更新日:2019/08/01
俵 毅彦(たわら たけひこ)/ 稲葉 智宏(いなば ともひろ)
NTT物性科学基礎研究所
均一な固体結晶中に添加された希土類原子は、母体材料の違いなどの外部環境や温度に左右されない確定的、離散的かつ揺らぎの少ない理想的なエネルギー量子準位を形成することが古くから知られています。これは希土類原子特有の電子配位、すなわち外界から電気的に遮蔽された4f 電子軌道を有するためです。近年このような優れた希土類原子の量子準位を、量子情報通信における量子情報操作デバイスのプラットフォーム、特に光量子メモリ等へ応用する研究がさかんに行われています。ここで量子情報操作とは、量子情報の伝達を担う光子をいったん物質中の電子に転写し、その電子状態に何らかの演算を加え、再びその情報を持つ光子として放出するものです。このとき情報が転写される物質の電子状態(量子準位)は、エネルギー的な揺らぎが小さい(量子情報を失うまでの時間が長い)必要があります。この要請を満たす物質として希土類原子は優れているのです。特に希土類元素の1つであるEr(エルビウム)は唯一通信波長帯光(波長1.55 μm)との相互作用が可能です。そのため既存の光ファイバ網を用いた量子光通信を考えた場合、量子情報操作デバイスのプラットフォームとしてEr添加結晶は非常に有望であるといえます(1)。
では具体的にどのようなEr添加結晶が求められるでしょうか。まずErは“希薄”に添加される必要があります。その理由は添加されたEr原子どうしの距離が近いとEr原子間でエネルギー、つまり量子情報のやり取りをしてしまい、瞬時に情報を失ってしまうからです(2)。そのため十分にEr原子間の距離を離す(希薄化する)必要があります。またErを添加する母体結晶は、Erの量子準位の形成、特に量子準位の揺らぎの程度に強く影響を与えます。例えば母体結晶を構成する各原子が核スピンを持つ場合、大きな磁気的揺らぎが発生し、量子準位の揺らぎは大きくなります。これも量子情報を短時間で失ってしまう要因です。さらに効率的な量子情報操作をするためには、母体結晶に光を強く閉じ込めErとの相互作用を高める必要があります。これにはSi(シリコン)フォトニクスで培われてきた光回路(光共振器、導波路、合波・分波デバイス等)作製技術が有用です。そのため母体結晶はSi基板上に薄膜として形成されることが望まれます。
このような磁気的揺らぎが少なく、かつSi基板上に薄膜として結晶成長可能な材料候補として希土類酸化物薄膜があります。希土類酸化物の結晶構造はSiと同じ立方晶構造をとり、しかもその格子定数がSiのちょうど2倍に一致します。これはSi基板上にエピタキシャルに成長できる可能性があることを示しています。さらに数多くある希土類原子の中でもCe(セリウム)は、唯一核スピンを持ちません(図1)。すなわちCeは磁気的揺らぎがなくErの量子状態に影響を与えない優れた特徴を持ちます。ちなみに酸素も核スピンを持つ同位体の天然存在比は非常に小さいため、希土類酸化化合物であるCeO2(酸化セリウム)がSi基板上でのEr添加母体結晶としてもっとも有望であるといえます。しかしCeO
Er希薄添加CeO2はMBE(Molecular Beam Epitaxy:分子線エピタキシー)法を用いて、表面が清浄化されたSi(111)基板上に640 ℃で30 nmの膜厚で成長しました(4)。…