更新日:2019/12/01
※記事本文中の研究所名が、執筆・取材時の旧研究所名の場合がございます。
私は主に、触覚とコミュニケーションに関する研究開発、そのほかにも、人間のウェルビーイングについてのワークショップベースの取り組みを行っています。最近は、身体的な感覚が生み出すコミュニケーションについて、そしてそれがどうウェルビーイングにつながるのかが気になっています。現在行われている感覚の研究の多くは「AからBへ刺激を伝える」という感覚伝達が中心になっています。しかし、私は「伝わる/伝わらない」を超えて、人と人のあいだで「何か」が生まれる、特に身体的な体験によって「何か」が生まれる共同的な身体性に興味を持っています。
例えば、スポーツ中継であれば、パブリックビューイングなど、スポーツの観戦者が集まる「場」が興味深いです。「場」の研究はこれまでもたくさんありますが、それをスポーツ観戦という文脈でもう一度とらえ直したいと考えていました。別の言い方をすれば、スポーツを人と人を結び付ける手段だと考えたときにいったい何ができるのかということです。素晴らしいプレーを共に目撃した高揚感、盛り上がりのポイントが一致したときの一体感、誰かと一緒に見られて良かったという感傷的な気持ちなど、そこから「他者と共にある」ということをもう一度考え直したいなと。
スポーツ観戦の研究活動の1つの例として、NTTサービスエボリューション研究所の林阿希子研究主任、東京工業大学の伊藤亜紗准教授と共同で行っているスポーツ・ソーシャル・ビュー(Sports Social View)というプロジェクトがあります(1)。このプロジェクトは、スポーツの競技の質感を抽出し、それを身体的な別の体験に変換し、目の見えない方と共有するというものです。具体例を挙げると、柔道の場合、 晴眼者2名が柔道の選手役として1枚の布の両端を持って道着を引くように引っ張り合い、目の見えない方が布の中心付近を握ることで、目の見えない方は柔道の試合で起きている力の駆け引きといったものを感じるというものです。この取り組みの面白いところは、観戦者が完全な受け身ではないということです。晴眼者は選手の動きを見ながら身体感覚への変換を行い、目の見えない方も激しく引っ張られながら、布を離さないように手で追いかけるという、能動的な側面があります。晴眼者、目の見えない方が一体となって試合を再現している、もしくは新たに試合をつくり出しているといったほうが正しいかもしれません。このことをプロジェクトでは「生成的な観戦体験」(Generative Viewing)と呼んでいます。
ほかにも、最近始めた研究の中で、食の場のあり方について考えるようになりました。誰かと一緒にご飯を食べるということは、毎日行う共同的な身体体験だといえます。外食でも、例えば、すき焼きを食べに行くと、食べる側だけではなく、焼き手と呼ばれる方がいて、匠の技で肉を美味しく調理し、絶妙なタイミングで提供してくれます。焼き手の方は、ただ食事を提供するだけではなく、食べに来た方とインタラクションしながら、うまく食体験の場をつくり出します。スポーツ観戦も食体験も、試合の流れや食事の内容など大まかな流れは決まっているのですが、ただそれを音声で観戦したり、ただ食事が配られるのを待つ、というように受動的にかかわるのではなく、仲介者を介して主体的にかかわり、共にありながら自律的な満足につながる場を一緒につくることが重要だと考えています。
情報通信技術の研究へ広げて考えることも可能で、通信によって遠くの人と人を結んで、遠隔で一緒にスポーツ観戦をしたり、誰かがご飯を食べている感覚やその存在を実感できる仕組みをつくることで、新しいかたちの「共にある場」を実現することができます。もちろん、それはヒト・モノ・コトがデータ化された、サイバー空間の中の誰かと共にあることも含むことになるでしょう。
2019年4月に「情報環世界」(2)というテーマに関して、研究者、アーティスト、デザイナーなど多様な分野の専門家が17名集まって、5カ月間ひたすらそのことについて議論したり、ワークショップを行った結果をまとめた、『情報環世界』という本を上梓しました(図1)。この情報環世界に関する研究会は、東京都新宿区初台にあるNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]のトークイベントに登壇した5人がコアメンバーとなって、一緒に探求の時間を過ごしたら興味深いであろうメンバーをそれぞれが誘い合い、固定メンバーで5カ月、計10回の会を行いました。その中でさまざまなワークショップを行いました。例えば、参加者どうしの価値観の違いを認識し、共感したり、その違いを実感するワークショップは以下のようなものでした。各参加者が自分のウェルビーイングに関する要因を3つずつ書いた紙を抽選箱に入れます。参加者は1人ずつ登壇して、抽選箱から紙を引き、引き当てた紙に書かれた内容に従って、その人になりきってウェルビーイングの3要因の話をします。すると、登壇者は自分では思いもよらない価値観が口から出てくるという体験をしますし、自分のウェルビーイングを代弁したもらった人はまた別の解釈を得ることになります。こうしたワークショップも含め、1冊の本にまとめました。本のタイトルとした「情報環世界」という言葉は造語ですが、環世界というのはすでに存在する言葉で、ある生物が経験している特有の知覚・運動の世界のことを指します。例えば、ダニを例に挙げれば、ダニには視覚も聴覚もほとんどなくて、嗅覚と温度感覚のみで自分にとって大切なものを選び取って生きています。そこでの知覚と運動の連関でつくられるのがダニの環世界です。人間どうしであってもそれぞれ異なる環世界の中で生きていますが、異なるからこそ、そのあいだに新しい「何か」を生み出せるのだと思います。
実験をして論文を書くという、いわゆる科学技術の研究は、その成果の活用も分かりやすいものになります。一方、現在の私の取り組みの多くは、外から見るとその成果は分かりづらいかもしれません。そのため、社会の基準、外的規範から意味付けをする以外にも、できるだけ客観性を保ちながらも自身の内的な規範から価値を表明する必要が生じます。自らが研究のコミュニケータとなりつつ、価値を説得する。この内外の規範をバランスよく取り入れることは大切なことだと思います。…