更新日:2021/02/05
※記事本文中の研究所名が、執筆・取材時の旧研究所名の場合がございます。
伊勢崎 隆司(いせざき たかし)/ 渡部 智樹 (わたなべ ともき)
高齢者の移動行為に伴う事故である転倒や自動車事故は社会的な問題です。高齢者の歩行時の転倒は死亡要因の多くを占めています。また、高齢者が第一当事者となった交通事故は全体の18.1%を占め、高齢運転者による事故の割合は年々増加傾向にあります(1)。
NTTサービスエボリューション研究所では、ユーザの運動機能を慣性情報や表面筋電図の情報から推定する研究を推進してきました(2)、(3)。歩行などの運動や自動車の運転といった移動行為においては、一般的な運動制御モデル、すなわち自身の身体状態や外部環境を視覚・聴覚・体性感覚などの感覚器を通じて知覚する知覚プロセス、知覚した情報を脳内で処理して筋骨格系に指令を送る認知プロセス、脳からの指令を受けて収縮・弛緩する筋骨格系の機能である運動プロセスといった一連のプロセスで遂行されていると考えられます。高齢者の歩行時の転倒や自動車事故の要因を把握して未然に事故を防ぐためには、運動以外の機能に対しても目を向ける必要があると考えています。レイモンド・キャッテルは知能に関して「結晶性知能」と「流動性知能」という2つの観点に分類しました(4)。流動性知能は新しいことを学習する能力や、新しい環境に適応するための問題解決能力などのことであり、年齢とともに衰えるといわれています。一方で、結晶性知能は個人が長年にわたる経験、教育や学習などから獲得していく能力であり、年を重ねても安定している傾向にあります。歩行や自動車の運転を行っている際、慣れ親しんだ道だけでなく不慣れな道を走行するような状況や、歩行者が急に飛び出してくるような想定外の状況が度々発生します。時々刻々と環境が変化する中で適切な運動遂行を実現しなければならないような条件下においては、このような流動性知能的側面、すなわち不慣れもしくは想定外な環境に対して即時に適応するような認知的能力が重要と考えています。
上記の背景を踏まえ、ユーザにとって不慣れもしくは想定外な環境に適応して運動遂行する能力を評価し、さらにはその能力を向上させることが移動行為に伴う事故を防ぐために重要であると考えました。
ユーザの環境への適応能力を測るためには、不慣れもしくは想定外な環境(不慣れな環境)でのユーザの挙動を観察し、その環境やユーザ対応の身体運動を評価分析する必要があります。近年ではさまざまなメーカからコンシューマ向けVR(Virtual Reality)システムが販売されており、一般ユーザも手軽に利用できるようになりつつあります。VRであればさまざまな環境を模擬・再現し、環境におけるユーザの運動情報やその際の環境情報を得ることができます。私たちは、このVRを用いてユーザにとって不慣れな環境を構築し、その環境における運動とパフォーマンスを観察することで運動時の環境適応能力を評価することができないかと考えました。
運動時の環境適応能力の評価をするためには、環境適応能力の善し悪しに応じて異なる挙動が含まれるような身体情報を分析する必要があります。上肢(上腕・前腕・手を含めた総称)の巧緻性(上手さ)は認知機能と関連があるといわれています(5)。 この認知機能の1つに運動時の環境適応能力があるととらえると、この「上肢巧緻性」に着目することで運動時の環境適応能力の評価が行えるのではないかと考えました。上肢巧緻性を評価する手法は複数ありますが、巧緻性の対象となる上肢運動の基本機能としてスペーシング、タイミング、グレーディングの3つの機能が挙げられています(6)。スペーシングは手を正しい方向に動かす機能、タイミングは手の運動において正しい時間調整を行う機能、グレーディングは手の運動において正しい力加減を行う機能です。上肢巧緻性に基づいて運動時の環境適応能力を評価する手法をVRで実装していくにあたり、NTTサービスエボリューション研究所では、名古屋大学 情報学 森健策 教授、小田昌宏 准教授と名古屋大学医学部 手の外科 平田仁 教授、大山慎太郎 特任助教との共同研究を進めています。…