更新日:2020/04/23
コンピューティング技術をこれからさらに発展させる上で、CMOS技術の性能限界をどう克服するのかが大きな課題となっています。それを解決するものとして研究が進んでいるのが、光技術による伝送をCMOSに組み合わせ、光の特性を活かした高速信号処理を可能にする光電融合型の情報処理の分野です。NTTではフォトニック結晶と呼ばれるナノ構造技術を用いて、世界最小の電気容量による光電変換素子の集積に成功。2019年4月、世界最小の消費エネルギーで動作する光変調器と光トランジスタの実現が発表されました。これによる回路が実現されれば、従来にはない超低消費エネルギーの高速コンピューティング基盤の実現も可能だと、大きな期待が集まっています。NTT物性科学基礎研究所の新家昭彦氏と野崎謙悟氏に技術の概要と、目指しているナノフォトニックアクセラレータ構想について伺いました。
CMOS(相補型金属酸化膜半導体)の電子回路技術によるコンピューティング基盤は、「ムーアの法則」に沿って回路の高性能化をはかり、多量の情報処理を可能にしてきました。しかし微細加工や集積密度の制約により、電子回路による処理は速度と消費エネルギー面での限界が見えてきています。中でもCPUを並列化して計算量こそ増えているものの、近年は応答遅延の性能は頭打ちという状況が続き、情報処理のボトルネックになっていました。とはいえ、今後の世の中はセキュリティや自動運転、災害予測や交通コントロールなど、ますます低遅延でのオンライン処理や高速なイベント処理が求められる世界になっていくため、これをどう解決するかが問われています。
CMOS技術の性能限界を克服するものとして考えられているのが、光技術の導入です。これまでの信号の伝送だけではなく、電子回路と連携したプロセッサチップ内の信号処理にも光を使う、「光電融合」処理のできる新しいコンピューティング基盤の実現こそ、解決策ではないかと見られています。それを実現するには、従来の光—電気変換においてネックとなっていた省エネルギー化やチップの小型化の解決が必須です。我々のチームでは、NTTが長年研究してきたフォトニック結晶と呼ばれるナノ構造技術を用いた、低遅延かつ、省エネルギーな高速信号処理によって、この課題をクリアしようとしています。今回は“超低エネルギー光電変換・光トランジスタ”のパーツと、その実現により打ち出した “ナノフォトニックアクセラレータ構想”についてご紹介したいと思います。
将来の情報処理における課題の解決策として、光技術による「伝送」と電子技術による「処理」を組み合わせる光電融合が考えられ、さまざまな研究がされています。その中で我々が目指しているのは、ナノフォトニクス技術を結集した光電融合処理チップ、ナノフォトニックアクセラレータの実現です。最近光トランジスタが実現されたことで、このアクセラレータの構想を提案するに至りました。それに必要な3要素についてご説明します。
● 光パスゲート論理回路
まず論理回路です。光は光ファイバ通信など、遠くに高速で情報を飛ばすことには長けています。しかし情報処理の世界では電子回路技術が基本となって進化を果たしており、また光を利用しようとしても光—電気変換デバイスは消費エネルギーが高いことがネックとなり、光と電子回路が緊密に連携した情報処理を行うことは困難とされてきました。実際、1990年代には光の素子を使って電子回路を作る動きもありましたが、集積性やサイズ面でCMOSには劣るため、次第に研究が衰退してしまったという事実もあります。そこで今回、もっと光に向いた論理回路はないかと検討し、一つのやり方として採用したのが光パスゲート論理回路です。CMOS技術では上から情報(電気信号)が入ってくると、論理ゲートをスイッチングしながら情報を流して出力しますが、そのスイッチング時間が蓄積されることで、遅延を引き起こします。光パスゲート論理では、情報が上から入ると光スイッチを同時に切り替え、光で情報を伝搬することで出力します。CMOSでは遅延してしまう演算を光回路に任せることで、処理の加速をはかりました。入力に対して非常に低遅延で結果を出力できるのが、この光パスゲート論理回路です。このような原理は、デジタル論理演算だけでなく、ニューラルネットワークなどの機械学習を低遅延に実行できる可能性を秘めています。
● ナノ受光器(O-E)とナノ光変調器(E-O)変換素子の作製
低遅延の光パスゲート回路は、これだけでは実用上、まだ不十分といえます。CMOS電子回路を組み合わせることによって低遅延の処理を実現します。そしてCMOS回路と光回路を高密度に接続するには、電気—光変換(E-O変換)を行う光変調器や、光—電気変換(O-E変換)を行う受光器が必要です。我々はこれらを従来技術に比べて遥かに小型化・省エネ化させるため、フォトニック結晶によるナノスケール技術を用いています。
ナノ受光器は光の信号を電気の信号に変えるものです。フォトニック結晶の中に光を吸収する機能材料を埋め込むと、光信号が入力されたときに電気信号に変換されます。一方で、フォトニック結晶で作ったナノ共振器を用いると、逆に、電気信号を光信号に変換するナノ光変調器が実現できます。フォトニック結晶では「光の絶縁体」を作ることができ,光を微小な領域に閉じ込めることができるため、素子サイズや消費電力を従来技術の1/100にするようなナノ受光器やナノ光変調器が可能になっています。これらの光電変換素子はCMOSと光回路を高密度に接続するインターフェイスになると考えています。
● 光トランジスタ
光入力信号を別の光に変換・増幅出力させることで、光信号を中継する役割をもつのが光トランジスタです。フォトニック結晶によるナノ受光器(O-E変換)とナノ光変調器(E-O変換)は消費電力が低く小型であるため近接集積させることができ、O-E-O型の光トランジスタを作製できました。その動作原理は、ナノ受光器で光信号が電気信号に変換され、それを直接ナノ光変調器に与えることで、別波長の光に信号が転写・出力されるというものです。このようなO-E-O変換動作を検証したところ、受光器への光制御エネルギーは従来に比べて1/100であり、光信号の入力に対して、出力は最大2.3倍の信号利得が得られ、この増幅の数値によって光トランジスタであると実証することができました。
これらの光電変換素子や光トランジスタは世界最小の消費エネルギーで動作するものであり、将来的には光パスゲート回路を含めて高密度に集積することで、光信号処理の開発が期待できる成果となっています。そして3つの要素を組み合わせ、また電気回路側の周辺技術が揃ってくれば、ナノフォトニックアクセラレータの実現が可能になると考えています。
ナノ受光器やナノ光変調器などを実現するために欠かせないフォトニック結晶ですが、これは屈折率が周期的に変化するナノ構造体で、微細なサイズで光を操作する構造を作るのに向いています。ナノ加工技術を使って半導体を微細加工して作製し、特定の波長では“光の絶縁体”を作ることができ、光を閉じ込めることができます。ナノフォトニクスはNTTが20年ほど前から研究している分野で、10年ほど前には光で光を制御する光スイッチの研究が進み、フォトニック結晶を使うと消費電力が小さくなることがわかり、工業技術に使えるものとしての方向性が見えてきました。さらにここ4〜5年でフォトニック結晶を使った光電融合の研究が進み、極めて低用量の光電子集積が可能であることを見出し、我々の研究が進展することとなりました。
NTTのほかでも、光の信号を使ってチップの中で情報を送ろうという研究はいろいろされています。しかしフォトニック結晶については、光通信デバイスについて長年の蓄積があり、加工や製造のノウハウを持ったNTTが一歩先んじており、それが他社と比べて大きな優位性になっています。このフォトニック結晶の技術があるからこそ、光電変換デバイスや光トランジスタにおいて、大幅な低電力化や小型化が可能になっているのです。
今回、光トランジスタができたことで回路作成の可能性が見え、ナノフォトニックアクセラレータの構想を提示するに至りました。現段階はチップ内で信号を伝送するのに光を使う研究が進んできたということころで、いくつかのパーツはできていますが、それらを集積したアクセラレータ自体ができている訳ではありません。ただ、これまで消費パワーの問題等で難しいとされた光電変換デバイスや光トランジスタで高い性能が出たことで、回路に使える可能性が見えてきました。この光トランジスタの実現だけでもかなり大きな成果で、フォトニック結晶技術のおかげで小型化・省エネ化ができています。この先は3つの要素とこれまでの研究成果を元に、いかに回路を上手く作れるかということに取り組む段階に入っていきます。光パスゲート回路や光トランジスタを含めてどれだけの素子が集積できれば意味のある光信号処理ができるか、どのようにCMOS技術と連携して光電融合情報処理を実現するか、といったことは、これからまだ追究が必要です。研究が進展して技術が確立すれば、世界的にも光を使った情報処理にもっと力を入れていこうとなるはずです。チップについては電子回路メーカーなどと一緒に開発を進める必要もありますし、実用化のためにはまだ10年以上はかかると見ています。
研究が進み、光が手軽に使える素子となっていけば、素子の使われ方も変わるでしょう。省電力かつ小型で光の素子がネットワーク上に散らばり、簡単につながる時代が到来すれば、現在のコンピューティング技術における情報処理とは異なる世界が立ち上がってきます。つまり、この研究が進むことで、世界自体が大きく変わるかもしれないのです。我々は今の技術のその先に広がる世界を見据え、これからも研究を続けていきたいと思います。
ナノフォトニックアクセラレータの構想を形にするには、回路づくりやどうやって大規模化していくか等、実際に実用化を果たすにはまだ時間がかかるようです。しかし、これまで難しいとされてきた光を使って、小型で、かつ省エネルギーで情報処理が可能になれば、一体どんな世界が出現するのだろうとわくわくする部分の多いお話でした。新家氏は「世界が変わる可能性がある」とおっしゃいましたが、光変調器と光トランジスタのニュースリリース時に業界で「ポストムーアの切り札となるか」と言われたのもうなずけます。10年後、20年後の情報処理の世界がどうなっているのか、今から楽しみになりました。
2020年2月25日取材
魁生 佳余子
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