更新日:2022/04/15
コンピュータ技術を支えるCMOS電子回路の微細化技術が限界に近づき、デジタルコンピュータの性能が指数関数的に向上するというMooreの法則の終焉が現実のものとなってきました。こうした中、物理現象を用いてデジタルコンピュータが苦手とする特定の問題を効率良く(高速に)解く計算機の研究が盛んに行われています。この領域において、世界初の成果を次々と発表している武居弘樹上席特別研究員に研究成果と、研究者としての姿勢を伺いました。
武居 弘樹 上席特別研究員
NTT物性科学基礎研究所
私の現在手掛けているテーマの1つである「大規模コヒーレントイジングマシンの実現」は2018年から継続して追究しています。イジングマシンを簡単に説明すると、膨大な個数のスピンと呼ばれる2値を持ったミクロ要素が相互作用し合い、全体(マクロ)としてどのような振る舞いを示すかを表現するイジングモデルにおいて、エネルギー最小状態を求めるという問題(これは例えば、多数の点を最短時間で回る一筆書きルートを探索する等の複雑な組合せ最適化問題に適用されます)を物理実験で解くシステムです。このスピンとして超伝導量子ビットを用いて求める「量子アニーリングマシン」がありますが、私たちは、内閣府の主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)において各研究機関と共同で、このイジングモデルの計算を不安定要素がある量子に代えて、ある特殊なレーザ光の位相(0、π)をスピンの代わりとして用いることで安定的かつ高速に行う、コヒーレントイジングマシン(CIM)を2016年に実現し、レーザ(Laser)を用いて問題を解く(Solve)ことから「LASOLV」と呼んでいます(図1)。
2019年には情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII)、スタンフォード大学、アメリカ航空宇宙局(NASA) Ames研究センターと共同で、縮退光パラメトリック発振器(DOPO)のネットワークを用いてCIMの特性を評価する実験を行い、CIMの柔軟なノード(スピンの配置された格子点)間接続の仕組みが、複雑なグラフ構造の問題を高い正答率で解くうえで重要な役割を果たしていることが明らかになりました。この実験において、CIMと量子アニーリングマシンについて、同じ組合せ最適化問題で正答率を比較した結果、辺密度の高いグラフに対して、CIMが量子アニーリングマシンを上回る正答率を示すことを明らかにしました(1)。
加えて、2021年は10万個のDOPOからなる超大規模CIMを、NIIの河原林健一教授らと実現しました(2)。今回、光システムおよび測定・フィードバックシステムの規模を増大し、10万パルス、最大100億結合のDOPOを可能とする超大規模CIMを開発し、これによって10万要素の大規模組合せ最適化問題のある1つの問題に対し、CPU上で実装した焼きなまし法(SA)に比べ、同じ精度の解を約1000倍の速さで得ることができました。加えて、動作条件を変えることで、高い解精度を保ちつつSAと比較して多様な解分布を得ることを確認しました。どちらの成果も米国科学誌『Science Advances』に掲載されています。

さらに、2021年は次の成果を報告することができました。まず、現実的な光学装置を使い、高い安全性を達成する高速な量子乱数生成器(QRNG)を世界で初めて実現しました(3)(図2)。QRNGは量子測定の確率的な性質を利用して真の乱数をつくり出す装置です。QRNGによる乱数はもし盗聴者が量子力学的に可能な方法で盗聴を試みたとしても、その予測不可能性を保証できるという意味で量子力学的に安全な乱数にすることが可能です。この成果ではアメリカ国立標準技術研究所(NIST)とともに、少ない実験データから効率的に乱数の保証を行う理論手法の開発と、タイムビン量子ビットと呼ばれる光パルスの到着時刻の測定を用いることで、0.1秒ごとに8192ビットの量子力学的に安全な乱数を生成することに成功し、英国科学誌『Nature Communications』に掲載されました。
そして、ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長の合原一幸 東大特別教授らと共同で、DOPOを用いて、神経細胞(ニューロン)の発火*信号(スパイク)を模擬する人工光ニューロンを作成することに成功しました(4)。一般に、ニューロンの発火ダイナミクスは、その外部刺激への応答に基づいて大きく2つのクラスに分類されています。私たちがつくり出したDOPOニューロンは、この2種類両方の発火モードを、注入するポンプ光強度の調整という単純な操作で自在に制御可能な特性を有することが分かりました。この発火モードの制御を通して、脳型情報処理の重要なパラメータである人工ニューロンの発火頻度を調整することが可能となります。
*ニューロンの発火:ニューロンへの入力電気信号がしきい値を超えると隣接ニューロンへ電気信号を送ること。

10数名のグループメンバや他のNTT研究所のメンバに加え、グループ会社、他社等と共同で展開し世界初の成果を発表することができています。研究活動は非常にチャレンジングであり、数年前に学術誌に基礎研究として掲載された成果を、実際に世に出すことに挑戦できる企業は世界的にみてもそう多くはありません。こうした中で、私たちNTTがチャレンジできる環境にあることは非常に幸せであり、誇らしく思っています。
私もメンバの1人として参加しているLASOLV推進プロジェクト(L推P)はPoC(Proof of Concept)をできるだけ早く行おうというフェーズに突入しています。CIMの意義を基礎研究的にさらに明確化し、それを実現したら人々に届くようなかたちにつなげていきたいのです。
私は基礎研究を手掛ける研究者として、基礎研究は「種」をつくり出すところであると考えており、その「種」をつくり出す意義や重要性は理解しています。ところが、それだけでは技術を「世に出す」のは難しい。CIMのように、量子光学、フォトニクス、計算機科学、ソフトウェアなどさまざまな分野にまたがる技術ではなおさらです。L推Pでの活動を通して、フェーズや技術分野ごとにさまざまな能力、才能を持った研究者が結集して社会的にも学術的にも意義のある研究成果を生み出すことができる、と実感しています。
今回、報告した成果の学術的意義と社会的意義は重なるところもありますが、基本的にはこのような光のアナログ性や非線形性、そして量子性を使った情報処理の実現、多様化へ貢献したいと考えています。また、まだ実現は先になると思いますが、DOPOを用いたスパイキングニューロンは、可塑性のあるニューロン・シミュレータとして、人間の脳の機能や情報処理に関する仮説を検証するために使われることを目標としています(4)。さらに、私たちは光子を用いて量子力学的に安全な高速乱数生成に世界で初めて成功しましたが、これによりQRNGの実応用を大きく前進させることができたと考えています。
さて、私は2020年の10月より物性研の量子科学イノベーション研究部(量子部)の部長も兼務しており、量子部では量子コンピュータの研究も積極的に行っています。CIMと量子コンピュータとの関連性を質問されることが多いのですが、その原理や研究アプローチが大きく異なります。いわゆる量子コンピュータは、まず理論的にその究極的性能が保証された量子計算アルゴリズムがあり、それを実験で実現していこうという試みととらえています。一方CIMは、ある種の計算に使えそうであることが経験的・実験的に分かっている物理系がすでに構築されている一方、その理論的な理解はまだ発展途上です。量子コンピュータは現在大きな期待を受けている分野であり、今後社会にとって重要な技術として進展していくと思われますが、CIMのような相補的なアプローチの研究も並行して行うことで、量子技術の多様な発展に寄与できるのではと考えています。
基本的には「青い海」、先人にあまり手が付けられていないゾーンをめざしてきました。世の中には分からないことが数多く存在しますが、その課題とされていることの数と比較して研究者の数は圧倒的に不足しているのではないか、と考えています。言い換えれば、注意深く見渡してみれば、まだあまり開拓されていない研究領域はたくさんある、ということでしょうか。その視点から、すでに研究分野が確立されているところにいるより、他の未開の分野に臨んだほうが活躍の場が広がるのでは、と思うからです。
興味を持ったテーマの中で、どれに臨むかを決める際は、いろいろ考えるのですが、最終的には自分にとって面白いかどうかで決めています。最初に「これは社会貢献につながる」という考えが浮かぶわけではなく、「これは面白い」と直感的に感じたところに目を向け、そこで研究している中でその意義が浮かんできた、というのが正直なところです。CIMもそうでした。
さて、過去に非常に印象に残っているグループミーティングがありました。CIMの基本技術である多数のDOPOパルスの発生を、1kmの光ファイバ中の非線形光学効果で実現したことを報告したときのことです。これはNTTにおけるCIMに関する最初のプレゼンで、実験結果の議論だけにとどまらず、CIMの概念自体に対する厳しい質問がグループの理論研究者から容赦なくなされたことを覚えています。新しい方向性で面白い実験結果が出て意気揚々と臨んだプレゼンだったのですが、想定外の厳しい反応に、直後にはさすがにがっかりしました。しかし、このときいただいた質問、コメントの多くは今考えても本質的に重要なもので、その後CIMの研究を続けていくうえで大きなヒントになっています。また、この散々な発表を見ていたにもかかわらず、しばらく後に「この研究をやってみたい」と言ってくれた同僚がいたことにも驚き、勇気づけられました。考えてみれば、CIMが「確立された研究分野」でなかったことが、このような多様で有意義なレスポンスにつながったのかもしれません。
キャリアを重ねてきて、自分の追究していることが世の中に良い影響を与えることができるかを考える年代になりました。入社当時は、「まずは1本の英語の論文、国際会議発表」が目標でしたが、それらが達成されるにつれ、同じ分野の研究者に影響を与えるような学術論文を書きたいなど、少しずつ何らかのかたちで貢献できたら嬉しい、と考えるようになりました。その貢献は誰に対し、どのようなレベルのものになるかは分かりませんが、今は自分たちの研究で、できれば直接的に人や社会の役に立つことができないか、と思っています。
NTTに入社以来、若手研究者のつもりでずっと過ごしてきましたが、その私も50歳になりました。入社してから私は大きく分けて4つのテーマに携わってきました。現在の研究はとても充実していますし、面白いのですが、研究者としてさらに先に進むために、そろそろ5番目のテーマも探す時期ではないかと感じています。最近、グループ内の雑談で、数理脳科学分野の第一人者である甘利俊一先生は86歳になられる現在でも第一著者(first author)として論文を発表されていると知り、「凄いね」と話題になりました。私も先生を見習って、でき得る限り研究者であり続けたいです。私なりの研究でこれからも貢献し続けることを目標にしていきたいと思います。
その一方、上席特別研究員として、また量子部の部長として、後輩の研究者の皆さんが活躍できるようにすることも、自分の使命であると考えています。自分自身を振り返っても、研究人生の途中で迷いながらも、周囲の人に助けられて「思い切って踏み出した」瞬間がいくつかありました。若い研究者の皆さんには是非、自分たちの「青い海」を見つけてほしい。私はその挑戦を後押ししたいと思います。
上席特別研究員