議2020は、オンライン開催となり、リアルブースでの展示を行うことはできませんでしたが、多様な場面で引き続きこうした方法を試し、視覚科学の実験パラダイムを広げるとともに、より実社会に近い環境でのデータに基づく議論を行っていきたいと考えています。

    視覚のデータの収集と活用

    「シカクノモリ」の特徴は、従来の視覚機能の測定と比較して、短い時間で楽しくセルフチェックできる点にありますが、そこで気になるのは簡易測定のデータがどのくらい信頼できるかという点でしょう。実験室やオフィスルームなどで行った実験では、従来の測定方法と比較すると信頼度はやや落ちるものの、おおむね比較可能といえる程度の測定結果が得られています。さらに、2019年のニコニコ超会議の展示でも、実験室やオフィスルームで実験者が陪席した場合と同等のデータが取得できることがわかっています。これらの結果は、「シカクノモリ」の測定結果がおおむね信頼できることを示していると私たちは考えています。

    NTTコミュニケーション科学基礎研究所では、「シカクノモリ」だけではなく、市販のタブレット機器を用いて従来の方法に近い形で簡易視覚機能測定を行う「タブレットテスト」の作成もあわせて行っています。このように複数のテストセットを用意することで、同じ測定を行う場合でも状況やユーザーの目的、気分に合わせて適切なテストセットを選択できるような仕組みの実現を目指しています。
    例えば、特に視覚機能に不安を持たない状況では、時間がかかる精密な測定を必要とはしないでしょう。このような方には「シカクノモリ」のようなライトなテストが向いていると考えられます。一方で、なんとなく視覚の機能に不安がある場合は、より従来の測定方法に近い「タブレットテスト」が向いているかもしれません。その中で、これまでとは違う、もしかすると機能に異常があるかもと思うデータが得られるようであれば、本格的に眼科で検査をしてもらうきっかけになるでしょう。

    タブレットテスト、シカクノモリをそれぞれ適切な場面で活用することで、より多くのデータ取得が期待できる。

    逆に、こうしたさまざまな状況のユーザーからのデータをまとめてみることで、これまで明らかになってこなかった視覚の多様性が見えてくるかもしれません。視覚科学でも、近年視覚多様性の議論が盛んになってきています。実験室の精密なデータだけでは、視覚多様性を深く論じることはできません。実験室のデータと、多くの人からの多様なデータを組みあわせることによって、最先端の視覚科学をさらに進める仕組みとしても、この取り組みは国内外から期待が寄せられています。

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