更新日:2021/03/12
Leonid V. Abdurakhimov/ Imran Mahboob/ 樋田 啓(といだ ひらく)/ 角柳 孝輔(かくやなぎ こうすけ)/ 齊藤 志郎(さいとう しろう)
量子計算は、重ね合わせやエンタングルメント*1のように、よく研究されてはいるものの、十分に活用されてこなかった量子現象を利用した新しい計算方法です。基本素子は量子ビットと呼ばれる2準位系で、基底状態|0〉と励起状態|1〉の任意の重ね合わせ状態|ψ〉=α|0〉+β|1〉 (αとβは|α|²+|β|²=1を満たす複素振幅)を準備することができます。N個の量子ビットを用意すると、2N個の状態の重ね合わせをつくることができます。すなわち、2N個の入力を1つの量子状態として、N個の量子ビットにエンコードし、同時に演算することができるのです。この性質は量子並列性と呼ばれています。ピーター・ショアやロブ・グローバーが発見した量子アルゴリズムでは、この性質と量子位相*2の干渉効果を合わせることで、多数の入力に対する出力を効率良く得ることができます。その結果、量子計算機は、大きな数の因数分解(ショアのアルゴリズム)や大規模データ検索(グローバーのアルゴリズム)などの問題を、従来の計算機よりも格段に速く解くことができます。
現在は量子計算機実現に向けて、超伝導量子ビット、イオントラップ、光量子ビット、スピン量子ビットなどさまざまな物理系が精力的に研究されています。それぞれの系が異なる長所と短所を持ち合わせていますが、中でも超伝導量子ビットはもっとも進んだハードウェアプラットフォームであるといえます。このことは、Google、IBM、Microsoftに代表される大企業やRigetti computingなどのスタートアップが超伝導量子計算機に注力していることからも推察されます。さまざまな種類の超伝導量子ビットが研究されていますが、大規模量子計算に向けた開発では、その制御性の良さと量子情報の保持時間の長さからトランズモン*3が主流となっています。トランズモンの中でも、量子ビットを形成する2準位間の遷移周波数が固定されたタイプと遷移周波数可変なタイプとに分かれます。一般的に前者は量子情報の保持時間が長く、後者は量子演算用のゲート操作の自由度が高いという特徴があります。表に両者の代表的な例を示します。
近年、小規模超伝導量子計算機は著しく進歩してはいるものの、汎用量子計算機の実現はいまだに挑戦的な目標となっています。最大の問題はノイズ環境との相互作用により量子情報が失われてしまうことです。量子情報の保持時間を示す性能指数は、エネルギー緩和時間*4T₁と位相緩和時間*5T₂です。Google、IBM、デルフト大学が採用しているトランズモンのT₁とT₂は最大でも100 µs程度であり(表)、量子ビットの典型的なゲート操作時間は100 ns程度です。これらの結果から、最先端の量子計算機におけるゲート操作の誤り率は10⁻³と見積もられます。この誤り率で信頼できる量子計算を実行するためには、量子誤り訂正のためのオーバヘッドが要求され、実用的な量子計算機には最低でも2千万個の量子ビット実装が必要であるといわれています(5)。現在の量子ビット実装技術を拡張していくには限界があり、分散量子計算などの次世代実装技術が期待されています。
一方、誤り耐性量子計算に対する異なるアプローチとして、hardware-efficientな量子計算方式が近年注目を集めています。この方式では、量子ビット自体が量子誤り訂正を実行する機能を有し、従来方式のようなオーバヘッドを必要としないという利点があります。有望なアプローチの1つとして、3次元キャビティ中のマイクロ波光子状態に量子情報をエンコードするボソニック量子ビットが精力的に研究されています(6)。3次元キャビティを冷却し量子現象が顕著に現れる領域に入ると、マイクロ波光子の状態はその光子数に応じて離散化された量子状態となります。すなわち、量子状態は、|0〉c、|1〉c、…|n〉c、と離散化されており、キャビティ中に0、1、2、…、n個のマイクロ波光子が存在する状態を表します。しかし、キャビティ中の光子数状態はエネルギーが等間隔に離散化されているため、|1〉cを励起すると|2〉c、|3〉c、…などの高エネルギー状態も同時に励起されてしまい、超伝導量子ビットのように任意の2準位間のみを操作することはできません。そこで、キャビティを超伝導量子ビットと相互作用させ、光子数状態のエネルギーをわずかにシフトさせることで、それぞれの光子数状態に個別にアクセスできるようにします。この量子ビットはその役割から、補助量子ビットと呼ばれていますが、ボソニック量子ビットでは非常に重要な要素となります。次に、ボソニック量子ビットのエンコーディングの例を示します。ここでは、平均光子数が等しく、偶数である|0〉L=(1/√2)(|0〉c+|4〉c)、|1〉L=|2〉cを量子ビットの2状態として用います。キャビティで生じるエラーの主要因は光子数の減少です。ボソニック量子ビットに対しては、量子状態を壊すことなく光子数の偶奇性を測定することが可能です。そこで奇数が観測された場合は光子ロスが起きたと判断し、光子を追加することでエラーを訂正できます。
本稿では、ボソニック量子ビットに適用可能な新しい周波数可変量子ビットを紹介します。この量子ビットはボソニック量子ビットの補助量子ビットとして利用できるだけではなく、ボソニック量子ビット間の可変結合素子としての応用も期待できます。可変結合素子は、大規模ボソニック量子計算機実現に向けた重要な要素技術です。…