更新日:2020/9/14
伊藤 翔(いとう しょう)/ 五味 裕章(ごみ ひろあき)
人間の身体動作は意識に上らないさまざまな脳の仕組みによって支えられています。その1つが「反射」と呼ばれる感覚-運動プロセスで、視覚や体性感覚*などによる外界からの刺激に対して、意識を介さずに運動応答を生成します。反射による運動制御は、随意運動(意識を介して行われる運動)よりも高速な応答を引き起こすため、例えばスポーツにおいて相手の動きに対応した瞬間的な反応を可能にすると考えられます。あるいは“歩く”“立ち上がる”“物に手を伸ばす”といった、日常生活の中で何気なく行っている動作も、反射による姿勢の制御に支えられて初めて実現されるといえます。NTTコミュニケーション科学基礎研究所では長年、反射がどのような脳内の情報処理を経て生成され、人間の運動実行に役立っているかを調べていま す(1)~(3)。本稿では体性感覚情報によって引き起こされる反射の1つ「伸張反射」について概要を述べ、その情報処理に関する最近の研究成果(4)を解説します。
伸張反射は筋の受動的な伸展によって生じる反射で、主に姿勢を安定に保つうえで重要な役割を果たすと考えられています(図1)。 障害物との接触などによって意図しない姿勢の変化が生じると、筋の長さの変化をとらえる受容器である筋紡錘が反応し、「筋が伸ばされた」という情報を上行性の感覚信号として脳・神経中枢に伝達します。この信号は随意運動とは異なる脳部位や神経経路で処理され、伸ばされた筋を収縮させる運動応答を生成します。伸張反射応答は脊髄レベルの神経経路によって生じる短潜時成分と、大脳皮質運動野まで含む神経経路を経て生成される長潜時成分とを含むことが明らかになっています(2)。そのうち、比較的応答の遅い長潜時の伸張反射でさえ、刺激の入力から約50 msという極めて短い反応時間で筋活動が発生するため、反応に100~150 ms以上かかる随意運動と比較して素早く姿勢の変化を補償することができると考えられます。
伸張反射は入力刺激に対して常に一定の応答が生じるわけではなく、課題や環境の変化に依存して応答の調整がみられることが種々の先行研究で示されています(3)、(5)。脳はこのような反射系の調整を通して、状況に応じた柔軟な運動制御を行っていると考えられます。一方で、その調整計算のために脳内でどのような情報処理が行われているかについては、詳細には分かっていません。一例として、 伸張反射の調整が体性感覚情報のみに基づくのか、あるいは視覚情報など他のモダリティにおける感覚情報も統合した身体表象を利用して行われているのかについてはこれまで未解明でした。本研究ではこの点を検証するため、運動実行中の自己位置を示す視覚情報を操作し、伸張反射に影響がみられるかを調べました。
身体状態に応じた伸張反射の調整の仕組みについて、 2つの仮説が考えられます(図2 )。 1つは、伸張反射は体性感覚入力によって生じる応答であることから、その調整も体性感覚に依存して行われるという考え方です。これに対してもう1つは、体性感覚情報に加えて視覚情報など他のモダリティの感覚情報も統合した身体表象を介して、より精度良く身体状態を推定し、反射応答の調整に使用しているという考え方です。本研究では、 これらの仮説のどちらがより確からしいかを検証するため、視覚情報を実験的に操作し、 それにより伸張反射が影響を受けるかを調べました。…