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問いのかたち

― 技術と社会をつなぐ研究者たち

 
 

2026/10/07

「データは人質か」情報の主権を個人に返す〜デジタルウォレット研究者の挑戦〜

#デジタルウォレット #証明書 #セキュリティ

クラウドストレージに数テラバイトのデータを預けていたら、ある日、利用料の値上げを通知される。値上げを受け入れるか、膨大な手間をかけて別のストレージに移行するか。「ある意味、データが人質だ。自分に主権がない」。社会情報研究所の張一凡主任研究員はそう語る。私たちの日常はクラウドサービスに深く依存している。便利さと引き換えに、データの管理権限はプラットフォーム事業者に委ねている。張氏が取り組むのは、この構造を変える「デジタルウォレット」と「VC(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)」の研究だ。

制作協力:東洋経済ブランドスタジオ


話し手

Zhang

張 一凡(ちょう いいふぁん)

社会情報研究所 社会情報流通研究プロジェクト 情報流通アーキテクチャグループ 主任研究員
2010年にNTT 情報流通プラットフォーム研究所へ入社。クラウド上のファイル操作のトレーサビリティ技術の研究開発に従事した後、NTT西日本研究開発センターへ転籍し、サービス提供における提供責任の重さと分散の必要性を実感。NTT研究所復帰後は、ユーザ主権型の通信異常共有技術や連合学習の研究を経て、現在はブロックチェーンやVerifiable Credentialなど、非集権型のデジタルトラスト技術の研究に従事。

ラーメン店のスタンプカードも「証明書」になる

デジタルウォレットと聞くと、暗号資産の管理を連想するかもしれない。スマートフォンにもウォレット機能はすでに搭載されているが、張氏の研究が対象とするのは、もっと日常的な情報だ。


「ラーメン店に3回行きましたというスタンプカード、映画館のチケット、名刺。実績を証明するものはすべてウォレットに入れるべきです」と張氏は語る。今のスタンプカードは店舗のアプリに紐づいている。店がサービスをやめれば、貯めた記録は消える。ウォレットに入れれば、データは本人のものとして手元に残る。運転免許証や卒業証明書にとどまらず、日々の活動の記録がデジタルな証明書としてウォレットに蓄積されていく世界を描いている。


ここで使われるのがVC(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)という技術だ。例えば、現代で紙の大学の卒業証明書を提示された場合、本物かどうかを確認するには発行者である大学に問い合わせるしかないが、VC技術が確立された世界では発行者がデジタル署名を付与し、受け取った側がその署名だけで真正性を検証できる。問い合わせは不要で、証明書は本人のウォレットに入れて持ち歩ける。

 

ウォレットは個人だけのものではない。法人向けには、サプライチェーンの追跡に使う「プロダクトパスポート」も想定されている。海外で購入したバッテリーが新品かどうか検証できない、あるいは児童労働で生産された可能性も否定できない。いつ、どこで、誰が作ったのか。取引先から届いた部品の来歴を確認する手段は、現状では限られている。張氏は「どういう過程を経て今ここにあるのか、検証可能な情報として見えるようになります」と説明する。


「信頼できない相手」にも鍵を預けられる

VCのデジタル署名には秘密鍵が使われる。署名を発行するにも、ウォレットの中身を守るにも、鍵が欠かせない。だが、その鍵を誰がどう管理するのか。ここに別の課題がある。


「秘密分散」と呼ばれる、鍵を管理する技術にも注目が集まる。1つの秘密鍵を、例えば3つに分割し、そのうち2つがそろわないと機能しないようにするものだ。この仕組みには「不正利用への耐性」と「紛失時の復旧」という2つの利点がある。


まず不正利用への耐性として、従来の電子マネーやクラウドサービスでは、鍵をサービス提供者のサーバーに集中させていた。利用者は運営企業を信頼してサービスを利用するが、内部の運用者が不正を働くかどうかまでは知りようがない。

 

秘密分散が組み込まれたシステムでは、運営企業の運用者が悪意を持っていても、もう1つの鍵の断片がなければ、鍵を機能させることはできない。これは実は事業者サイドにもメリットがある。「事業者からすると、『われわれを信頼しなくても、断片だけ預けていただければいいですよ』というお客様へのアプローチが可能になります」と張氏は説明する。


もう1つの利点は復旧だ。例えば、3つの断片を自分のスマートフォン、家族、運営企業に分けて預けておけば、スマートフォンを紛失しても残りの断片を組み合わせて鍵を復元できるのだ。

 

証明書を出すだけでお金がかかったら誰も使わない

技術としてのウォレットやVCは、概念として以前から存在していたが、普及を阻んできたのはコストだ。


スマートフォンのアプリとしてウォレットを動かすだけなら、利用者側の負担は小さい。QRコードを使った仕組みづくりなども簡単だろう。問題は、証明書の真正性を記録・保存するインフラの運用コストにある。


ブロックチェーンは複数の企業がそれぞれ台帳を持ち、互いに検証し合うことで安全性を保つ。だが5社で運用するなら、まず5社を集めて合意を取り付けなければならない。


ブロックチェーン自体はビットコインなどの暗号資産で広く使われ、技術としては成熟している。ただし運用コストも高い。「既存のブロックチェーンを使っている人たちは投機でお金を回していることもあり、コストがかかっても成り立ちます。でも、データ流通で、証明書を提示するだけでお金がかかるなら誰も使いません」


コストに加えて、日本ではこの技術が伝わりにくい側面がある。


交通系ICカードで改札を通り、コード決済アプリで送金する。日本の日常生活では、サービス事業者への高い信頼が当たり前のようにある。「交通系ICカードに数万円入れても消える心配のない日本では、技術の必要性があまり響かないんです」と張氏も認める。それが、海外へ行き、見知らぬ外国企業の電子マネーに数万円を入金するとなれば、不安を感じる人は多いはずだ。


一方、EUではデジタルIDウォレットの導入が進んでいる。前述の卒業証明書を例に取ろう。国をまたぐ人の移動が多く、言語や文化も異なるEU圏内では、ある国の卒業証明書を別の国で提示しても学校の存在の有無すらわからない、証明書も本物かどうかわからないという場合がある。これがウォレットとVCがあれば、どの機関が署名したかを技術的に検証できるのだ。


日本では国境をまたいだ検証の需要は小さい。ただし、海外から部品を調達し、海外に製品を売る企業にとっては別の話だ。取引先が示す品質証明や生産履歴を技術的に検証できなければ、リスクは自社が負うことになる。グローバル化が進む中で、国際取引の現場から必要性が高まる可能性はある。


「平文のない世界」をめざして

ここまでは、証明書の仕組みと普及への課題を見てきた。張氏の研究にはもう1つ、より大きなビジョンがある。


VCは情報が本物かどうかを検証する技術だ。一方、張氏の研究グループが掲げるビジョンの1つに「平文(ひらぶん)のない世界」がある。こちらはデータの中身そのものを守る考え方だ。平文とは暗号化されていない生のデータを指す。


クラウドに保存した写真やファイルは、プラットフォーム事業者が技術的に閲覧できる状態にある。自分のデバイス以外では開けず、外部の人間には乱数にしか見えない状態にできれば、安心してデータを預けられる。データを預けつつ、中身の管理権限は自分が握る。冒頭で張氏が語った「自己主権のデータ流通」を技術で実現するとは、こういうことだ。

 

AIへのチャット相談もわかりやすい例だ。病気の症状や個人的な悩みを打ち明けたくても、その内容がサーバー上で平文のまま処理されるなら躊躇する人は多い。「AIの中ですら平文が見えていない状態になれば、安心して相談できます」と張氏は語る。


さらに、ウォレットに日々の活動記録が蓄積されれば、AIが個人に合わせた提案をする基盤にもなる。張氏は「ラーメンばかり食べている人に、今日はサラダにしませんかとAIが提案してくれるかもしれない」と例を挙げる。食事や運動、購買の履歴を本人が管理し、信頼できるAIにだけ開示する。プラットフォームに預けるのではなく、自分のデータを自分の判断で活用する形だ。


だが、どれだけ安全な仕組みを作っても、利用者が信用できなければ普及しない。マイナンバーカードに対して不安を感じる人がいるように、デジタルウォレットにも同じ懸念が向けられる可能性がある。


「せっかく技術を作っても、スマートフォンの情報が抜かれると思われたら意味がありません」と張氏は認める。対策として挙げるのが、アプリケーションのコードをオープンソースで公開し、処理の内容を誰でも検証できる状態にすることだ。仕組みの透明性と実装の透明性の両方を確保して初めて、利用者は安心できる。「AIが普及すれば、このコードなら安全だという判定も容易になるでしょう」と話す。


自己主権のデータ流通が実現すれば、自分のデータを他者に提供するハードルは下がり、データ流通は加速する。誰の情報なのか、流通した後で取り戻せるのか、その情報は信頼できるのか。こうした課題を1つずつ技術で解くことが、張氏がめざす「個人起点の情報流通」の姿だ。


現代では、プラットフォーマーを利用しないで生きることは、あまりにも大きい困難が伴う。だが「自分の主権を捨てずにプラットフォーマーを使う」という選択肢を、技術で作り出すことは可能なはずだ。その研究は、データという人質を解放する試みでもある。