更新日:2019/12/01
※記事本文中の研究所名が、執筆・取材時の旧研究所名の場合がございます。
林 阿希子(はやし あきこ)†1/渡邊 淳司(わたなべ じゅんじ)†1、2/清水 健太郎(しみず けんたろう)†1
NTTサービスエボリューション研究所†1NTTコミュニケーション科学基礎研究所†2
障がい者を含む多様な身体性を持つ人々が一緒にスポーツ観戦を楽しむには、どうすれば良いでしょうか。2020年のビッグイベントの大会ビジョンに「多様性と調和」が掲げられたように、近年多様性への理解がますます重要性を帯びています。NTTサービスエボリューション研究所では、東京工業大学の伊藤亜紗准教授と共同で、視覚障がい者とのスポーツ観戦の研究に取り組んでいます。当初研究所では、スポーツ観戦に関する障がい者支援の取り組みとしてスタートしましたが、共同研究を進めていく中で、支援というより、違いを受け入れる、違いがあるからこそ新たな価値が生まれる点を意識するようになりました。
視覚障がい者のスポーツ観戦の仕方として、もっとも一般的なものは音声解説でしょう。実際、野球やサッカーを音声解説で楽しむ方もいらっしゃいます。しかし、ある中途失明者の方は、見えていたころは「見たままエキサイティングな情景を楽しめた」ものが、失明後は「音声解説により試合の流れを理解し、俯瞰的に文脈を楽しむ」ものへと観戦行動が変容したと言います。つまり卓越したプレーをそのまま楽しめなくなっているのです。また、競技によってはそもそも言葉による説明に限界があります。野球のように攻守が順番に入れ替わる競技は、音声解説によって理解ができたとしても、テニスや柔道のように目まぐるしくラリーや攻防が展開される競技は、動きの迫力やリズムといった細かなディテールを伝えるのは難しいでしょう。
そして、スポーツ観戦における満足度に影響を与える要因の1つとして、「共鳴・一体感」が重要だといわれています(1)。隣の観客が盛り上がったときに、同じタイミングで盛り上がるということです。しかし、隣の人の様子を見ることができない視覚障がい者が周囲の観客と一体感を感じるのは難しいでしょう。
このように、現在一般的な音声解説には、スポーツの動きをうまく表現できないという問題や、視覚障がい者が周囲の盛り上がりから取り残されるという問題がありました。
そこで、私たちが生み出したのが、スポーツで起きていることを言語ではなく身体的に表現し直し(=翻訳)、それを視覚障がい者と共有するという観戦方法です。これにより、言語化しにくい動きの迫力やリズムを表現しようとしました。
例えば、テニスの場合は、翻訳者(一緒に観戦する晴眼者)と視覚障がい者が向き合って座り、膝の上に円形のボードを渡して叩きながら観戦します(図1)。テニスコートに見立てた円形のダンボールのボードを視覚障がい者と翻訳者の膝の上に渡して置き、翻訳者がテニスの試合を見ながら、そこでの打球の位置と強さを反映してボードを叩きます。ラリーが続くと、視覚障がい者の左右の位置でボードがリズムを持って順番に叩かれ、視覚障がい者(全盲の方)は、まるでラリーが見えているかのように、首を左右に振ってボールを追う動きが見られました。また、滞空時間が長い打球では「これは大きい……」というつぶやきが聞かれたりと、縦横無尽に動くラリーの空間性を楽しむ様子が見られました。
また、この翻訳では、サーブを打つという物理的な動作だけではなく、サーブの前に選手がリズムを取っている様子も、トントンとボードを叩いて表現しました。このようなリズムを取っている様子は実際の動作としては表れていませんが、それを翻訳者が選手の中で起きている緊張やリズムも含めて翻訳することで、視覚障がい者が選手の様子を深く理解することの助けになります。このスポーツの翻訳でも、翻訳にうまい下手があり、視覚障がい者の評価の高かった翻訳(感動することができた翻訳と言い換えることができるかもしれません)では、たびたび「緊迫感が感じられた」という表現がなされました。感動とは、喜びや驚きといった複数の感情を伴う強い情動とされており、感動生起のプロセスの1つとして「緊張からの緩和」が挙げられています(2)。スポーツ観戦においても、応援するチームや選手への期待が不安や緊張につながり、緊張状況からどちらかの得点に至るという解放までのプロセスが、強い感情を生起させることが考えられます。よって、翻訳者と視覚障がい者が盛り上がりを同期させるためには、得点などの山場だけを伝えるのでは不十分で、そこに至るまでの状況を連続的に翻訳することが重要であるといえます。
柔道の翻訳の場合は、手ぬぐいを使って技の掛け合いやフェイントを表現しました。翻訳者2人が手ぬぐいの両端を持ち、視覚障がい者がその真ん中を持ちます(図2)。翻訳者は競技者になりきって手ぬぐいを引っ張り合い、上下左右の動きや強さや、力の駆け引き、重心を崩すためのフェイントなども表現します。体験した視覚障がい者(全盲、中途失明者の方)からは、「布の上でもう1つの柔道の試合が行われていた。TVで見ていたときより柔道を感じた」との感想を得ました。…