更新日:2022/06/08
デジタル社会基盤を支え、ムーアの法則に沿って発展してきた従来の計算機の性能は限界に近づきつつあるといわれています。多くの社会課題を解決し、安心・安全で豊かな社会を実現するには、量子コンピュータのような従来の計算機を遥かに超える能力を持った次世代のコンピュータの登場が期待されています。本稿では、「光を用いて計算する」次世代コンピュータの可能性と本特集で紹介するデバイス技術を概観します。
岡田 顕(おかだ あきら)†1/橋本 俊和(はしもと としかず)†2
NTT先端集積デバイス研究所 所長†1
NTT先端集積デバイス研究所†2
スマートフォンや家庭電化製品、自動車、インターネットをはじめ、公共インフラの情報システムや金融、商取引など、あらゆる場面に使われるデジタル技術は社会を支える基盤技術となっています。さらに、通信技術により、分散したデジタル情報を連携することが容易となり、AI(人工知能)やブロックチェーンなどの新たなデジタル技術が大きなインパクトを社会にもたらしています。エネルギー問題をはじめとする多くの社会課題を解決し、安心・安全で豊かな社会を実現していくには、社会基盤となっているデジタル技術の持続的な発展が欠かせません。デジタル技術は、コンピューティングを行う半導体集積回路の集積度を上げることで高性能化と低消費電力化を両立させ、持続的に発展してきました。半導体集積回路のトランジスタ数が「2年ごとに倍になる」というムーアの法則はその象徴として広く知られています。しかし、近年、半導体集積回路の微細化は物理的な限界に近づきつつあるといわれており、半世紀にわたり維持されてきたムーアの法則の限界が指摘されています。さらに、爆発的な発展が続くAIでは、1兆を超えるパラメータを使った機械学習が行われるなど、ムーアの法則を超える計算能力の伸びが求められています (1) 。消費電力についても、例えば、OpenAIが発表したGPT-3と呼ばれる高性能なAIの言語モデルでは、最大規模のモデルで学習した場合の消費電力量は、一般的な家庭の約300年分の消費電力に相当する1287MWhに達しています (2) 。
これらの課題を乗り越えていくためには、半導体集積回路技術の発展のみならず、それ以外の方法を用いた、従来の計算機を遥かに超える性能を有し、かつ、それを低消費電力で実行できる次世代のコンピュータの登場が強く求められています。
本特集では、次世代コンピューティング技術として注目されている光を用いた計算技術に焦点をあて、それらに利用されるデバイス技術を紹介します。光を用いたコンピューティングでは、情報を光の状態でどのように表し、光で表した情報を用いてどのようにコンピューティングを行うか、を考える必要があります。以降では、次世代コンピューティングに向けた光による情報処理として、情報を光の状態として表し光の状態で計算を行うメリットと、光を用いたコンピューティングに必要とされるデバイス技術を概観していきます。
情報処理と似た言葉に信号処理という言葉があります。工場でのものづくりに例えると、情報が部品で、信号がそれをまとめた荷物、信号処理はその振り分けや積み替えなど運送にかかわる処理で、情報処理は荷物の中身を使って新たなものをつくる製造工程に対応します。ものの流れの上限を把握することで工場の生産能力の上限が分かるように、まず、光が信号やその中身である情報についてどれくらいの量を扱うことが可能であるかを信号処理の観点も含めてみていきます。次に、製造工程とものの搬送が一体化したライン生産方式で製造技術が大きく発展したのと同様に、これまで信号処理で使われてきた光を取り入れることで情報処理がどのように発展するかについて考えてみます。
光に情報を重畳させる典型例として光ファイバ通信があります。光ファイバ通信では、情報を送り届けるために、情報を光の強度・周波数・位相に変換する信号処理が行われます。光の通信回線を構成するために光信号を光スプリッタで分配したり、波長多重信号を光合分波フィルタで分離したり束ねたり、あるいは光周波数フィルタを用いて光信号の周波数に応じて処理したり、これらは光機能デバイスによる一種の信号処理とみなすことができます。光に重畳させる信号はデジタル信号で、光から取り出した信号はデジタルフィルタで処理することにより、位相や周波数、振幅値に含まれるノイズを除去して、情報を取り出しています。そのため、信号処理や情報処理は電子回路の処理速度に律速されることになります。光ファイバ通信では、変調周波数として100Gbaud級の信号が使われようとしていますが、これに対して、光にはさらに多くの情報を重畳させることが可能です。例えば、波長1.5μmの光は、周波数が約200THzの電磁波であり、強度1mWの光は、毎秒7.55×1015個程度のフォトン(光子)の流れと考えることができ、莫大な自由度が残されています。しかし、電子回路の処理速度を超えて情報処理行うには、電子回路の処理速度を超えて光の波やフォトンを操作する必要があるため、光で計算を行うことが必須となります。図1に光で処理する情報の粒度に対する信号処理と情報処理の関係を示します。デジタル信号列やデジタル信号の1つのシンボルを操作する場合は、光は主に光に重畳している信号処理を行うための要素であるフィルタとして用いられます。それに対して、光による情報処理を行う領域では、光をアナログ信号の波として扱い、あるいは、光の量子状態を使って、それらに情報を重畳させて、その光の状態を操作することで情報処理を行います。光による信号処理では光回路は要素技術として用いられますが、光による情報処理では光回路の中で閉じたかたちで光による演算を行います。光の干渉等を高精度に制御し、振幅と位相の情報を取り出せるホモダイン検波や自己相関をとり、さらにそれらを組み合わせることで光による演算が行われます。本特集の記事でも取り上げているように、光によるニューラルネットワーク (4) や光量子情報処理 (5) (6) について、実際の光回路で基本的な動作が実証され始めています。光による情報処理は次世代コンピューティング技術の有望な候補と考えられています。

光は光の状態として膨大な自由度を持っていて、そこに情報を重畳させることで、従来の計算機の能力を超える光による計算技術の可能性があると前述しました。ここでは、光により表された情報でどのようなコンピューティングが可能となり、そのためにはどのようなデバイスが必要となるかをみていきます。
デジタル技術では主にプログラムを基にデータに対して逐次論理演算を行っていくノイマン型のコンピューティングが用いられてきました。コンピュータや周辺装置との間の情報転送を含めて、論理演算を高速に行うことが技術を発展させるうえで重要です。一方、非ノイマン型のコンピューティングでは、従来の逐次論理演算とは異なる方法で計算を行います。光を用いる場合は、前述したように、莫大な光の状態を利用して、逐次論理演算を行うノイマン型でなく、非ノイマン型の演算を行うことで、電子回路の処理速度に律速されずに大規模で高速なコンピューティングの実現が可能となります。図2にノイマン型と非ノイマン型のコンピューティングと光デバイス技術の対応を示します。光デバイスとして、コンピューティングで論理演算を高速化するためには高速・広帯域動作が、光による計算を可能とするためには光の波や光量子の活用(使いこなせること)がめざす方向になります。高速・広帯域動作をめざす方向には、光ファイバ伝送等に用いられる大容量伝送技術に対応して、光インターコネクションも含めて現在のコンピューティングシステム自体の性能向上に寄与する光電融合技術 (3) があります。また、広域のネットワークも含めて考えた場合、従来の光デバイスである線形光回路等もこの領域を支える技術となります。一方、光波・光量子の使いこなしという観点では、情報を重畳させた光の波の相関を生成するための非線形光学素子や複雑な相関をつくり出し、光による演算をシステムとして動作させるための光回路技術、さらに電子制御を含めたシステム化技術が重要となります。また、光量子を用いる場合には、光の量子状態を生成するために、光通信におけるレーザ光源に相当する量子光源が必要となります。これらのデバイスを用いることで、非ノイマン型の計算機である、コヒーレントイジングマシン (7) や光ニューラルネットワーク・光リザーバコンピュータ (5) などの従来と異なるコンピューティングが実現されています。さらに、量子光源や光量子情報処理向けの光回路は光量子コンピュータを実現するうえでは欠かせないデバイスと考えられており、光量子情報処理に向けた基本的な動作が実証されています (5) (6) (8) 。ノイマン型の計算技術と非ノイマン型計算技術は相反するものではなく、計算対象や計算目的に応じて互いに組み合わせ相補的に用いられるものであり、実用的なシステムを実現していくうえでは、ハードウェアとしてそれらを統合するデバイス集積技術も極めて重要な技術となります (9) 。
本特集では、次世代のコンピューティングのうち、「光による計算」と呼ぶにふさわしい、光量子コンピュータ、および光ニューラルネットワーク・光リザーバコンピュータ向けのデバイス技術を次の3本の記事で紹介します。1番目の記事『高速光量子コンピュータ実現に向けた連続波・広帯域スクィーズド光源』 (10) では、光非線形デバイスである周期分極反転ニオブ酸リチウム(PPLN: Periodically Poled Lithium Niobate)導波路技術とその応用である量子光源技術を紹介します。次の『光を用いて計算する次世代コンピューティングに向けた光回路技術』 (11) では、線形光回路と光量子コンピューティングに向けた応用を中心に紹介します。さらに、『光デバイスによるリザーバコンピューティングの物理実装』 (12) では、光デバイス技術を組み合わせてシステム化し、大規模な積和演算を実現した光のニューラルネットワーク技術として光リザーバコンピューティング技術を紹介します。
光による計算により次世代のコンピュータを実現するためには関連するハードウェアおよびソフトウェア技術を結集していく必要があります。本特集で紹介する技術は、最先端の研究を推進していく中核技術としてさまざまな技術を引き寄せ、光による計算を大きく発展させていくものと期待されます。

光通信用デバイスの開発、実用化を通じて、NTTグループや世界のネットワークの高度化に貢献していきます。