更新日:2019/09/26

    見えない人たちとスポーツの“場”を共有するために触覚を通じた表現で新しい観戦の方法を提案NTTコミュニケーション科学基礎研究所

    ※記事本文中の研究所名が、執筆・取材時の旧研究所名の場合がございます。

    NTTサービスエボリューション研究所の2020エポックメイキングプロジェクトでは、2018年から触覚を使って障がい者と一緒にスポーツを楽しむための、新しい視点に立ったスポーツ研究をスタートさせました。触覚によるスポーツ体験の共有と、スポーツの本質を問い直す試みとして、リサーチ活動だけでなく、書籍およびウェブサイト「見えないスポーツ図鑑」での発信やNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]での展示なども行っています。これらの表現や考え方について、現在展開しているコンテンツや今後の活動について、認知科学の分野で活躍しながら、触感コンテンツ専門誌『ふるえ』の刊行なども行うNTTコミュニケーション科学基礎研究所の渡邊淳司氏と、ユーザ・エクスペリエンス(UX)デザインを研究するNTTサービスエボリューション研究所の林阿希子氏に、お話を伺いました。

    話し手

    渡邊 淳司 氏
    渡邊 淳司 氏わたなべ じゅんじ
    NTTコミュニケーション科学基礎研究所
    人間情報研究部 感覚共鳴グループ
    上席特別研究員
    (NTTサービスエボリューション研究所
    2020エポックメイキングプロジェクト兼任)
    林 阿希子 氏
    林 阿希子 氏はやし あきこ
    NTTサービスエボリューション研究所
    2020エポックメイキングプロジェクト
    研究主任
    2020年に向け、異なる身体的条件の人たちがスポーツ体験を共有する方法を探求
    「障がい者と一緒になって楽しめる、新しいスポーツ観戦のあり方を探っています」

    これまでの触覚研究は、人と人とのコミュニケーション支援や、エンターテインメントの分野がメインで、スポーツの分野はあまり話題には上りませんでした。しかし2020年に日本でオリンピック・パラリンピックが開催されることが決まったことをきっかけに、ここに向けた新しいサービスを提供するミッションが生まれました。東京2020大会では3つの基本コンセプトが掲げられ、その中に「多様性と調和」というものがあります。私たちはこの「多様性」をキーワードに、東京工業大学の伊藤亜紗准教授や視覚障がい者の方と一緒に、視覚障がい者のスポーツ観戦について取り組むことにしました。スポーツ関連の研究はアスリート側に立つものが多いですが、広く見てみると、アスリートと観客がいてそこに一つの“場”ができるのがスポーツです。そして目の前で起きていることに対して皆で共感したり、そこにいる人たちが一緒に体験を共有することが観戦の楽しみといえます。場を構成する大多数は観客であり、アスリートはむしろ少数派。であるなら、この観客側で起こっている体験について追求することにも価値があると考えました。

    このプロジェクトでは既存の触覚研究の技術を使いつつ、体験的な取り組みを通していろんな人に共感を呼び起こす、新しいスポーツ観戦の方法や、障がい者と一緒に楽しむスポーツ観戦のあり方を提案するものになります。

    インタビューに答える渡邊 氏
    スポーツの本質を取り出して翻訳することで、感覚を共有する
    「競技の本質を身体感覚で表現し、また新しい視点でスポーツを分類し直す方向性が見えました」

    目が見えない人がスポーツを楽しむためにはどうすればいいのか。スポーツを観戦する際、言葉での実況が一般的ですが、見えているものをいくら細かく言葉で説明したとしても、迫力やタイミング、細かなディテールの伝達には限界があり、見えていない人との一体感は簡単に得られません。とくに生まれつき全盲で、その競技がどんなものなのかまったくわからない人にはイメージすら難しい状況です。研究当初は観戦の支援という感覚が強かったのですが、目指すのは見えない人と一緒に楽しむ方法ではないかと次第に考えるようになりました。そこで、私たちが生み出したのが、スポーツで起きていることを身体感覚として表現し、それを視覚障がい者と共有する「スポーツ・ソーシャル・ビュー」という手法です。これは、視覚障がい者と一緒に美術を鑑賞し、対話から新しい作品の見方や意味を発見する「ソーシャル・ビュー」という手法を参考にしました。

    まず、視覚障がい者の方との共同作業で研究をスタートし、テーブルをテニスコートに見立てて手を上に置き、選手が球を打ち合うリズムと場所に合わせてテーブルを叩いて触覚で感じるというような実験に取り組みました。こうすることでテニスという競技のリズムやラリーの雰囲気を身体で感じることができます。そのうち見えてきたのが、スポーツを視覚障がい者に伝える上では抜け落ちているものがあり、それを表現するためには「スポーツの本質」を取り出して新たに捉え直す作業、つまり「翻訳」が必要だということです。例えばサッカーとラグビーは同じような広い場所で、ボールをめぐって展開する競技です。では観戦時に何が違うのかと考えていくと、サッカーはどちらかといえば俯瞰視点による戦術の展開こそ魅力であり、一方、ラグビーはぶつかり合いの中のボールの争奪戦と展開戦で成り立ち、力が生み出す迫力が見どころとなります。ボールを取り合う競技といっても本質を追求するとかなり違いがあるんです。スポーツを運動のダイナミズムといった、別の視点で新しく分類し直すことができるのではないか、改めてその競技の本質を取り出して翻訳し直すことが、身体感覚でスポーツを表現するには必要ではないか、そんな方向性が見えてきました。この翻訳を行えば視覚障がい者をスポーツで起こっている出来事の中に巻き込み、場の共有が可能になると考えたんです。

    インタビューに答える林 氏
    翻訳したスポーツを「見えないスポーツ図鑑」で発信
    「リサーチとテクノロジーの両方向で、スポーツとの新しい接し方を探っています」

    このプロジェクトはリサーチとテクノロジーによる体験プロトタイピングという、2つの柱で進行しています。リサーチとは、スポーツの専門家にこの競技がどういうものかということを伺いながら、抽象化して体験に翻訳する作業です。翻訳とは具体的にいうと、競技の本質を突き詰めていく事。例えば柔道であれば、力のかけひきがその本質だと考えられ、襟を取り合って力をかけ合うこと、つまり「布の引っ張りあい」と翻訳できます。また、卓球であれば打ち合うスピードや迫力も大事なのですが、専門家視点ではボールの回転が重要であることがわかりました。そこで回転をかける感覚を体感するには何がいいかと模索し、鍋蓋をスリッパで打ってみると感覚が似ているかも、などとさまざまな試行錯誤がありました。これを専門家によるレクチャーと、家庭にある日用品を使って実践したのがウェブサイト/書籍で公開している「見えないスポーツ図鑑」(http://mienaisports.com)です。スポーツの本質を“身体感覚で見る”ものとして捉え直し、現在ラグビー、卓球、セーリング等、10競技の翻訳について紹介しています。

    見えないスポーツ図鑑はアナログ手法での翻訳ですが、もう一つの柱はテクノロジーによる体験プロトタイピングです。2019年の夏に東京初台にあるインターコミュニケーション・センター[ICC](http://www.ntticc.or.jp/ja)でキッズプログラム「見る、楽しむ、考える スポーツ研究所」という展覧会が行われましたが、その中でいくつかを展示しました。テニスはテーブルの下に振動スピーカーを取り付け、感覚を引き算しながら体験する展示を行いました。小部屋に振動を伝えるスピーカー付きのテーブルと大画面があり、まず映像を見ながらラリーの振動を体感し(晴眼者の状態)、次に映像は見えないけれど音と振動が提示され(視覚の引き算)、最後は映像がなく真っ暗の中で振動のみが伝わってくる(視覚・聴覚の引き算)というもので、異なる身体的状況でのスポーツ観戦を体験できるというものです。またこれの簡略版として、スマートフォンでテニスの動画を見ながら振動を体験できる、小さなポータブルサイズのものも展示しました。

    そのほかにも「見えないスケートボードの存在感」は実物大のランプ(円形のパイプを半分に切ったような形の設備)を作り、ランプを行き来するプレーヤーの映像に触覚の振動を組み合わせました。ランプを触ったり寝転んだりすることで伝わってくる振動から、プレーヤーの動き(トリック)を身体的に感じることができます。より多くの人にスポーツや観戦における新しいあり方や気づきを提供するためには、テクノロジーの活用は欠かせません。こうしたICT技術を使ったデバイスによる観戦体験も、継続的に考えていきたいと思っています。

    「見えないスポーツ図鑑」などの3誌
    将来的にも価値ある研究として追求していくことが大事
    「多様な人たちが一緒に何かをするということについての考え方を探っていく」

    私たちのプロジェクトは、2020年に向けてスポーツを新しい視点で体系化して広げ、共有したいという考えが根本にあります。いろんな身体的状況の人が世の中にはいて、みんなが一緒にスポーツを見るという行為をどう考えていくのか、触覚を使った体験的な取り組みでもあります。感覚のチャンネルを変えることによって、これまでとは異なるスポーツ体験や面白さを提供できると思います。ただ、この活動はスポーツの分野だけにとどまらないと考えています。社会には身体的な違いや異文化を持つ人など、さまざまな人がいます。そうした多様な人と一緒に何かをするきっかけや考え方、共生社会がどうあるべきかについて、活動を通して伝え、また研究を進めていければ理想的です。

    プロジェクトとしてはテニスや柔道など、まだ研究途中である競技についてさらに本質を追求しようとしています。ICCで行ったような展示の機会があれば、より広く多くの人に伝わるものがあると思います。触覚研究として、スポーツの世界で触覚がどんな役割を果たすことができるかを追求することはもちろん、この取り組みに社会的な価値をどう作っていくのかもあわせて考えていきたいと思っています。

    渡邊 氏と林 氏

    編集後記

    支援ではなく、身体性の違いに着目してその違いを楽しむことができないか、そんな視点がこのプロジェクトにはあります。目から入る情報は多いので見えていれば無意識に理解していることも、視覚障がい者には当たり前のことではありません。しかし、球を打つってこういう感覚だよね、力のかけ合いってこう変換できるよね、と考えていくことでガラリと視野が変わり、スポーツの新たな魅力発見にもつながることを、お話を伺って感じることができました。こうした視点からスポーツを分類し直すと、従来の球技や格闘技といったカテゴリ分けとは全く違う体系ができあがりそうで興味深いです。そしてどのような人でもスポーツ体験を共有できる社会が進めば、より楽しみも増えていくのではないでしょうか。

    元々ユニバーサルデザインなどを手がけていた林氏と、人が「良い状態=ウェルビーイング」であることや、触覚研究などに携わる渡邊氏は異なる研究所に属しており、外部の研究者も交えるなどメンバー自体も多様です。2020年という目標があってスタートしたプロジェクトですが、活動を広げ、認知されてさらに広い展開となっていくことを期待したいと思います。

    2019年7月26日取材
    魁生 佳余子

    【参考情報】

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